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第4話 恋人ごっこ

 夏休みに入った。つまり、今日から飾がうちに戻って来る。


 ゴールデンウイークは家出として来たため、飾がひとりで二時間以上かけて電車に乗って来た。

 だが、今回は最初から母さんの許可をもらえている。だからもっと堂々と移動する。

 父さんはこの日、有休を使って仕事を休み、車で飾を迎えに行った。

 もちろん俺も同行する。

 車だと電車よりも早くて、一時間半ちょっと。

 そうしてたどり着いた町は、俺が住んでいるところよりも栄えていた。高いビルがずらーっと並んでいるし、うちの辺りにはない全国チェーンもいろいろある。

 全国的に見れば地方の大都市のひとつに過ぎないのだろうけど、俺からはすごい大きな街に見えた。

 うちも別に農村ってわけではない。県庁所在地で、一応は県で一番大きな市ではある。だが、こことは雲泥の差。

 普段は見ることのない賑やかな風景が楽しくて、車の窓から景色をずっと眺めていた。


 今の飾の家があるのは、その町のもっとも賑やかな部分から少し離れた場所。

 地下鉄でニ十分くらいのところだそうだ。うちの県にはそもそも地下鉄がないので、最寄り駅が地下鉄というのが衝撃的だ。

 父さんはその家には絶対に近づきたくないらしい。

 なので、地下鉄駅近くのスーパーの駐車場に車を停めた。


「ここで待ってるから、涙衣が飾を迎えに行ってきなさい」


 と、俺だけを下ろし、自分は車に残ると言った。

 うん、きっとそれがいい。たぶんないとは思うけど、もし母さんが出てきて父さんと顔を合わせたら……間違いなくケンカになって、夏休み初日の楽しい気持ちが台無しになる。

 飾に連絡し、家までの地図を送ってもらう。それに従って進むと、住宅地にある小さな公園にたどり着いた。

 そこの屋根付きの休息所に飾が座っていた。

 父さんが家に行きたくなかったのと同じで、飾も家に来てほしくなかったのかもしれない。自分の家はここではなく、俺たちが暮らすあの家――今の家を見せないことで、そういう印象を俺に与えたいのかもしれない。

 飾の横には、大きなスーツケースがあった。

 ゴールデンウイークの時に持ってきたやつの倍くらいはある。海外に一か月くらい行けそうなサイズだ。


「あ、るぅ! やっと来た!」


 俺を見つけると、飾はスーツケースを置いて駆け寄ってきた。

 ノースリーブのワンピースが夏の日差しによく映えている。流れる髪や、光る汗に思わず目を奪われてしまう。

 飾がかわいいのは知っているが、ここまでかわいかったかな?


