四月の風が少しだけ冷たさを残して、キャンパスの若葉を揺らしていた。放課後、学生会館の一室では、大学の小イベント企画の会議が行われていた。
将吾は腕を組み、やや面倒そうに会議室の片隅に座っていた。会議の進行を任されてはいるが、正直言って細かい調整は苦手だ。
「で、どうする?出し物は結局何やるんだ?」
将吾の投げかけに、他のメンバーが顔を見合わせる。司会役の女子が遠慮がちに提案した。
「えっと……去年は縁日風の屋台が盛り上がったから、今年も似た感じで、どうかなって……」
「まあ、無難だな。失敗はなさそうだし」
将吾はあっさり了承しかけたが、そこに別の男子学生が口を挟んだ。
「でもさ、せっかくならもっと派手な企画にして目立たせようぜ!例えば即席のお化け屋敷とか!」
「うわ、またお前の暴走案かよ……」
「いや、マジで面白くね?」
意見が交錯し、ざわざわと空気がざらつき始める。そんな中、大知がふと口を開いた。
「どちらの案も魅力的だと思うよ。ただ、屋台は準備が安定しやすいし、お化け屋敷は盛り上がるけど、運営に細かい注意が必要になるかもね」
穏やかに、だが核心を突く言葉だった。議論が少しだけ冷静さを取り戻す。将吾はその様子を横目でじっと見ていた。
(……まただよ。誰の敵にもならずに、自然と場を仕切ってやがる)
彼の中に、じわじわとした苛立ちが芽生えていた。
――
会議後の帰り道。悟と大知、将吾の三人が並んで歩いていた。悟は明るく提案する。
「まあでもさ、みんな前向きに意見出してたし、意外と盛り上がりそうだよな!」
「うん。準備も大変だけど、きっと楽しくなるよ」
大知が微笑んで答えた瞬間、将吾は思わず口を挟んだ。
「……お前さ、いつもそうやって丸くまとめるけどよ。誰かが不満抱えてんのとか、気づいてんのか?」
悟がぎょっとする。大知は驚きもせず、静かに将吾を見た。
「もちろん、全員が完全に満足するのは難しいよ。でも、できるだけ皆が少しでも楽しく感じられる形を探したいだけなんだ」
「綺麗事だな」
将吾の声は少し尖っていた。悟が慌てて笑って割り込む。
「お、おいおい、将吾。別にケンカ腰になんなよ」
だが将吾は止まらない。
「お前が悪いって言ってんじゃねえ。だけどよ、そうやって皆の“良い顔”ばっか見せてると、そのうち爆発する奴出てくるぜ?」
大知はほんのわずか、目を伏せた。
「……うん。たぶん、それは僕も怖いと思ってる」
意外にも素直な言葉だった。将吾は少しだけ面食らう。大知が続けた。
「でも、それでも……少しでも、誰かが安心できるなら、今はそれでいいかなって」
短い沈黙が流れる。悟が苦笑いしながら背中を叩く。
「まあまあまあ!いいじゃん、考え方の違いだよ。大知のそういうとこ、俺は好きだけどな」
将吾はふっと視線を逸らし、吐き捨てるように呟いた。
「……ほんと魔性だわ、お前」
その週末、準備作業が本格的に始まった。会議で揉めた末に、最終的に「縁日風屋台+ちょっとした肝試しコーナー」という折衷案に落ち着いていた。
学生会館の裏手、倉庫のような物置部屋に材料を運び込む作業中、将吾は黙々と木材を抱えていた。
「よっこらせ……重てぇな」
横で同じように運んでいた大知が、軽く微笑む。
「手伝うよ。持ち上げる角度を少し変えれば、もう少し楽に持てるかも」
言われるがまま持ち直してみると、確かに少し楽になった。
「……ほう、気が利くじゃねえか」
つい口をついて出た言葉に、自分でもむず痒さを覚える。だが大知は素直に笑った。
「ありがとう。将吾くんの腕力があるからこそだよ」
