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第2話「楽しさ優先、悟の距離感」

 その日も、大学の中庭には春の陽射しが穏やかに降り注いでいた。昼休み、いつもの学食ではなく、中庭のベンチで昼食を取ろうと悟が提案した。すっかり大知との距離を縮めた悟は、楽しげにコンビニ袋を掲げる。

「ジャンク飯でも食おうぜ!たまには外も気持ちいいぞ」

 大知は笑顔で頷いた。

「うん、天気もいいし、外の空気が気持ちいいね」

 二人は木陰のベンチに座り、コンビニおにぎりやカップスープを広げ始めた。

「でさ、趣味とかって何かある? ゲーム?映画?アウトドア?」

 悟は目を輝かせて話題を振った。彼は「まずは楽しさ重視」が信条で、人と仲良くなるときも基本はそこから入る。大知は少し考えてから、ゆっくりと答えた。

「映画は好きだよ。特にヒューマンドラマとか、静かな作品をよく見るかな」

「へえー、意外だな!もっとバリバリのアクション好きかと思った!」

「アクションも面白いけどね。でも、人と人が少しずつわかり合っていく話が好きかな」

 悟は一瞬だけ黙り込んだ。

 その答えは、彼の想定よりも少しだけ深かったのだ。

「……なんかさ、大知って、妙に落ち着いてるよな。歳、オレらとそんな変わんないのに」

「うーん。落ち着いてるわけじゃないと思うよ。ただ、楽しいことばかり追いかけてると、大事なことを見落としそうで怖くなる時があるんだ」

 その言葉に悟は少しだけ目を見開いた。自分が無意識に避けてきた感情を、目の前で自然に言葉にされているような感覚。

「……はは、大知、そういうのズルいわ」

「ズルい?」大知が首を傾げる。

「うん。そういう、なんていうか……真面目なことをサラッと言えるの、ズルい。普通なら説教臭くなるのにさ。今の話聞いても嫌な気分にならないんだもん」

 大知はふっと微笑んだ。

「それは悟くんが素直だからだよ。ちゃんと聞こうとしてくれるから」

「やめろよ、その包み込む感じ……!なんか懐に入ってくるのうま過ぎるって!」

 悟は大げさにのけぞって笑った。冗談めかしつつも、その内心では微妙な感情が芽生えつつあった。

(大知って……もしかして、俺よりずっと器用なんじゃないか?)