「いぇ~いっ!」


 飾は手を広げて上げて、無意味にハイタッチを要求してきた。

 今日もテンションが高いなぁ、と苦笑しながらそれに応じる。

 すると、


「あれ?」


 なにか勝手が違ったのか、飾が首を傾げた。


「どうした?」

「いや……なんかハイタッチの感覚が前とズレているような。もしかして、背が伸びた?」

「うん。この前保健室に行って測ったら、四月の身体計測の時から結構伸びてた」

「おお、すごいじゃん。一七〇センチ超えた?」

「そこまではまだ。でも、中学卒業までには超えると思う」

「いいなぁ。あたしはもう身長止まってて、一六〇に届かなかったよ。ふぅ~ん、へぇ~」


 飾が俺の頭に手をのせ撫でてくる。


「な、なんだよ」

「大きくなってえらいねぇ~、って」

「おばあちゃんか! やめろ、恥ずかしい」


 その手を振り払う。

 まったく……変なことされたから、頬が熱を持ってきちゃったじゃないか。


「お父さんは?」

「スーパーの駐車場で待ってる」

「あたしがいつも晩ご飯買ってるスーパー? よし、じゃあすぐに行こう! こんな町からは今すぐにサヨナラだ!」


 そうして俺たちは、でかいスーツケースを引っ張りながら、夏空の下を歩いた。


「飾~!」


 父さんは飾の姿を見ると、車から飛び降りて抱き着いて来ようとした。

 だが、飾はそれを回避した。「暑いからヤダ」とのこと。

 父さんは残念そうだったが、まぁ暑さを抜きにしても、天下の往来で中三の娘に抱き着く父親という図はかなりヤバい気がする。血の繋がりがあろうとなかろうと。


「それじゃさっそくうちに帰ろう!」

「せっかく都会に来たんだから、どっか寄っていこうよ。父さんもせっかく休み取ったんだし」

「え~……まぁ、るぅがそう言うなら、ちょっと観光するくらいならいいか」


 ということで、適当に車を走らせながら、おもしろそうな場所を探すことにした。


「飾のおススメの場所とかある?」

「家と学校とスーパーしか行かないからわからない」


 せっかく都会に住んでいるのに、地元にいた頃より行動範囲が大幅に狭くなってるな。

 もったいない。


「そう言えば、この辺に有名なアウトレットモールがあったはず。そこに行かないか?」


 と、父さんが提案した。


「アウトレットか。いいね。そういえば、こっち来てから全然服買ってない」

「中三の女子がそんなんでいいのか?」

「じゃあ、るぅは最近どんな服を買った?」

「…………買ってない」


 なぜなら、俺の服は飾が選ぶことになっていたから。

 何年も選んでもらっていたから、自分では買おうとしても、何を買ったらいいかわからないのだ。


「じゃあ決まりだね。そこでお買い物していこう!」


 そうして車は校外にある大型のアウトレットモールに向かった。




 そのモールは、俺が今まで入ったどの建物よりも大きかった。

 二百店だか三百店だか入ってるモールが隣県にあって、そこで服を買うのがイケてるんだ――ってクラスの派手な女子たちが話しているのを聞いたことがあるが、なるほど、ここなら数百くらいは店がありそうだ。

 駐車場もとにかくだだっ広い。

 何千台も駐車できるそうだが、近いところは全部埋まっていて、何分も歩かなければいけない遠いところにようやく空きを見つけた。

 そうしてようやく入ったモールは、やっぱりかなり混んでいた。気を付けないと他の人にぶつかってしまいそうなほどに。


「思ったより人が多いな……こういう混んだ場所は好きじゃないんだが。……よし、ふたりだけで行っておいで。俺はそこのカフェでコーヒー飲んで待ってるから」


 人混みが嫌いな父さんは、地元の祭り以上に混んでいる光景だけでイヤになってしまったようだった。

 俺と飾に一万円ずつ渡して、カフェの椅子に座ってしまった。


「すごいっ一万円だ! ねぇるぅ、これで何を買おう?」

「俺は新しい上着がほしい」

「いいね。じゃあまずはそれを見に行こう。それからあたしは……靴かな? 八千円くらいで買える靴を探して、残りのお金でヘアアクセサリー買おうっと。待てよ、そこに自分のお金を足して、スカートを買うのもありか? でもなぁ、そこまで買ったら上着もほしいよね。さすがにそこまでのお金はないし……ちら」

