骨髄移植を行うにしても、移植にあたりこの暴走をある程度抑える必要がある。治療が長引き移植を断念する患者もいる。銀河は井園の回復を願っており、どうにか移植にこぎ着けたいところである。しかし毎日見る井園の苦しそうな表情に、これ以上負担のかかる移植を勧めるのもどうなのかと考えていた。
そんなある日、看護師から連絡を受ける。井園の身体中が発疹だらけであり、皮膚科で処方された塗り薬も効いていないようだ。すぐに銀河は彼の部屋に向かった。
「井園……!」
「銀河……先生……」
「こんなに腫れて……倦怠感はあるか?」
「痒くて……痛くて……もうつらい……やめたい」
全身真っ赤に腫れた井園を見て銀河は決断する。
皮膚科の薬が効かなければあの薬を投与するしかない。
――プレドニン。
「井園……プレドニンを処方する。何ミリからいくか……60からだな」
「60なんかでこの身体……治るのですか」
「……」
医者はこのような時に「治ります」と言うことはない。それでも患者を少しでも安心させたいとは思っている。これまでの銀河であれば「まずは目の前の治療からですから。まずは」と言いながら患者に対応してきた。
しかし井園に対して銀河はそうは言えなかった。
どうにか治ってほしい、絶対俺が何とかしてやるから。
そう言えたならどれだけ良いだろうか。
「井園……」
銀河は彼を呼びながらしゃがんで背中をゆっくりとさすった。彼が実習生の時にもそうしたことを思い出しながら。
「銀河……先生……」
井園が銀河を見つめている。
その瞳には穏やかな光が灯り、やがて雫となって頬を伝いながら落ちてゆく。
銀河の手の温もりを身体中に感じる。今、いやそれまでも……井園にとって彼の存在はどれほど大きくて尊いものだろうか。
「……お願いします。プレドニンを」
「わかった」
※※※
それからプレドニンが井園に投与され、真っ赤であった発疹は信じられないぐらいに早く収まった。これがプレドニンの力というべきなのだろうか。ただし、免疫自体を抑える薬であるため感染リスクが高く、こまめな手洗いを行うなど、感染症には人一倍気をつけなければならない。
「井園」
「銀河先生……!」
銀河は井園の部屋に入って話をする。プレドニンの効果で皮膚は綺麗になり顔つきも元気そうだ。
「発疹、おさまってきたな」
「はい……随分楽になりました。だけどこれから減らさないといけないんですよね。身体もふわふわしていて心地よいのに」
「そうだな、あと昨日の検査結果だが……」
銀河が用紙を渡す。
数値は変わらず――もうどうしようもないのか。
「わかってましたよ、先生……僕はもう長くない」
「井園……それはまだ……」
「銀河先生……僕は……」
井園が頬を染めている。
その表情に色気を感じた銀河。思わずしゃがんで彼に近づく。
「銀河先生のこと……初めて会ったあのサークル時代から……ずっと……」
「……」
「……尊敬、していますので」
哀しげに微笑む井園は、これまで見た中で一番綺麗に見えた。西日が差し込む時間帯だからだろうか。発疹が収まってすべすべになった肌……彼の顔に手を添えたいと思うぐらいだ。
だが、別のことが頭の中によぎる。
どうして井園にプレドニンを処方したのに自分に想いを打ち明けてくれないのだろうか。
他の男性患者は全員がそうだった。だから井園のことも期待していた。医者としてどうなのかとは思うが、井園であれば、井園からであれば……言われたい。
銀河先生のことが好きだと言われたくてたまらない。
いや、薬のせいで言ってほしいわけじゃない。
それでも、井園の本音を知りたかった。
そう考える銀河は少し待つことにした。患者1人の部屋にこんなに長い間いるのもおかしな話であるが、それ以上に今は井園の気持ちを知りたい。
「……あとはプレドニン飲んでから気になることはないのか」
「……ちょっと胸焼けがするかな? だけど先生、ほら見て」
井園はベッドから降りてその場に立った。今まで寝たきりだったのにそこまで回復……ではない。これもプレドニンの効果なのだ。
「プレドニンを飲んで一時的に元気になる患者さんの気持ちが分かった。減らしていくのは本当に大変だけど、今こうやって身体を動かせるのが嬉しい」
銀河も立ち上がり井園の前に行く。
「先生……僕は……」
そう井園が言いかけた時、銀河は彼をゆっくりと抱き寄せた。点滴台が倒れないようにゆっくりと。
「井園……もっと……もっと俺が早く気づいてやれれば……」
「銀河先生……気にしないでください。僕は先生には……先生らしくいてほしい。あの時からずっと僕は……」
ずっと僕は……の後が井園には言えない。
その言葉が聞きたくて銀河は待っていたが、言う気配を感じられない。
銀河は井園を抱きながら彼の背中をゆっくりとさすった。医者である自分にはこうすることしかできない。それでもし……井園からあの言葉が聞けるのであれば。こう期待するのも医者としては間違っているだろうか。
「ありがとう、先生。ありがとう」
それは診療中にも何度も聞いた言葉だった。
なのに今は、その一言だけで心が締めつけられた。
井園は銀河の背中に手を伸ばした。すっかり細くなった井園の腕が身体に触れ、銀河もまた心の中の花が咲いたような気持ちとなった。
そして銀河が部屋を出た後、井園はベッドに腰掛けてドアの方を見ながら言う。
「あの時からずっと……好きなんです……銀河先生」