「いや、そりゃ持てるけどよ……」
将吾は微妙な表情で言葉を切った。褒められると照れるが、腹は立たない。不思議な距離感だった。
そこへ、作業を終えた悟が戻ってきた。
「おーい、飲み物買ってきたぞー!コーヒーでいいよな?」
紙パックを手渡しながら、ニヤニヤと二人を見比べる。
「お?珍しく将吾と大知が二人きりで息ぴったりに作業してんじゃん」
将吾はすぐに反論する。
「別にぴったりじゃねえ!ただの分担だ!」
「でも効率は良かったよ。ありがとう、将吾くん」
さらりと返され、将吾はまたしても言葉に詰まる。純粋に礼を言われると、否定しづらい。
悟がそれを面白がってさらに煽った。
「な?だから言ったろ、大知は懐に入るの上手いって」
「……ほんっとズルい奴だな」
将吾はぼそっと呟き、缶コーヒーを一口飲み込んだ。嫌味のつもりだったのに、言葉に自分の棘が抜け落ちていくのを感じる。
(こいつ、本当に“敵意”が湧かねぇんだよな……なんなんだよ、一体)
――
作業が終わり、倉庫前で少し休憩していると、朋子と亜紀も様子を見に来た。
「順調そうね」
朋子が腕を組んで声をかけると、大知がにこやかに答える。
「皆が手際よく動いてくれるから助かってるよ」
亜紀は将吾を見て小さく笑った。
「将吾くん、ずいぶん機嫌良さそうじゃない」
「べ、別に普通だっつーの!」
周囲に笑いが広がる。普段なら軽く怒鳴るところだが、不思議と今はその気にならなかった。
朋子は大知を一瞥し、小さく息を吐く。
「……ほんと、あなたって魔性だわ」
その言葉に、大知は少しだけ困ったように微笑んだ。
夕暮れが差し始めた頃、片付けの最中にちょっとしたトラブルが起きた。
「おい、電源ケーブル足りねえぞ!」
倉庫の備品リストを確認していた将吾が声を上げた。必要数より一本足りない。
「え?全部運び出したはずだけど……」
悟が慌てて周囲を確認するが、どこにも見当たらない。倉庫の奥を調べると、見事に絡まったコードが一本、棚の隙間に落ち込んでいた。
「……やっべ、完全に見落としてた!」
将吾は思わず舌打ちした。自分が最後に確認した時に見落としたのだ。もしこれが本番前だったら大問題になっていた。
「オレのせいだな、これ」
ぽつりと呟く将吾に、大知がそっと肩を叩いた。
「早めに気づけて良かったよ。これで準備が間に合うんだから、むしろ助かったと思うよ」
「……いや、でもさ。ちゃんと確認してたつもりだったのに」
「確認してたからこそ、ここで発見できたんじゃない?完璧な人なんていないから、こうして補い合えばいいんだよ」
大知のその言葉は、慰めでもなく、ただまっすぐな事実として響いた。
将吾はしばらく黙ったまま、コードを手にしていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……ほんとお前、敵作らねえ性格してんな」
大知は困ったように笑う。
「敵を作らないというより、作りたくないだけなんだ」
「……はは。まあ、悪くねえな、その性格。面白くもある」
ようやく将吾の頬にわずかな苦笑が浮かんだ。その様子を見て、悟が両手を広げて叫んだ。
「よっ!和解成立!いやー、このグループ平和で最高だな!」
周囲にも小さな笑いが広がり、緊張感がすっと溶けていった。
亜紀がその光景を遠くから眺め、またクスクスと笑う。朋子は腕を組み、やれやれという表情で小さく呟いた。
「……魔性、ますます本領発揮ね」
夕陽に染まる倉庫前。静かに、だが確実に、大知を中心にした磁場は少しずつ広がっていくのだった。
(第3話 完)