「まさか俺がもらった一万円を寄越せとか言わないよな?」

「言わないけど……くれるならもらってもいいかな、とは思ってる」

「図々しいな」

「冗談冗談。そんなことよりほら、そろそろ行こうよ。人が多いから、早く行かないとどんどん売れて良い物なくなっちゃうよ」


 良さそうな店に入って、俺の服をいくつか試着してみた。

 気に入った服がいくつかあったが、全部買うには予算が足りない。

 どれにしようか? と悩んでいると、突然店員が「今から五分以内にレジに並んだお客様限定、全商品四割引きです」なんて言い出した。

 これで全部買っても一万円に収まることになったので、悩むのをやめて全部レジに持っていった。


「ラッキーだったね。でも、このラッキーは、この店で買おうって言ったあたしのおかげじゃないかな? ちら」


 店から出ると、飾は露骨に自分の手柄をアピールしてきた。

 本当にただのラッキーで、別に飾のおかげではないんだが……いや、この店にしようって言ったのはたしかに飾だし、あのタイミングまで悩んでいたのも飾のおかげだ。

 もし俺一人だったら、あの店には行かなかったかもしれない。行った場合でも、とっくに会計を済ませていたかもしれない。

 これが似合う、こっちも似合う、と自分では選びそうもない服を見つけてくれた飾のおかげで、滞在時間が伸びて割引にありつけたのだ。


「わかったよ。たいして残ってないけど、残金は飾が使っていいよ」


 と、さっきのお釣りを渡す。

 やったね♪ と、屈託なく笑う飾の笑顔は、一緒に暮らしていた頃と何も変わっていない。

 見ていて落ち着くいつもの笑顔だ。


「あっ!」


 右斜め前に視線を向けていた飾が、いきなり大きな声を出した。


「なにかあった?」

「まぁちょっと……ねぇ、久しぶりに手を繋いでみない?」

「え、なんで?」

「いいからいいから。ほら」


 飾の左手が俺の右手を握って来た。

 久しぶりどころじゃない。小学校の一年生とか二年生の頃までは、外出先ではぐれないように手を繋いでいた気がする。

 でも、それ以降はこんなことしたことない。

 その頃の飾の手がどんなだったかもう覚えていないけど、こんなにサイズ差はなかったと思う。

 全体的に小さいな、指が細いな、女の子の手だな――って感想が思い浮かぶが、こういうことは言わない方がいいかな?


「思ったよりるぅの手って、ゴツゴツして大きいね。男の子の手だ」


 俺が言わないようにしたんだから、そっちも言うなよ。


「なんでいきなり手を繋ごうなんて? そもそもこの繋ぎ方は?」


 指をしっかり絡めるこの握り方は、恋人繋ぎと呼ばれていたはずだ。

 当たり前だが、小さい頃に手を繋いで歩いていた頃は、このやり方はしていなかった。


「恋人ならこういう繋ぎ方をしないと」

「恋人ではないが?」

「そのフリをしてもらうから」


 とりあえず言われた通りにすることにした。

 数秒後、通路の反対側から来る同い年くらいの女子のグループとエンカウントした。


「あれ、早川さん?」


 その中の一人が、飾を見てそう言った。なんかクラスの女子の中心にいそうな感じの派手なタイプだ。

 早川って? ……ああ、飾の今の名字か。

 全然しっかり来ないな。早川飾より、星宮飾の方が百倍語呂が良いのに。


「こんにちは」


 にこやかに、そしていつもより静かに、飾は挨拶をした。

 大人びた感じではあるが、どこかよそよそしい。

 おそらく地元の友達に対しては、こんな挨拶をしたことないだろう。


「学校の外で早川さんを見たのって初めてかも。そっちの男子は……ああ、そういう」


 その女子は恋人繋ぎをしている俺たちの手を見て、何かを察したようだ。

 まぁ誤解なんだけど。


「早川さんってそういう相手がいたんだね。意外かも」

「意外かな? そんなことないと思うけど」

「だって学校で誰とも話さないから。いわゆるぼっちでしょ?」


 その女子は、念を押すように同じことを、言葉を変えて二回言った。

 その際、視線を俺に向けていた。どうやら「お前の彼女ぼっちなんだけど、そんなんでいいの?」みたいな意味が込められているんだろう。

 なるほど、イヤなやつってことだな。


「話す必要がないから話さないんだよ。あ、ごめんね。ちょっと今デート中で忙しいから、もういいかな?」

「ええ、別にいいけど。でも、その彼氏さんのこと少し気になるから、またどこかで会ったら、その時はお話でもする?」

「その機会はなかなかないかも。夏休み中はず~っと彼氏の家にお泊りだから」

「は?」

「じゃあね」


 その人たちに手を振り、飾は俺の手を引いて歩き出した。

 振り返ってもさっきの人たちが見えないくらいまで離れると、飾はわかりやすく拳を握りしめた。


「一矢報いた! 彼氏のフリしてくれてありがとね、るぅ」

「どういたしまして……っていうか、俺はなにもしてないんだけど。さっきのはクラスの人たち?」

「そう。どこにでもいる上下関係をはっきりさせたいタイプの人たち。あたしのことを下位だと決めつけて、なのにご機嫌取りをしないから嫌ってるらしくて。いろいろ嫌味なことを言ってくるのよ」

