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第5話 ラファエルの正体

その夜、三人で囲む夕食の空気は、とてつもなく重たかった。


ラファエルは昔の話をし、テアは少しずつ、かつての自分を思い出していた。

優しかった。正しかった。すべてを許してくれたラファエル。

そんな彼を自分は心から愛していた。


けれど――


(何かが違う)


だが、テアには、それが何か分からなかった。  






「ラファエル、この部屋を使ってください」


食事が終わると、テアはセラフィムの隣に彼の部屋を用意した。

窓を開け、埃を払い、急いでシーツを整える。


「……テアと同じ部屋では、ダメなのか?」


「……神様の前で不謹慎ですよ。前世、私たちはただの人間でしたが、今世の私は神に仕える身なのです」


「……淫魔と暮らしてるのに?」


「えっ?」


彼は分かっていたのだ。セラフィムの正体を。


「……神は、何人たりとも見捨てません。セラフィムは、闇雲に人を襲うような悪魔ではありませんし」


「そう思ってるのは、テアだけかもよ?」


ラファエルはそう言うと、テアをベッドに押し倒し、両手の自由を奪った。


「ラファエル!一体何を……」


夢の中の彼は、こんな無体な事をする人ではなかった。テアはラファエルの腕から逃れようと、必死に身を捩る。


「君の恋人は僕だ。そうだろう? それなのに、違う男なんか引っ張り込んで」


「違います! 離して!」


暴れても、体格の良いラファエルは一向に動じない。

馬乗りになった彼は、易々とテアのカソックの胸元を引きちぎり、白い喉元をはだけさせた。


「……いい加減にしてください。いくら前世で恋人だったからといって、こんな蛮行許されませんよ」


「でも、ずっと僕に会えるのを待っていたんだろう?」


「それは……」


確かに、そうだけど――。


「あはははは!!」


「ラファエル?」


「テアは面白いな。自分が殺した相手を恋しがって、ずっと待っているなんて。ラファエルがお前を許すはずないだろ」


「……は? どういう意味……」


驚いて見上げると、ラファエルの顔が、見る見るうちに醜悪な悪魔の顔へと変化していく。


「お前!!」


テアはポケットに入れていた十字架を相手の顔に押し付けた。


「うわああっ!!」


押さえつけられていた力が緩んだ隙に、テアは悪魔の下から這い出し、ドアに向かう。

その時、バチン、と音がして、部屋の蝋燭がすべて消えた。


「……おかしいと思った」


この声は――


「セラフィム!」


「テア、床に伏せろ」


テアは言われた通り、その場に蹲って、小さく体を丸める。


「は? なんだよ、お前、同じ悪魔だろ。……うっ?!……ああああああ!!!」


「一緒にするな。胸糞悪いな」


「すまん!! 違うんだ! 俺はただ……うわあああ!!!」


何かが擦り潰されるような音が響き、悪魔の絶叫が響き渡る。それは次第に小さくなり、しばらくして教会は元の静寂を取り戻した。


「もう動いていいぞ」


セラフィムの言葉と同時に部屋に灯りがついた。……けれどさっきの悪魔はもうどこにもいない。


「……セラフィム……」


か細い囁きに、セラフィムは抱擁で応えた。

そして、無惨にも破れてしまったテアの服を見て、不機嫌な顔でため息をつく。


「……悪かった。嫌な匂いがすると思っていたが、言えなかった」


テアがずっと彼を待っていた事を知っていたからだろう。セラフィムは時にとても不器用だ。


「……繕ってください。裁縫、得意なんでしょう?」


そんな風に揶揄ったテアに、セラフィムはようやく笑って、「高くつくぞ」と言った。


「僕に払えるかな……んっ!?」


テアを抱きしめたまま、セラフィムは喰らわんばかりの激しさで、青ざめた唇にキスをした。


「セラ……」


「黙れ」


(どうしよう、息ができない)


テアは、唇を塞がれたまま、ぎゅっとセラフィムの服の裾を握った。


強引で、乱暴で、それなのにどうしようもなく――愛しい。


やがて、セラフィムは息を吐きながら、ようやく唇を離した。


「……っ、何するんですか……」


唇の端が震えるのは怒りか羞恥か、もはや自分でもわからない。


「……ごめん。その格好を見たら怒りで少し取り乱した」


そう言って背を向けようとしたセラフィムの袖を、テアがぎゅっと掴んだ。


「セラフィム……」


その一言に、セラフィムの肩がぴくりと揺れる。


「さっきの悪魔に言われたんです。僕がラファエルを殺したって……」


「……あんな奴の言う事、嘘に決まってる。忘れろ」


「でも……」


(確かに夢の中の僕は、ラファエルに許しを乞いながら泣いていた……)


「寝ろ」


「え?」


「夢に見るんだろ?じゃあひたすら寝てればいつかその場面が見られるんじゃないか?憶測だけで悩んでいても仕方ないだろ」


「……ふふっ」


その一言で嘘のように気持ちが軽くなった。そうだ、寝て待て、だ。


「ありがとうございます」


「……こんな事で礼を言われてもな。本当に感謝してるなら一緒に寝てくれ」


「それはまたいつか」


「……しっかりしてるな。安心した」


それでも以前のテアであれは、もっと剣もほろろにセラフィムの言葉を切り捨てていただろう。


「ありがとうございました。助けていただいたことも含めて」


「まあお礼は言葉より体の方が……痛っ!足を踏むな!」


「あ、失礼しました」


しれっとセラフィムの軽口を中断させたテアは、思ったより落ち着いた気持ちで自分の部屋に戻った。そして早々にベッドに横たわり、今日の事を振り返る。


衝撃ではあった。あんなに会いたかったラファエルが偽物だったのだから。

けれど、自分が考えていたほど傷付いてはいない。


……そもそも会えた時は喜びより戸惑いの方が大きかった。それはどうしてなのか……。


「僕はいつの間にかセラフィムを好きになってしまったんだろうか」


静かな部屋で発した独り言は、思ったより響いて、テアは慌てて口を噤んだ。


もし、本当のラファエルが現れたら。自分はどうするだろう。どうしたいのだろう。


けれど、いくら考えても、その答えは見つかりそうになかった。

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