ダンジョンへと向かう送迎車に揺られながらウトウトとしていたヘイデンは、助けを求めるような女性の小さな声にハッと意識を取り戻した。
「やめて下さい!」
「今更貞操を気にできるような立場じゃないだろ?」
ヘイデンは背もたれからさっと起き上がって立ち上がると、隣の席に座っていた女性の腕を掴んで自分の席に引っ張り込み、代わりに自分が元々女性の座っていた席にドサッと腰掛けた。
「あ? なんだテメェ?」
「痴漢現場を見過ごすわけにはいかないだろ?」
「なんだと? 自分だって犯罪者のくせに、義賊ぶってんのか?」
「俺は犯罪者じゃない。お前と違ってな」
「はぁ?」
女性にちょっかいをかけていた男はモジャモジャの眉根を曇らせてヘイデンを睨みつけたが、この場で大っぴらに騒ぐとこの後の仕事に支障が出る可能性を鑑みて、チッと舌打ちしてからヘイデンに背中を向けて目をつぶった。
「……あの、ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず」
助けられた女性は、ヘイデンのカラッとした男らしい雰囲気や、短い金髪の下の整った彫りの深い顔立ちにぼうっとなったように少しの間じっと彼のことを見つめていた。
「……? 何か?」
澄んだ青い瞳で見つめられて、女性は途端に頬をぱっと赤く染めた。
「いえ! 不躾な真似をして申し訳ありませんでした! その、犯罪を犯していないのにダンジョンに向かわれるのですか?」
何百年も人が足を踏み入れなかった辺境の奥地に開発の手が入ったことによって、その存在が明るみに出ることとなった地下迷宮。そこに眠る数々の貴重な宝物を得ようと、かつて大勢の冒険者たちが複数ある入り口からダンジョンに挑み、地下迷宮大開拓時代が幕を開けた。しかし手近な宝物があらかた発掘され尽くした後、より深淵を目指した冒険者たちは次々と危険なダンジョンの餌食となり、大開拓時代は大勢の犠牲者を出すという悲惨な末路を辿ることとなった。そのためダンジョンの開発は現在、官営組織であるダンジョン開発機構が一任しており、組織の指揮のもと主に報奨を希望する犯罪者を使って行われていた。
「そうです。自ら志願して来たんです」
「今時珍しいですね。危険を犯したところで目当ての宝物が手に入る保証もないし、コスパが悪過ぎて最近は犯罪者くらいしか志願者はいないと聞いていたのですが……」
「そうなのですか? 俺は田舎者で情報弱者でして。でも一攫千金の夢は今も変わらずそこにありますよね」
女性は何か答えようと口を開きかけたが、送迎車が急にガタンと揺れてその場で停止したため、不安そうな表情を浮かべて口をつぐんだ。
「着いたぞ。全員車から降りるんだ!」
運転手の怒鳴り声と共に前方にある扉がシューッと音を立てて開き、ヘイデンは小さく震えている女性を支えるようにして、一緒に送迎車から辺境の大地へと降り立った。
(へぇ、これがダンジョン開発機構の拠点地か)
鬱蒼と茂る森の手前に、点々と簡易的な宿舎がいくつも立ち並んでいる。ベースキャンプというには豪華だが、田舎の宿泊施設というには少しみすぼらしい。
「ダンジョン開発は班ごとにリーダーの指示に従って行うのだそうですけれど、リーダーによってその内容は大分変わるのだそうですよ」
「と言いますと?」
「潜るダンジョンの場所や深さは付いたリーダーによって違うそうなのです」
(そうか、自由に好きな場所を開拓できるわけじゃないんだな)
「お~い、そこのあんた! 聞いてるか?」
不意にどこからともなく気の抜けるような男の声が聞こえて来て、ヘイデンと女性は思わず声のした方を二人同時に振り返った。
(あっ、あれは……!)
ダンジョン開発機構の紋章が入ったカーキ色の作業着姿の若い男が、茶色いコルクのバインダーを持ち上げてこちらに向かって手招きしている。癖のある肩ぐらいまで伸ばした黒髪を後ろで一つに束ねていて、高い身長を持て余すかのように少し猫背に背中を丸めてヘラッとした笑顔を浮かべている姿には緊張感というものが全くもって感じられなかったが、つい先ほど女性が話していたここのリーダーの一人であることは間違いなかった。
「そこのあんたのことだよ」
「え、私ですか?」
「そう、女性は全員俺の担当だから」
明らかにオーラの感じられないリーダーの姿を見て、女性は心配そうにヘイデンの顔を見上げてきた。ヘイデンは女性を元気づけるように頷くと、一緒にそのやる気のなさそうなリーダーの前までついて行ってやった。
「は~い、名前と年齢を言って下さ~い」
「は、はい。ローズと申します。二十三歳です」
「はいはい、ちょっと待ってね……うんうん、分かった、ローズね。それじゃあ今日から一ヶ月間よろしくね」
ダンジョン開発は過酷な業務であるため、志願者たちが連続で従事できる期間は一ヶ月間と定められていた。
(つまり俺は一ヶ月という短い期間で、希少価値のある高価な宝物をここで発掘する必要があるってことだ)
「そっちのシュッとした君もついでにどこの班か確認してやるよ。名前は?」
「あ、ヘイデンと申します。歳は二十歳になります」
「はいはいっと……ん? おかしいな。ヘイデンなんて名前は罪人リストに載ってないぞ?」
「おいイーサン! 今ヘイデンって言ったか?」
コルクのバインダーに挟んだ紙をパラパラとめくっていたリーダーことイーサンは、声をかけてきた大柄な別のリーダーに困ったような表情でバインダーをかざして見せた。
「俺が見落としたかな。確認してくれよ」
「大丈夫だ。そいつに犯罪歴は無い。うちの班で預かることになってるから後は任せな」
それを聞いた瞬間、今までヘラヘラしていたイーサンの紫色の瞳の奥に、急に怪しい光がチラリと宿った。
「一般の志願者なのか?」
「ああ、ここ最近じゃとんと見ない、国宝級の天然記念物だ」
「へぇ~、そうなのか。ふうん……」
(ん? 急にどうしたんだ?)
イーサンはまるで品定めでもするかのような視線でざっとヘイデンを上から下まで眺めた後、コルクのバインダーを大柄なリーダーに押し付けていきなりヘイデンのシャツの胸元をガシッと両手で掴んだ。
「えっ?」
ブチブチブチッ! と勢いよくボタンを引きちぎりながら、イーサンはヘイデンの前開きの白いシャツの前面をばっと開放した。
(えええええええ~!!!?)
あまりのことに呆然とその場に立ち尽くしているヘイデンとローズの前で、イーサンはじっくりと綺麗に割れたヘイデンの腹筋を観察していた。
「うん、いいね。合格! こいつは俺の所で預かるわ」