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第4話 ラファエルとの再会

「……そろそろ、出て行かないとな」


晴天が続いたある日、洗濯物を干していたセラフィムが、ぽつりと呟いた。


「え?」


テアは驚いて、手にしていたタオルをぎゅっと握った。


「梅雨、もう明けたろ。約束だからな」


その言葉には、冗談めいた軽さがなかった。

ふざけも皮肉もなく、どこか寂しげで、それがかえってテアの胸をざわつかせた。


「……これから本格的な夏ですよ。あんな日差しの中に出て行って……焼かれて灰になりたいんですか?」


「はは、案外いいかもな。恋に敗れ炎に包まれて消える淫魔、ちょっと詩的じゃないか?」


何が恋だ。

体だけだと、神父を落としたら淫魔の勲章になると。そう言ったのは、自分ではなかったのか。


「……」


「まだ……いてもいいって事なのか?」


テアは一瞬だけ黙り、そして目を逸らした。


「……好きにすればいいです」


「お、今のちょっと優しかったな」


「気のせいです」


「嘘だ。お前、顔に出るタイプだから」


セラフィムはいたずらっぽく笑いながら、そっとテアの頬に手を伸ばした。


「……やめてください」


口では拒絶しながらも、テアはその手を振り払うことはできなかった。

指先が触れるだけで、心が揺れる。


(馬鹿馬鹿しい。こんな淫魔の手管に絆されて)


そう思っているのに、少しずつ近づいて来る整った顔を避ける事が出来ない。魂を抜かれたみたいに、ただその時を待っている。


「テア……」


いよいよ……という所で、テアの耳にドアを開けるような音が届いた。


「……誰か来たみたいです」


「え?」


「礼拝堂のドアです。信者の方かもしれません」


「えー??それ今言う?いいとこだったのに」


セラフィムは、本気で悔しがっている。けれどテアはホッとした思いで礼拝堂に急いだ。


(危なかったー!危うく淫魔の罠にハマる所だった)


この来客は神の導きに違いない。いや、むしろ神かもしれない。道に迷った旅人だったとしても、親切にもてなそう。


「どなたですか?」


テアは礼拝堂にいた男に声をかけた。リュックを背負っているところを見ると、やはり旅人のようだ。


「すみません、人がいるとは思わなくて……旅をしています。一晩の宿をお貸しいただけないでしょうか」


「はい……どう……ぞ?」


聞き覚えのある声。

煌めくような金髪にすらりと高い背丈。


「ありがとうございます」


そう言って振り向いた翠の目は、何度も夢の中で会っていた、ラファエルその人だった。



「——ラファエル……?」


思わず口をついて出た言葉に、テアはハッとして口を噤む。もし本当にラファエルだったとしても、彼が前世の記憶を持っているとは限らないのだ。


……けれど、ラファエルはテアを見て、嬉しそうに破顔した。


「テア」


「……え?記憶が……あるのですか?」


まるで夢を見ているようだった。

テアの指先がわずかに震える。


「……勿論だよ。やっと、見つけた。僕はテアを探すために旅をしていたんだ」


「ラファエル……」


「ようやく会えた」


彼の白く長い指がテアの手を握る。そしてそのまま、テアの小柄で薄い体を抱きしめた。


「会いたかったテア」


「……私もです」




「……テア?それは誰だ?」


セラフィムの声に、テアはハッと我に返った。そして、罪悪感に似たバツの悪い気持ちでセラフィムの方を振り返る。


「……私の……思い人です」


「……そっか、会えて良かったな。部屋を空けるよ」


「……え?」


「もう『梅雨』は明けたし。世話になったな」


微笑みすら見せずに、セラフィムはそう言って背を向ける。


けれど——


「待ってください、セラフィム」


テアは思わず彼を呼び止めていた。……どうして?そんなこと分からない。ただ、ここで彼を帰してしまったら、もう二度と会えない気がしたのだ。


「……出ていかなくていいです。部屋なら他にもあります」


「……本気で言ってるのか?」


セラフィムの声には、いつもの軽薄さがなかった。

驚きと戸惑い、そして……かすかな希望が滲んでいた。


テアはその目を真っ直ぐに見つめた。

視線の奥にあるものを、探すように。


「はい。……貴方がいないと、この広い教会を掃除出来ないでので」


その瞬間、セラフィムがふわりと笑う。そして、背中に黒い翼が大きく広がった


「ちょ!セラフィム!」


悪魔だと知られたらどんな目に遭わされるか分からないのに!

……だが、ラファエルは何も言わない。恐る恐る彼を見ると、その視線はテアに注がれていた。


(もしかして彼にはセラフィムの翼が見えないのかな)


それなら安心だが。

テアは早く羽根をしまうようセラフィムに目で合図する。


……だが、その時

真っ黒なはずの羽根の中に、白い羽根が混じっているのが見えた。


(え?どうして?……いや、それは後だ)


今はとにかくセラフィムを出て行かせないことの方が先決だ。


「テア?彼は誰だい?……もしかすると僕は会いに来るのが遅かったのかな」


ラファエルの言葉に、テアは慌てて手を振った。けれど、『違う』というただ一言が、喉に引っかかって出て来ない。


「……テア、前世僕たちは共にいた。けれど今、君の隣にいるのは、彼なんだろ?」


ラファエルの声音は穏やかだったが、そこには覚悟があった。


「僕は君を迎えに来た。でも、それが君の望むことでないなら、無理強いはしない。君の中に僕がいないなら、そう言ってくれ。僕はこのまま帰るよ」


「……っ」


心が引き裂かれそうだった。


(私の思い人はラファエル。でも……セラフィムの言葉が、行動が、今の私を支えてくれていた)


テアは、自分の中で混ざり合う感情をどうしていいか分からなかった。


「……ごめん、自分でもよく分からない」


震える声で、テアは言った。


ラファエルもセラフィムも、その言葉にしばらく沈黙する。


けれど——


「いいぜ」


セラフィムが、先にそれを破った。


「答えが出るまで、俺はここにいる。最初から叶わないと思ってたんだから、考えてくれるだけでもラッキーだ」


「僕も、本音を言うと、ようやく会えた君を諦めたくはない」


ラファエルも、静かに同じ言葉を返した。




「では……とりあえず夕食にしましょうか」




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