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第3話 わさびマヨネーズのスパゲティ

 俺が余計なことを打ち明けたせいで、少しだけ気まずい雰囲気になった。それでも相変わらず、広都は俺の部屋を訪れている。


 今日の手土産はわさびだった。


「お客さんがお土産でくれたの。信州のわさびだって」


 味付きの粗切りされたわさびが使いやすいようにチューブに入っている。


「名産ですね」


「これで何か作れる?」


「作れますよ」


 わさびとマヨネーズで味付けしたスパゲティを作る。冷蔵庫にキャベツと豚バラ肉があったので、これも使うことにする。


 麺を茹でている間にフライパンでキャベツと豚バラ肉を炒め、そこへたっぷりのマヨネーズを入れ、わさびも加える。茹で上がったパスタを入れて、塩コショウで味を調節する。皿に盛り、刻み海苔をふりかけたら完成だ。


 俺がキッチンに立つと、広都は酒を作り始める。俺が料理(といっても簡単なずぼら飯だが)、広都が酒。いつの間にかそういう役割分担になっていた。


 俺にはいつもハイボール(ウイスキーを炭酸で割ったもの)が用意されている。彼も同じようにハイボールを飲んでいたのだが、いつの間にか炭酸ではなくコーラで割ったものを飲むようになっていた。まだまだ舌が子供なんだな、と微笑ましい気持ちになる。


「このスパゲティめちゃくちゃうまい~~!」


 口の周りにソースを付けながら、広都はもりもりスパゲティを食べている。人が美味しそうに食べていると、こちらまで幸せな気持ちになることを最近知った。


 ツンとした香りが鼻から抜けていく。


 ソースの匂いに食欲を刺激されて、俺もスパゲティを口に入れた。良いわさびだから、マヨネーズに負けていない。わさびの辛さとマヨネーズのコクが、キャベツと豚バラ肉に絡まって最高に美味い。


「お客さんは、旅行で信州に行かれたんでしょうか」


「仕事らしいよ」


「出張ですか。女性ですよね? 羨ましいなぁ」


「羨ましい?」


「俺の仕事は経理なんです。出張とは無縁なので」


 毎日、机にかじりついて数字を見ている。他人と関わることが苦手な自分には、向いている仕事だと思った。今でも、そう思っている。


「経理って、具体的には何をするの?」


 広都が真剣な顔で俺を見る。真顔でいることのほうがめずらしいくらい、いつも笑っている彼にじっと見られて、何だかそわそわとしてしまう。


「別に……何も面白いことはありませんよ。それより、そのお客さんは」


「お客さんの話はいいよ」


 いつもふにゃふにゃしている彼の声ではなく、どこかずしりと芯のある声だった。


「最近、俺のバイト先のこととか、お客さんのこと聞きたがるよね」


「……そうですか?」


 バレている。


「そうだよ。何が流行ってるのか聞いたり、どうでもいい天気の話とかしたりしてさ」


「天気の話は大事ですよ。洗濯物を外に干すか、部屋干しするか、コインランドリーに持っていくか考えないといけないですし。着ていく服とか、出勤するときに傘がいるかどうかが……」


「そういうのは!」


 広都が勢いよく立ち上がる。


「……そういうのは、今、俺としなくても良いじゃん」


「そうかもしれませんね」


「もう、みーくんの話、してくれないの?」


「……俺自身の話はつまらないですよ。それに、当たり障りのない話のほうが、きみだって得意なんじゃないですか」


 広都が驚いたように目を大きく見開く。人の良さそうにな笑顔が消えた顔は、やはり「冷たい印象の美人」で、普段のへらへらした彼とは別人のようだった。


「他人と深い関係になるのは、本当は苦手なんでしょう」


「それは……」


 彼は俺のことをとてもよく見ている。見ているというよりは、察知しているといったほうが正しいのかもしれない。


 あれは、俺が仕事で使う資料を作ろうと思っていた日だった。何気なく鞄からパソコンを取り出して机の上に置いた。それだけだったのに、彼は「予定があるから」と言って早めに切り上げて部屋を出て行った。


