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「もう一度」の約束から、十ヶ月後。
寝たきりの状態となったクロエの元を、訪れる者があった。
スティーブである。
きらめいていた金髪はくすんで荒れ、所々白く傷んでいる。
輝くサファイアブルーの瞳は、その片方を長い前髪と眼帯で覆われ、その下には頬まで走る傷があった。
腕にも脚にも、逞しい筋肉が付いている。
細く気品に満ちた姿からは見違えるほど、強靱で野性的な体付きだ。
そして。
彼の身体中、至る所に、切り傷や火傷の痕が残っていた。
「クロエ、久しぶり。随分待たせてしまったな」
返事は、ない。
その瞼は、依然として固く閉ざされたままだ。
「だが、待っていてくれて、よかった。君も、頑張ってくれていたんだな」
スティーブは、眠るクロエの髪を優しく撫でる。
「私も……少しだけ、頑張ったんだ。だから」
そうしてスティーブは、懐から小さな瓶を取り出す。
中には、光を反射して七色に光る、不思議な液体が入っていた。
「――私に、どうか、ご褒美をくれないか?」
スティーブは小さな瓶の蓋を開けて、その中身を一気に
液体を口に含んだまま、クロエの乾いた唇に、自身の唇を触れ合わせた。
(同意もなく口づけをすること……許してほしい)
スティーブは心の中でそう謝罪すると、クロエの唇を、自身の唇で割り開いていく。
口の中の液体をクロエに少しずつ流し込んでいくと、彼女は黒いまつげを僅かに震わせた。
長い長い口づけを終え、スティーブは身を起こす。
そして、婚約者の瞼が開くのを、ただじっと待った。
待つ。
ただ、じっと、静かに。
クロエの傍らで。
目をそらさずに。
ただじっと、待つ。
口づけから、どれくらいの時が経ったか。
ようやく、ルビーのような美しい瞳が、姿を見せた。
「……クロエ……!」
クロエはゆっくりと瞬きをして、目の前にいる逞しい美丈夫を見た。
渇ききった喉は言葉を発せず、瞬きを繰り返す。
「クロエ、体調はどうだ? 水を飲むかい?」
クロエはかすかに頷くと、細い飲み口のついた水差しから、少しずつ、ゆっくりと水を飲む。
「貴方は……」
ようやく出るようになった声は、掠れて弱々しいが、はっきりとしていた。
「目が覚めて、良かった。身体の調子はどうだい?」
「ええ……こんなに調子がいいのは、久しぶりですわ」
「ああ……! 本当に良かった……!」
スティーブは、感極まって、目元を押さえた。
クロエは、それをあたたかな眼差しで見つめる。
「お約束通り……もう一度、来てくださったのですね」
「君は……私が誰だか、分かるのかい? 随分変わってしまったと思うのだが」
スティーブの顔つきも身体も、たった十ヶ月にもかかわらず、非常に精悍になっている。
その上、服装も王子然とした豪奢なものではなく、騎士の着るような、飾り気がなく動きやすいものを着用していた。
ここへ通してくれた公爵も、彼が王家の紋章を見せるまで、スティーブだと気づかなかったぐらいだ。
しかし、クロエは自信たっぷりに断言する。
「いいえ、変わっていませんわ。わたくしの大好きだった、あの頃と同じです。空のように澄んだ、綺麗な目。お日様のように優しい笑顔」
そう言って、クロエは破顔した。
子供の頃のように。柔らかに、嬉しそうに。
「――スティーブ殿下……おかえりなさいませ」
「……ああ、ただいま。ただいま……!」
スティーブは、クロエの手を取り、優しく握る。
細くて折れてしまいそうな手だが、その手は確かに温かかった。