その日も、大学の中庭には春の陽射しが穏やかに降り注いでいた。昼休み、いつもの学食ではなく、中庭のベンチで昼食を取ろうと悟が提案した。すっかり大知との距離を縮めた悟は、楽しげにコンビニ袋を掲げる。
「ジャンク飯でも食おうぜ!たまには外も気持ちいいぞ」
大知は笑顔で頷いた。
「うん、天気もいいし、外の空気が気持ちいいね」
二人は木陰のベンチに座り、コンビニおにぎりやカップスープを広げ始めた。
「でさ、趣味とかって何かある? ゲーム?映画?アウトドア?」
悟は目を輝かせて話題を振った。彼は「まずは楽しさ重視」が信条で、人と仲良くなるときも基本はそこから入る。大知は少し考えてから、ゆっくりと答えた。
「映画は好きだよ。特にヒューマンドラマとか、静かな作品をよく見るかな」
「へえー、意外だな!もっとバリバリのアクション好きかと思った!」
「アクションも面白いけどね。でも、人と人が少しずつわかり合っていく話が好きかな」
悟は一瞬だけ黙り込んだ。
その答えは、彼の想定よりも少しだけ深かったのだ。
「……なんかさ、大知って、妙に落ち着いてるよな。歳、オレらとそんな変わんないのに」
「うーん。落ち着いてるわけじゃないと思うよ。ただ、楽しいことばかり追いかけてると、大事なことを見落としそうで怖くなる時があるんだ」
その言葉に悟は少しだけ目を見開いた。自分が無意識に避けてきた感情を、目の前で自然に言葉にされているような感覚。
「……はは、大知、そういうのズルいわ」
「ズルい?」大知が首を傾げる。
「うん。そういう、なんていうか……真面目なことをサラッと言えるの、ズルい。普通なら説教臭くなるのにさ。今の話聞いても嫌な気分にならないんだもん」
大知はふっと微笑んだ。
「それは悟くんが素直だからだよ。ちゃんと聞こうとしてくれるから」
「やめろよ、その包み込む感じ……!なんか懐に入ってくるのうま過ぎるって!」
悟は大げさにのけぞって笑った。冗談めかしつつも、その内心では微妙な感情が芽生えつつあった。
(大知って……もしかして、俺よりずっと器用なんじゃないか?)
――
一方その頃、キャンパス裏手のカフェでは、亜紀と朋子が向かい合って座っていた。
「で、どう? 転校生くん、順調に人気者だわよ」
朋子がカフェラテを啜りながら言うと、亜紀は薄く笑った。
「順調すぎて、ちょっと面白いくらい。あの自然体、どこまで計算なのか気になってるところ」
「やっぱりそう思う?私もあの“魔性”ぶりは少し観察対象ね」
亜紀はカップをゆっくり回しながら小さく頷く。
「でも、面白いのはね……。本人、多分あまり自覚してないわ」
「無意識の魔性ってわけ?」
「たぶん。でも、その方が始末が悪いのよね」
二人の視線の先、ガラス窓越しに見える中庭のベンチでは、悟と大知が楽しそうに笑い合っていた。
カフェの窓越しにその光景を眺めながら、朋子は唇を少し尖らせた。
「まあ、悟がああやってすぐに距離詰めるのは、今に始まったことじゃないけどさ」
亜紀が肩をすくめる。
「でも今回ばかりは、悟の方が飲み込まれてる感じね。あの微妙なバランス感覚、大知くんすごいわよ」
「確かにね……ああいうタイプは同性からも好かれるって珍しいのよ。普通、女子にだけモテるとか、男子から反発買うとか、どっちかに偏るものなのに」
亜紀はくすくすと笑う。
「“魔性”ってそういうものよ。恋愛感情に限らず、人を引き寄せる重力みたいなもの。近づきすぎると自分でも抜け出せなくなる」
朋子はわずかに表情を引き締めた。
「面白がってる場合?……正直、ちょっと焦るのよね。ああいう“持ってる人”が現れると、自分の立ち位置が揺らぐ気がして」
「ふふ、相変わらず野心家ね。でも、その正直さは嫌いじゃないわ」
