俺の嫉妬が原因で広都を泣かせてしまった。あの日から2ヶ月後。彼がバルの仕事を辞めると言い出した。
「本当に良いんですか? きみなりに、あの店でがんばって働いていたのではないんですか」
「同僚とは気が合ったし、店の雰囲気も好きだったけど、それよりも大事なものが俺にはあるから」
自惚れではなく、その大事なものというのは俺のことだろう。正直、うれしいよりも申し訳なさを感じる。
「それで、次に働く店が年末は忙しいみたいだから、あんまり会えないんだけど」
「もう次のバイト先が決まったんですか?」
どんな店だ? 店というからには飲食店だろうか。
「お肉屋さんだよ」
お肉屋さん……?
「みーくんもよく知ってる店」
俺がよく知る肉屋はひとつしかない。
「もしかして、福々精肉店ですか?」
「うん」
うれしそうに笑いながら広都がうなずく。
「ミチさん、もう立ち仕事はしんどいみたい。だから、俺がかわりに店番するんだ」
ミチさんというのは女店主のことだ。毎週金曜日、チャーシューを買いに行くのはいつの間にか彼の役割になっていた。そこで世間話をするようになり、店主に気に入られ、働き口まで得たらしい。
「あの店、ひとを雇う余裕あったんですね」
「チャーシューは作れば作るだけ売れるらしいから、そこは大丈夫みたい。古い店だし、さびれた商店街だし、働いてくれるひとなんていないって諦めてたんだって」
彼はにこにこしながら「がんばって、美味しいチャーシュー売るからね」と言った。金曜日限定ではなく、これからは毎日販売するらしい。
まさか広都が肉屋に転職するとは思わなかった。おしゃれなバルの店員から、ぼろい商店街の小さな精肉店勤め。大丈夫なのだろうかと心配していたが、それは杞憂に終わることになる。
広都が福々精肉店で働くようになって、半年が経った。
近所の主婦たちのハートを鷲掴みにした広都は、日々、精肉とチャーシューを売りまくっている。一度、店に行ったら大勢の女性客で賑わっていたので驚いた。
さすがは魔性の男だ、と俺は感心した。
通販を開始することになり、宣伝のために店のアカウントを作ってSNSを始めたところ、商品よりも美形店員が話題になりバズった。
俺が考案したずぼら肉料理やチャーシューのアレンジレシピを福々精肉店のアカウントで公開していると、なぜか広都が「料理が出来る美形お兄さん」的な感じになり、先日テレビ出演を果たした。
直前まで彼は乗り気ではなかった。「ぜんぜん料理できないのに、騙してるみたいじゃない?」と後ろ向き発言を繰り返していたが、「宣伝のためですよ」と言って俺が背中を押した。
きれいなお兄さんによるずぼらレシピやがっつりチャーシューアレンジ料理は主婦層に受け、平日昼の情報番組のレギュラーコーナーを持つまでになった。
俺はもちろん、欠かさずチェックしている。というか、録画してコレクションしている。テレビ画面を通して見る彼は、情報番組特有の派手なセットにも負けない華があった。
「あの子は、働き者だねぇ。いつもにこにこして、何をするにも手を抜かないし」
福々精肉店へ行くと、客を捌きながらミチさんが笑う。広都のことを言っているのに、まるで自分が褒められているようなむずがゆさを覚える。
今日、広都はテレビ収録のため不在だ。年末に差し掛かり、店主ひとりでは大変だろうと手伝う気で店に来たのだが、「大丈夫だよ」とミチさんに追い返された。
最近、店主は元気だ。前よりも若返っている気さえする。これも魔性の威力かもしれない。心身に何がしかの効果があるのだろう。
反対に、俺はしょんぼりしている。忙しくなった広都と会えない日が続き、ずぼら飯はイコールおひとりさま飯になっている。
12月は俺の仕事もまぁまぁ忙しい。残業続きだったが、彼はその比ではなかった。年末になると店に泊まり込むこともあった。通販サイトからの注文も殺到し、梱包と発送作業に追われているらしかった。
年が明け、へろへろ状態になった広都がアパートにやって来た。「みーくん、ただいまぁ」と言って俺に抱き着き、そのまま気を失うようにして寝てしまった。ベッドに運び、疲弊しきった顔を見る。
俺は自分の仕事納めのあと、店を手伝うつもりだった。何か出来ることはあるだろうと思っていたのに、彼はそれを頑なに拒んだ。
なぜだろうと気になって、一人で年を越す瞬間には不安と孤独で泣きそうになった。寂しい正月だった。なぜ手伝うことが許されなかったのか。理由は、彼が目を覚ましてから明らかになった。
「だって、店に来たらバレちゃうでしょ」
「バレるって、何がですか」
秘密があるのか。悪い想像しか出来なくて、一気に心拍数が跳ねあがる。
「俺ね、少し前からミチさんにチャーシューの作り方を教わってるんだ」
「そうなんですか」
「合格をもらえるまで、秘密にしておきたかったから」
寝起きのふにゃふにゃした顔で、「これ、俺が作ったやつ」とボディバッグの中から包を取り出す。
「食べてくれる?」
「もちろんです」
見た目は、ミチさんが作るチャーシューと同じだった。俺が好きな端の部分。つやつやして美味しそうだ。厚めに切って、レンジで温める。とろとろで脂が甘い。
「美味しいです。味付けもまったく同じで、これ、ほんとうにきみが作ったんですか」
「うん」
チャーシューを夢中で頬張っていると、広都にじっと見られていることに気づいた。
「みーくん」
「なんでしょう」
「俺、みーくんの大好きなチャーシューを作ってあげられるようになったよ」
いつになく真剣な顔の広都だ。
「お店は繁盛してるし、通販もうまくいってる。ミチさんから店を任されても大丈夫だと思う」
「そういう話になっているんですか」
海外で暮らす娘夫婦との同居の話が、以前からあったらしい。店を畳む気になれず、断っていたのだという。
「何十年も守ってきたチャーシューの味を大事にしたかったんだって」
それを広都が受け継ぐことになるのか。
「俺ね、これからもがんばるよ。お店も出来たら大きくしたいし」
両手を差し出され、よく分からなかったが、何となく俺は箸を置いてその手を握った。ぎゅっと握り返される。
「だから、みーくんは、ずっと俺のそばにいてね」
俺の手に口づけながら、広都がまっすぐにこちらを見る。まるで王子様みたいだ。
「な、何だかプロポーズのようですね」
心臓がバクバクする。
「そうだよ」
広都のように、様にはならないかもしれないが、二人の未来について切り出すのは自分でありたかった。
実は、俺は少し前に昇進して肩書きがついたのだ。頃合いを見て、将来の話しをしてみようと思っていた。完全に先を越されたが、まぁ、悪くない。
言うまでもないが、俺の返事は決まっている。