「うわ、うま……なにこれ、ほんとに人間の食い物か?」
セラフィムは驚愕の声を上げて、スプーンを動かした。白い陶器の皿には、焼いたじゃがいもと野菜のスープ。素朴だが、どこか懐かしい香りが漂う。
「当然です。材料も人間が育て、人間が作ったものですから」
「でもさ、普通の人間の飯ってこんなに美味くないぞ。教会のくせに、なんか特別高級な食材使ってるんじゃないか?」
「……そんなお金はありません。……それは誉めているつもりですか?」
「もちろん。悪魔なりの最上級の褒め言葉だよ。テアの手料理、最高だ」
テアは何も言わず、静かに湯気の立つ自分のスープに口をつけた。
だが、その耳がほんのり赤く染まっていたのを、セラフィムは見逃さなかった。
「なあ、テア。俺が来てから、けっこう日が経ったろ?」
「ええ、たしかに毎日いらしてますね。もはや近所の世話焼きのおばあさんくらいの頻度です」
「そんなふうに言うなって……。で、どうなんだ。俺のこと、少しは気に入ってきた?」
テアはスープを飲む手を止めて、セラフィムをまっすぐに見た。
「……あくまで、奉仕の精神に則って接しているだけです。困っている人を助けるのは神父の務めですから」
「困ってないし、助けてもらってもないけどな……俺」
……確かにそうだった。むしろこちらが無報酬で散々こき使ってたな。
テアはひとまず知らん顔をして意識をスープに戻した。
こんな二人のやり取りは、もうすっかり“日常”になっていた。
最初に現れたときの恐怖も緊張も、いまは不思議なほど無くなっている。
(まるで昔からこうしていたような……)
ときおり、ふと感じるこの既視感。
セラフィムの顔を見ていると、胸の奥が少しだけざわつく。
それが不快な感情ではないことに、テア自身も薄々気づいていた。
「なあ、テア。今日、お前が夢に出てきたんだ」
「ほう……淫魔の夢など、ろくなものではなさそうですね」
「まあ否定はしないけどさ。いい夢だったよ。テアが俺の……」
「叩き出しますよ」
「いや、冗談だって。それよりちょっと変わってたんだよな。夢の中で、テアが俺のことを泣きながら抱きしめてた。
“ごめん”って何度も何度も言ってたんだ」
テアの手が、ほんの一瞬止まった。
「……それは、夢でよかったですね」
「そうか? なんだか懐かしい気がした。
お前と一緒にいるのが初めてじゃない気がするんだよな」
「気のせいでしょう。あなたは淫魔です。
人間の記憶を攪乱する術に自分が翻弄されているのでは?」
テアは冷たく答えたが、内心では別の何かが揺れていた。
(夢に出てきた自分が……謝っていた?)
思い当たることが、ないわけではなかった。
ただ、あれは——前世のことだ。
(……ラファエル)
テアはちらりと男を見やった。
(まさかね。ラファエルは淫魔じゃない……はず)
前世の記憶は曖昧で不確かだ。もしやセラフィムはラファエルの生まれ変わり??
だが、そんな都合の良いことあるわけが無い。テアは黙って食事を続ける。
「……それに俺さ、なんか最近、変なんだよ」
セラフィムがぽつりと呟いた。
「テアの側にいると、体の奥がざわつく。
抱きたくなるけど、それより先に……ただ抱きしめたくなるんだ」
「……やめてください」
テアははっきりと拒んだ。
「あなたの言葉は、心を惑わせる。……私にこれ以上、何か言ったらもう来訪はお断りしますよ」
セラフィムの目が、かすかに揺れた。
「……わかった。もう何も言わない。だから俺を拒むな」
縋るようなその目に引き込まれ、奈落の底に滑り落ちそうだ。
「……そうしてください。後片付けを手伝って貰えますか」
「ああ、任せておけ。テアは座ってて良いぞ」
立ち上がり、遠くなるその背に、テアは切ない感情を覚えた。けれど、何の確証もない。姿形だってラファエルとセラフィムでは全く違う。
「気のせいだ」
テアはそう口に出して、自分の勘違いを諌めた。
翌日。いつものように朝から教会にやって来たセラフィムは、頭からびっしょりと濡れていて、テアは度肝を抜かれた。
「どうしたんです?川にでも落ちたんですか?」
「いや、夜遅くに雨が降っただろう」
「ええ、降ってましたね……え?外にいたんですか?」
「外にいたと言うより俺には家なんてないから。いつも森の木の上で寝てるんだ」
「え?ええ???」
そうなの?悪魔ってそんな感じなの?
「いつもは乾かしてから来るんだが、今日はテアが椅子を作るって言ってたから急いでて……」
己の姿が恥ずかしいのか少し俯いて赤くなっている。テアは初めてセラフィムを可愛いと思った。
(ダメだ!何が可愛いだ!相手は淫魔だぞ?それに僕にはラファエルがいるんだから)
「風邪をひきます。……悪魔が病気になるかは分かりませんが、まずは着替えましょう」
……と、言っても教会にはカソックと呼ばれる神父用の平服しかない。悪魔にこんなものを着せたら溶けて消えてしまったりしないだろうか。
「……とりあえず、シーツでも巻きつけてしのいでください。服を洗って乾かしましょう」
「ああ、分かった」
そう言うなりセラフィムは、潔くシャツを脱ぎ、ズボンに手をかける。
「ちょっ!待って!シーツを持って来ますから!」
「あ、ああ……」
(ほんっとに無神経だな!)
テアは寝室に取りに戻り、洗ったばかりのシーツを持って来て、半裸のセラフィムに投げつけた。