 見たいテレビ番組があって、ふいに俺がリモコンに視線をやったときも、広都は「もう帰るね」と言って腰をあげた。


 俺の一挙手一投足を、彼は決して見逃さなかった。


「ごめんなさい……」


「謝る必要はありません。きみは何も悪くない」


 ただ俺が、縮まらない距離に苛立ってしまった。


「……どうやったらいいのか、分からない」


 途方に暮れたような嘆きがぽつりと落ちる。


「方法が、分からない。いつも……こわくて……」


 広都のきれいな形のふちに、うっすらと涙が溜まっている。言ってはいけない言葉で彼を傷つけたのだろうかと後悔した。何度かまばたきをして、それから俺を見た。


「……でも、みーくんも苦手でしょ? 俺と同じ」


 そんなところまで察知していたのかと、背筋がぞわぞわした。それを指摘されたのは初めてだった。


「似たもの同士ですね」


「みーくんのほうが分かりにくいよ」


「年のせいかもしれませんね」


「子供の頃から?」


「そうですね。家の事情で、親戚の家をたらい回しというか。厄介者扱いされていた時期が長かったので……。邪魔にならないようにしようとか、良い子でいようとか、いろいろ頑張ったんですが、いつの間にか疲れてしまったみたいです。引っ越しも多かったので、友達は出来ませんでしたね。未だにどうやって友達を作るのか分かりませんし、自分のことを話すのは苦手です」


「頑張ったのは、えらいね」


 広都が幼い子にするみたいに、俺の頭をよしよしする。


「ずっと敬語なのもそのせい?」


「名残りですね、他人と距離を取るための。もうクセになってしまって、年下のきみにも敬語で……。やっぱり変ですか? 気になります?」


「気にならないよ」


 優しい目で俺を見る広都は、もうへらへら笑っていなくて、落ち着いた雰囲気の青年だった。どこか退廃的な匂いがして、胸がざわざわする。


 ドキドキに近い。いや、もう完全にドキドキだ。胸の高鳴りというやつ。他人と関わることが苦手だった俺が初めて、距離を縮めたいと思った相手だ。その相手に本当の顔を見せられて、完全に落ちてしまった。


 これはおそらく恋とかいうやつなのだろう。誰かを恋しいと思う機能は俺にも備わっていたらしい。


 他人がそばにいると勝手に疲弊していく自分は恋愛など一生出来ないと思っていた。そんな俺が、恋。相手の性別が男性だったことは、些末なことだ。


 彼は、どうだろう。広都は俺のことをどう思っている?


「俺、みーくんのことが好き」


 心が読めるのかというくらいのタイミングで広都が言う。


「それは、付き合ってもいいという意味の好きですか?」


「そうだよ」


 嬉し過ぎて震える。


「初めは、美味しくて気を使わないご飯を食べさせてくれるひとっていう印象だったんだけど。なんか居心地が良くて、俺のほうが年下なのに敬語でしゃべってくれるみーくんの声がなんか、落ち着いてる感じで、安心するなぁって思うようになって」


 うるうるした目で見つめられて、心臓が破裂しそうになる。


「みーくんが恋愛の話をしてくれたとき、なんかすごくドキドキした。みーくんは、あんまり感情とか表に出さないけど、このひとにも欲望とかあって、そのうち誰かとそういうことするのかなって思ったら、なんか嫌だなって思って」


 一生懸命にしゃべる広都がかわいい。


「なんで嫌なんだろうって考えたら、俺はみーくんのことが好きなんだって気づいたんだ。男のひとのことも好きになるんだなって自分に少し驚いたけど、会うたびに好きだなって思ったし、誰にもとられたくないから一生懸命アピールしてた」


 三十年間だれのものにもなっていないので、とられる心配は無用だと思う。それより。


「……アピール、していましたか?」


「してたよ。ウイスキー・コーク飲んでたでしょ?」


「そうですね。いつの間にか、ウイスキーをコーラで割ってましたね」


「レディーキラーっていうんだよ。うちのバルでも、女性を口説くためにお客さんがよく注文してて。だから、その、口説いてもいいよっていうサインっていうか」


「それは、ちょっと分かりにくいですね……」


 おしゃれな飲み屋に行ったことがないので、ルール的なことも知らない。


「えっと、口説くところから始めたほうがいいんでしょうか」


「口説いてくれるの?」


「もちろんです。俺もきみが好きなので」


 スマートに告白できた。恋愛未経験者にしては上出来だろう。心のなかで満足していると、広都は俺の手をぎゅっと握って「うれしい」とつぶやいた。


 握った手を指でさらりと撫でられる。


 その皮膚の感触が生々しくて、俺はかなり大げさに反応してしまった。この先はスマートに程遠い事態になると思うのだが、いかんせん童貞なので、そこはどうか大目に見て欲しいと思う。

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