あの頃の私は乙女ゲームにハマっていた。
それはもう、驚くほどにドハマりだった。
昼も夜も、些細な時間を見つけては乙女ゲーム『花咲く乙女と絶対の騎士』を進めていたのだ。
だからだろうか。
事故に遭い命を落とした私は、目を覚ますと『花咲く乙女と絶対の騎士』の悪役令嬢、エレーヌ・タグリオーニになっていたのだ!
異世界転生の話は小説で読んだことがあるが、まさか自分が異世界転生をするなんて。
しかも転生したのが大好きな乙女ゲームの世界だなんて。
これはもう、第二の人生を満喫するしかないッ!!
「あーら、同じクラスにこんな貧乏人がいるなんて。貧乏が移りそうだから近づかないでくださる?」
私ことエレーヌは、嘲笑を浮かべながらブリジットを見下ろした。
見下ろされたブリジットは、怯えつつも震える声で言う。
「あの、貧乏は、伝染しないので、安心してください」
可愛い。うるうるした大きな瞳で私を見上げるブリジットは、さすがは乙女ゲームの主人公と言った外見だ。
しかし私だって負けていない。
悪役令嬢のエレーヌは、強く美しく気高い女性なのだから!
「なーに、その反応。もしかして、わたくしのことが怖いんですの?」
「いえ、まさか、そんなことは」
怯えるブリジットにつかつかと歩み寄る。
「嘘おっしゃい! 足が震えていましてよ……あっ」
威圧感が出るように顔の角度を斜め四十五度にキープしながら歩いた私は……転がっていた石につまずいてしまった。
斜め四十五度なんて意識しなければよかった……!
『花咲く乙女と絶対の騎士』は、身体に花の紋様が現れた「花咲く乙女」が、騎士候補とともに学園生活を送りながら恋愛を繰り広げる乙女ゲームだ。
よくあると言えばよくある設定なのだが、とにかく登場人物が魅力的だった。
主人公でありマーガレットの紋様を持つブリジット・レステンクールは、可愛らしくて応援したくなるキャラクター。
騎士候補の一人であるサミュエル・ロージェは明るく優しい金髪の青年で、もう一人の騎士候補であるダミアン・マーシャルは無口で硬派な黒髪の青年。
二人のどちらかと恋愛を成就させ、専属騎士に任命して学園を卒業することがこのゲームの目的である。
そして登場人物の中で忘れてはいけないのが、アネモネの紋様を持つ悪役令嬢のエレーヌ・タグリオーニ!
エレーヌの悪巧みによってあらゆる事件が起こり、事件を解決することで主人公と騎士候補の絆が深まる。
つまり、エレーヌはこのゲームの影の立役者なのだ!
だから自分がエレーヌに転生したと知ったときには歓喜した。
ゲーム内で私が一番好きなキャラクターだからだ。
本音を言うならエレーヌ以外のキャラに転生してエレーヌを間近から眺めたかったが、そこまでワガママを言うつもりはない。
この乙女ゲームの世界に転生できただけで、私は幸せ者なのだから。
そしてエレーヌになったからには、完璧な悪役令嬢になろうと決心をした。
……それなのに。
入学早々ブリジットをいびろうとした私は、ブリジットの目の前で派手にずっこけてしまったのだ。
「いったーい!」
両手を地面について転んだため、大きな怪我はしていない。
ただし膝小僧は擦りむいているし、両手からも血が出ている。
おまけに痛さのせいで涙目。
端的に言って、ものすごく格好悪い。
「あの、大丈夫ですか?」
エレーヌに怯えていたブリジットも、私のあまりのずっこけ具合を見て恐怖がどこかへ行ったらしく、心配そうな顔でハンカチを差し出している。
「もしよければ、これを使ってください」
差し出されたハンカチには可愛らしい刺繍がほどこされている。
ゲーム内でブリジットが騎士候補に刺繍入りのハンカチをプレゼントするイベントがあるため、この刺繡はそれに繋がる伏線なのだろう。
本来の乙女ゲームでは、エレーヌが無様にずっこけるシーンなんて無かったから、こんな伏線は出てこなかったが。
「そんなものいりませんわ! 可愛い刺繍入りのハンカチに血が付いたら大変だもの!」
「えっ、血?」
「わ、わたくしのような高貴な血筋の者が、あなたのような貧乏人にハンカチを借りたなんて生涯の恥だと言ったんですのよ!」
うっかり素の自分が出てしまい、慌てて言い直した。
エレーヌのイメージをぶち壊すわけにはいかない。
エレーヌは気高き悪役令嬢なのだから!