私は部屋の窓から満月に向かい、カザエルの市場で買ったブレスレットを月の光にかざして見た。それは青く煌めき、テイラーのブレスレットを思い起こさせた。青い輝きは、テイラーのブレスレットの深い湖のような青とそっくりで、胸がドキリとした。それは二人のブレスレットがお揃いのようで胸が躍った。
(綺麗だわ・・・)
今日はお金を盗まれたり、テイラーに助けてもらったり、ドミトリーの騎士団に出会ったりと色々なことがあった。目まぐるしい一日だったけれど、このブレスレットが手元にあるだけで全部帳消しになった。でも、ドミトリーの騎士団がテイラーを追っているなら、彼は本当に危険な人?でも、あのグレーの瞳は信じられる気がした。私は軋むベッドに横になると、ブレスレットを胸に抱いて眠りについた。遠くに騎士団の蹄の音が聞こえたような気がした。
(おやすみなさい、テイラー)
その夜、私は夢を見た。懐かしい夢だ。
バイオリンが軽やかなワルツを奏でる。華やかなドレスで着飾った大人たちのざわめきが、私たちを包んだ。振り仰いだ天井にはクリスタルのシャンデリアが煌めき、バルコニーから見下ろした庭園には黄色い薔薇が咲いていた。それは私のドレスと同じ色でとても美しかった。
くるくるくるくる。
楽しいね
目が回っちゃう
私は小さな男の子にエスコートされ、ワルツを踊っていた。彼がぎこちなく私の手を引いた。その顔はもう覚えてはいないけれど、左手には光るブレスレットがあった。
「ブレスレット!?」
私は自分の声で目を覚ました。その男の子の左の手にはシルバーのブレスレットが光っていた。ただ、貴族ならば誰でも家紋の入ったブレスレットをしている。
(あの子のブレスレットの家紋はなんだったかしら)
家紋は剣か翼のような模様だった気がするけど、記憶がぼやけていた。テイラーのブレスレットが気になり、私は古びたチェストの奥から、蔦模様のブレスレットを取り出した。アナベル伯爵家に代々伝わるゴールドのブレスレットだ。柘榴のような深紅の貴石がひとつあしらわれていた。
(お母様・・・なんで亡くなってしまわれたの)
私は床に崩れ落ちて涙を流し、押し寄せる孤独に飲み込まれそうになった。その瞬間、テイラーのグレーの瞳やロレッタの抱擁が頭をよぎった。
(大丈夫よ、私は一人じゃないわ)
私は目尻の涙を拭うと、夜着から質素なワンピースに着替え、エプロンを結ぶと木靴を履いた。カポカポと音を立てて階段を降りると、おはよう、とロレッタが笑いタルトの切れ端をそっと渡してくれる。
「はい、これがいっぱいになるまで帰って来るんじゃないよ」
「分かりました!」
私は、両手いっぱいのバスケットを抱えて森へと向かう。いつもと同じ朝を迎えた私は、茂みに屈み込んで木の実を集めた。けれど木の実を摘みながら、テイラーのブレスレットや、騎士団の探すグレーの目の人物。その言葉が頭をよぎった。
(テイラーはなにをしたんだろう・・・?)
木の実のバスケットが半分くらいになった頃、朝靄の中、森の奥から馬の蹄の音と鎧の重い音が近付いてきた。私は昨夜の恐怖を思い出し、身構えた。
(・・・あ、蔦の葉っぱ!)
私は慌ててポンチョのフードを被った。その騎士団の蔦の葉の紋様は、伯爵家で見たカザエル王家の旗と同じ国のものだった。
(昨日の騎士団とは・・・・別の人たちだ)
白馬の騎士が私を見下ろして、娘に聞きたいことがある、と低い声で尋ねてきた。その声は深い森に吸い込まれた。
「なんでしょうか?」
「街で貴族の娘を見たことはないか?」
私は、それが自分のことを指していることを瞬時に悟った。私は指先についた泥を頬に塗りながら、義母に捕まったら自由が終わる・・・と心臓が早鐘を打った。私は目を伏せた。
「貴族のお姫さんには、会ったことはないです」
私は言葉遣いを、街の人々に似せた。騎士は鋭い目線で私を爪先から頭まで確認するように見た。けれど見窄らしい身なりの私は、到底伯爵令嬢だとは見えなかったらしく、そうか、失礼した と朝靄の中へと消えて行った。私は、騎士団が朝靄に消えるのを見届け、震える手でバスケットを抱え、森を後にした。
(あぁ、驚いたわ!私を探しているなんて!)
私は肝を冷やし、バスケットはいっぱいにならなかったが森から出た。石畳に木靴の音が響き、ロレッタの店へと駆け込んだ。扉を閉め、ようやく息をついた。
「おかえり」
「ただいま、木の実、それだけしかなかったの」
ロレッタは私の顔が泥だらけなことに気付き、あぁ、あんた転んだのかい?洗っておいで。と背中を叩いた。ロレッタは笑ったが、私の震える手に目を留め、何かあったかい?と尋ねた。
「森の中で騎士団と出会ったの」
ロレッタは、あぁまたかい。と大きな溜め息を吐きながら、バスケットの中の木の実を選り始めた。
「今度はドミトリーの国の騎士団じゃなかったの」
「そうなのかい?賑やかだね、で?どこの騎士団だったんだい?」
「カザエルの騎士団だったの」
それを聞いたロレッタは手を止めた。
「そういや、丘の上の伯爵様がお嬢様を探しているらしいよ」
「・・・え」
まさか、ロレッタがそのことに気付いているのではないか?喉がすぼまり、伯爵家の鳥籠に閉じ込められた日々がよみがえった。テイラーのブレスレットを握り、自由を守ると誓った。ところがロレッタは腰に手を当てて笑い飛ばした。
「伯爵様のお嬢さんがこんな下町にいる訳ないじゃないか!」
「・・・そ、そうですね」
私に無関心だった父親が探す筈などないと思った。ロレッタが窓の外をちらりと見て、騎士団がまだうろついてるよ。と呟いた。