――

 一方その頃、キャンパス裏手のカフェでは、亜紀と朋子が向かい合って座っていた。

「で、どう? 転校生くん、順調に人気者だわよ」

 朋子がカフェラテを啜りながら言うと、亜紀は薄く笑った。

「順調すぎて、ちょっと面白いくらい。あの自然体、どこまで計算なのか気になってるところ」

「やっぱりそう思う?私もあの“魔性”ぶりは少し観察対象ね」

 亜紀はカップをゆっくり回しながら小さく頷く。

「でも、面白いのはね……。本人、多分あまり自覚してないわ」

「無意識の魔性ってわけ?」

「たぶん。でも、その方が始末が悪いのよね」

 二人の視線の先、ガラス窓越しに見える中庭のベンチでは、悟と大知が楽しそうに笑い合っていた。




 カフェの窓越しにその光景を眺めながら、朋子は唇を少し尖らせた。

「まあ、悟がああやってすぐに距離詰めるのは、今に始まったことじゃないけどさ」

 亜紀が肩をすくめる。

「でも今回ばかりは、悟の方が飲み込まれてる感じね。あの微妙なバランス感覚、大知くんすごいわよ」

「確かにね……ああいうタイプは同性からも好かれるって珍しいのよ。普通、女子にだけモテるとか、男子から反発買うとか、どっちかに偏るものなのに」

 亜紀はくすくすと笑う。

「“魔性”ってそういうものよ。恋愛感情に限らず、人を引き寄せる重力みたいなもの。近づきすぎると自分でも抜け出せなくなる」

 朋子はわずかに表情を引き締めた。

「面白がってる場合?……正直、ちょっと焦るのよね。ああいう“持ってる人”が現れると、自分の立ち位置が揺らぐ気がして」

「ふふ、相変わらず野心家ね。でも、その正直さは嫌いじゃないわ」

 朋子は小さく息を吐いた。

「まあ、今のうちに観察しておくわ。どう動くにしても、早い方が有利だもの」

――

 その後、授業が終わった放課後。学内の空き教室にて。

 悟が声を弾ませる。

「なあ大知、今度の週末ヒマ?ちょっとしたサークルのレクに行こうぜ!」

「サークル?」

「うん。バーベキューやるらしいんだよ。知り合い増えるし、せっかくだからさ!」

 大知は少しだけ考えた。人と関わるのは嫌いではないが、多すぎる人数の中では居心地の悪さを感じる時もある。だが悟の瞳は期待に満ちていた。

「うん、じゃあ参加してみるよ」

「マジ?やった!」

 その横で将吾が半眼で見ていた。

「お前ら、また軽く誘ってんな……まあ、バーベキューならいいけどな」

 大知がふと将吾を見て微笑む。

「将吾くんも来る?」

「……別に断る理由もねえし。肉食えるならいいさ」

 悟がニヤニヤしながら将吾の肩を叩いた。

「ほらな、大知効果だよ!」

 将吾はむっとしつつも、まんざらでもなさそうだった。

――

 迎えた週末。河川敷の広場に集まったのは総勢二十人ほどの学生たち。バーベキューコンロの煙が青空に溶け、ジュージューと肉が焼ける音が響いていた。

「いい匂いする〜!」

 悟は早速テンションを上げ、皿を持って大知を引っ張り回していた。

「ここの焼きそば、先輩の得意技なんだぜ!」

 先輩の作る焼きそばを受け取ると、大知は笑顔で軽く頭を下げる。

「ありがとうございます、すごくおいしそうです」

 その姿に先輩たちも自然と頬を緩める。程よい礼儀と柔らかさが、初対面でも壁を作らせない。

「なあ、君いい奴だな!悟が言ってた通りだわ!」

 いつの間にか会話の輪が広がり、大知の周りに人が集まっていった。まるで自然と中心に据えられていくような光景。

 それを離れた場所で見ていた朋子は、缶ジュースを手にぽつりとつぶやいた。

「……やっぱり本物だわ、あの磁力」

 隣の亜紀がまたクスクスと笑う。

「近づきすぎないように注意しないとね」




 陽が傾き始めたころ、食事が一段落すると自然と小さな輪がいくつもできていった。笑い声、雑談、たわいないゲーム。そんな中、悟がぽつりと大知に言った。

「な?こういうの、楽しいだろ?」

「うん。すごく楽しいよ」

 大知は本心からそう答えた。しかしその奥底に、ごくわずかな寂しさのようなものも滲んでいた。

 悟はそれに気づいたわけではなかったが、ふと思い直したように言葉を続ける。

「でもさ、大知。たまには無理しないで、つまんねえ時はつまんねえって言っていいんだぜ?」

「え?」

「いや、何となくさ。お前って、空気読んで人に合わせるのがうますぎる気がして。もちろん悪いことじゃないけど、時々は自分の楽しさ優先してもいいと思うんだよな」

 大知は少し驚いた顔をした後、柔らかく目を細めた。

「ありがとう。……悟くんは、時々核心を突くね」

「えー!?今度はオレがズルいって言われるパターンかよ!」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 その様子を遠巻きに見ていた将吾は腕を組んで唸った。

(なんかよくわかんねえ奴だけど……あいつと悟の距離、ほんと不思議だな。何かあっても絶妙に嫌味にならねえし)

 さらに離れた木陰では、朋子と亜紀が静かに観察を続けていた。

「まさか悟が“気遣い”なんて言葉を使う日が来るとはね」

「ふふ、あの大知くん、相手の懐に入り込むんじゃなくて、知らないうちに“自分の中心”に引き込んでるのよ」

「確かに。……魔性ね。本当に」

 朋子は軽く肩をすくめたが、その視線には焦りとも嫉妬ともつかぬ複雑な色があった。

 こうしてまた、大知を中心とした奇妙な磁場は、静かに広がり続けていった。

(第2話 完)


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