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第3話 王家の石

 私は緊張と興奮で震える足で、ドミトリーの商人のテントを訪れた。露天商の男性は、片言言葉で、大丈夫かい?布袋は戻って来たのかい?と心配そうな顔をした。


「心配してくれてありがとう」


 私が、私が勤めるお店に来るお客さんが助けてくれたの。と話すと、彼はまるで王子様みたいだな!と笑い飛ばした。


「その人、あなたと同じドミトリーの国の言葉訛りがあったわ」

「そうか、行商人の息子かなにかかな?」

「あなたの目は黒いのね」


 ランタンに照らされた露天商の目は、黒曜石のように艶やかな黒い瞳をしていた。露天商の男は私の顔をまじまじと見た。


「カザエルの国の髪や目の色は小麦色が多いんなんだな」

「そ、そうね」


 私は思わずポンチョのフードを被った。私の髪はブロンドで金色の瞳をしている。この髪や瞳の色は、アナベル伯爵家独特のものだった。フードを被りながら、華やかな舞踏会や伯爵家での暮らしを思い出した。私は気を取り直して、行商人の顔を見つめた。


「綺麗な黒色。ドミトリーの人の瞳はみんな黒色なの?」


 行商人は目を細めると肩をすくめた。


「いや、王家の人間は違う色をしているって聞いたことがあるな。俺っちみたいな下々のモンは見たことがないがね!」


 私は、ドミトリーの瞳の色の話を聞いて驚いた。ドミトリー訛りのテイラーの瞳に特別な印象を受けた。もしかしたら、色彩異常(アルビノ)の病気かもしれないと気の毒に思った。けれど、なぜかあの瞳が忘れられなかった。


「お嬢ちゃん、ブレスレットはどうするかい?」

「もちろん買うわ!」


 私は5ルクスの硬貨を露天商に手渡すと、取り置いてもらっていたブレスレットを手首にはめた。ブレスレットを手に取ると、テイラーのグレーの瞳が頭をよぎり、胸が小さく高鳴った。それはランタンの明かりの下でキラキラと煌めいたが、やはりテイラーのブレスレットような深い湖の青ではなかった。


(・・・・石が違うのかしら)


 その時、ロレッタが言っていた、偽物が多いから気をつけな。という忠告を思い出した。


「おじさん、これ本物の石?ガラス玉じゃないの?」


 露天商は慌てた素振りもなく、これは王家の石を加工した時に出るハンパもんさ、偽もんじゃないぜ。と説明した。


「王家の石は滅多に出回らないぜ」

「王家の石って何?」


 私はブレスレットをカザエルの市場の明かりにかざした。


「ドミトリーじゃ、昔からこんな言い伝えがあるんだ」

「言い伝え?」

「王家の石は、不思議な力があるって言うぜ」

「不思議な力?」

「”他人の心を読める”んだと」


 私は露天商の眉唾物の言葉に、じゃあおじさんは私の心が読めるの?と同じようなブレスレットを手にして押し付けた。


「わ、わかんねぇよ」

「ほら!やっぱり嘘だ!」


 露天商はそっぽを向いて苦笑いをした。けれど私には、王家の石であろうがなかろうが、そんなことはどうでも良かった。グレーの瞳のテイラーとお揃いのブレスレットと出会えたことが嬉しかった。


「ありがとう、おじさん!」

「お嬢ちゃん、気をつけて帰るんだよ!」


 私は、テイラーのグレーの瞳を思い出し、ブレスレットを握りしめた。まるで彼と繋がっている気がした。賑やかで楽しげな音楽が流れ、ランタンに色鮮やかなフラッグが風に揺れた。焼き甘栗の店には長い行列が出来ていた。


(ロレッタへのお土産は今度にしよう)


 甘栗の香ばしい匂いには後ろ髪が引かれたが、布袋を盗まれた瞬間が頭をよぎり、急に人混みが怖くなった。一刻も早く、ロレッタの店に帰りたかった。


「早く、早く!早く帰ろう!」


 ランタンの光が石畳に揺れ、遠くで馬車の鈴が響く中、私は木靴を鳴らして走った。ロレッタの店まであと少しというところで、黒い影が揺らめいた。市場の喧騒の中で、遠くから重い蹄の音が聞こえ、胸に嫌な予感がした。私はその気配に足がすくみ、身動きが取れなかった。すると暗闇から馬のいななきと、蹄の音が聞こえた。数名の騎士団が私を囲んだ。その紋章はカザエルのものとも違い、見たことのない剣と翼の模様だった。


(・・・・な、なに!?)


 ひとりの騎士は馬から降り石畳に膝を付くと、私の手を取り軽く口付けた。騎士の手が私の手を握った瞬間、義母の冷たい視線が頭をよぎり、息が詰まった。それは貴族に対する仕草で、私は伯爵令嬢であることがバレているのではないかと心臓が激しく波打った。ブレスレットの石がランタンの光に揺れた瞬間、騎士の一人がちらりと私の手首を見た気がした。その騎士は、重く低い声で私の顔を覗き込んだ。


「お嬢様、そのブレスレットはどこで手に入れられたものですか?」


 その時、露天商が話していた、王家の石のことを思い出した。リーダーの騎士が私のブレスレットを鋭い目で見た。


(この人たちって、ドミトリーの騎士団なの?)

「あの、カザエルの市場の露天商で買いました」


 私が恐る恐るカザエルの市場を指差すと、数騎の騎士団がそちらへと向かって行った。


(伯爵令嬢だとバレたらどうしよう)


 私は頭が真っ白になった。現れた騎士団の姿にカザエルの市場の空気は一変し、人々はその行く先々で道を開けた。商人たちが囁き合い、子供たちが母親の後ろに隠れた。リーダーと思われる騎士は、低い声で、まるで試すように私に尋ねた。


「グレーの目をした男性をご存知ないでしょうか?」

「・・え」


 もしかしたら、テイラーはなにか犯罪を犯して逃げているのかもしれない。布袋を取り返してくれた時も、騎士団の蹄の音で逃げるように人混みに消えた。私は咄嗟に、これは正直に答えてはいけない事だと思った。彼の名前を伝えないことで、テイラーを守れるような気がした。


「いえ、知りません」


 一瞬、黒い瞳が鎧の中で光ったような気がした。


「分かりました、気をつけておかえり下さい」

「あ・・・ありがとうございます」


 騎士団がカザエルの市場に消えるのを見届け、私は震える足でロレッタの店に向かった。私の帰りが遅く心配したロレッタが、街灯の下まで迎えに来てくれていた。その顔は引き攣り、不安げな表情で私を抱き締めた。その温もりは、私の緊張の糸をほぐした。


「サラ、大丈夫かい?」

「遅くなってごめんなさい」

「いいや、無事なら良いんだよ。私もついて行けば良かったね」


 ロレッタは遠くの鎧の紋章を睨み、あれはドミトリーの騎士団だ。カザエルで何の用だい、と呟いた。


「・・・・ドミトリー」

「ああ、そうだよ」


 遠くで騎士団の蹄の音が響き、市場のざわめきが不気味に静まった。ブレスレットの石が街灯にきらめき、テイラーのグレーの瞳が頭をよぎった。

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