朋子は小さく息を吐いた。
「まあ、今のうちに観察しておくわ。どう動くにしても、早い方が有利だもの」
――
その後、授業が終わった放課後。学内の空き教室にて。
悟が声を弾ませる。
「なあ大知、今度の週末ヒマ?ちょっとしたサークルのレクに行こうぜ!」
「サークル?」
「うん。バーベキューやるらしいんだよ。知り合い増えるし、せっかくだからさ!」
大知は少しだけ考えた。人と関わるのは嫌いではないが、多すぎる人数の中では居心地の悪さを感じる時もある。だが悟の瞳は期待に満ちていた。
「うん、じゃあ参加してみるよ」
「マジ?やった!」
その横で将吾が半眼で見ていた。
「お前ら、また軽く誘ってんな……まあ、バーベキューならいいけどな」
大知がふと将吾を見て微笑む。
「将吾くんも来る?」
「……別に断る理由もねえし。肉食えるならいいさ」
悟がニヤニヤしながら将吾の肩を叩いた。
「ほらな、大知効果だよ!」
将吾はむっとしつつも、まんざらでもなさそうだった。
――
迎えた週末。河川敷の広場に集まったのは総勢二十人ほどの学生たち。バーベキューコンロの煙が青空に溶け、ジュージューと肉が焼ける音が響いていた。
「いい匂いする〜!」
悟は早速テンションを上げ、皿を持って大知を引っ張り回していた。
「ここの焼きそば、先輩の得意技なんだぜ!」
先輩の作る焼きそばを受け取ると、大知は笑顔で軽く頭を下げる。
「ありがとうございます、すごくおいしそうです」
その姿に先輩たちも自然と頬を緩める。程よい礼儀と柔らかさが、初対面でも壁を作らせない。
「なあ、君いい奴だな!悟が言ってた通りだわ!」
いつの間にか会話の輪が広がり、大知の周りに人が集まっていった。まるで自然と中心に据えられていくような光景。
それを離れた場所で見ていた朋子は、缶ジュースを手にぽつりとつぶやいた。
「……やっぱり本物だわ、あの磁力」
隣の亜紀がまたクスクスと笑う。
「近づきすぎないように注意しないとね」
陽が傾き始めたころ、食事が一段落すると自然と小さな輪がいくつもできていった。笑い声、雑談、たわいないゲーム。そんな中、悟がぽつりと大知に言った。
「な?こういうの、楽しいだろ?」
「うん。すごく楽しいよ」
大知は本心からそう答えた。しかしその奥底に、ごくわずかな寂しさのようなものも滲んでいた。
悟はそれに気づいたわけではなかったが、ふと思い直したように言葉を続ける。
「でもさ、大知。たまには無理しないで、つまんねえ時はつまんねえって言っていいんだぜ?」
「え?」
「いや、何となくさ。お前って、空気読んで人に合わせるのがうますぎる気がして。もちろん悪いことじゃないけど、時々は自分の楽しさ優先してもいいと思うんだよな」
大知は少し驚いた顔をした後、柔らかく目を細めた。
「ありがとう。……悟くんは、時々核心を突くね」
「えー!?今度はオレがズルいって言われるパターンかよ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
その様子を遠巻きに見ていた将吾は腕を組んで唸った。
(なんかよくわかんねえ奴だけど……あいつと悟の距離、ほんと不思議だな。何かあっても絶妙に嫌味にならねえし)
さらに離れた木陰では、朋子と亜紀が静かに観察を続けていた。
「まさか悟が“気遣い”なんて言葉を使う日が来るとはね」
「ふふ、あの大知くん、相手の懐に入り込むんじゃなくて、知らないうちに“自分の中心”に引き込んでるのよ」
「確かに。……魔性ね。本当に」
朋子は軽く肩をすくめたが、その視線には焦りとも嫉妬ともつかぬ複雑な色があった。
こうしてまた、大知を中心とした奇妙な磁場は、静かに広がり続けていった。
(第2話 完)