「すごいめんどくさい奴らだな」

「まぁ直接的なことはしないからいいけどね。っていうか、されたらされたで、『こっちの学校に行かない、前の学校に戻る!』ってお母さんに言えるから、それでも悪くないんだけど」

「強いなぁ」

「ああいうのは無視安定って思ってたけど、るぅがいるタイミングならやり返さないとね」


 で、俺を彼氏ってことにして、マウント取ったってわけか。

 そういう事情か……と裏がわかっても、彼氏と言われたことで、なんか心の奥がむずがゆい。心なしか、握っている手のひらが熱くなってる気がする。

 猛暑日だし、このくらいの熱は気付かれないと思うが。


「でも、俺を偽装彼氏にして、相手は悔しがるか? あの程度、とか思われてないかな?」

「大丈夫、るぅは自分が思ってるよりカッコいいから」

「そんなこと言うのは飾だけだぞ」

「じゃあ一番信用できる意見ってわけだ」

「そうか? ……まぁ、そういうことにしておこうか。ところで、いつまで手を繋いでるんだ?」

「他にもクラスの人がいるかもしれないから、もう少しこのままで歩いていよう。どうせ地元に帰ったらできないでしょ?」

「そうだな。知り合いばっかりのあっちで手を繋いでたら、かなり目立つからな」


 そうして、俺たちは手を繋いだまま買い物を続けた。

 とはいえ、再び飾のクラスメイトに会うことはなかった。ただし、さらに珍しい人物に遭遇した。

 それは高校生の男子だった。

 さっきの女子たちのように話しかけてくるわけではなく、無言でこっちをじーっと見ていた。

 特に、握っている手と俺の顔と交互に見てくる。

 なんか怖いな。


「立ち止まらないで、そのまま通り過ぎて」


 飾が小声で言っていたので、その人の前を通過した。

 十分に離れてから、飾はふぅと息を吐いた。


「今のが誰かわかる?」

「さぁ、誰だろう?」

「法律上の今の兄」

「…………へぇ」

「イラっとした?」

「そりゃするよ」


 飾の兄というポジションは、俺だけのもののはずだ。それをどこの誰かもわからない男が名乗っていて、何も思わずにいられるはずがない。


「あの人、なんか俺のことすごい睨んでいたけど?」

「あたしが今日から星宮家で過ごすことは知ってるからね。るぅのことは知らなくても、あたしと一緒にいたから前のお兄ちゃんだったって気付いたんでしょ」

「それで睨んでくるの?」

「あの人、あたしに変な期待してたみたいでさ」

「期待?」

「アニメでよくあるでしょ? 両親の再婚で突然義理の妹ができて、良い感じの仲になる――的なやつ」

「あるな。定番のジャンルだ」


 俺はあまり好きではないが……義理の妹がいる身からすると生々しすぎるように感じられるので。


「自分にもそういうチャンスが来た、って思ってるみたいなんだよ」

「うわぁ……痛いな、それは」

「あたしはあの人と極力関わりたくないんだけど、なにかと絡もうとしてくるんだよ。今はツン期で、そのうちデレがくると思ってるのかもしれないね」

「たしかほとんど話したことないんだよな?」

「ない。まぁ、おはようくらいは言うかな。おやすみは言わないけど」

「そんな状態なのに、いつかデレがくると思ってるんだ」

「あたしみたいなかわいい義妹が突然できたから、自分のことを主人公だと思っちゃったのよ。ほんと迷惑な人」

「なんかされてないよな? 風呂を盗撮されてるとか?」

「お風呂もトイレも、使う前に必ずカメラチェックしてるから大丈夫。そして、もし見付けたら、あたしはお母さんじゃなくて警察に話すよ。大事になれば、避難するためって言って星宮家に帰れるからね」


 クラスメイトとのこともそうだが、何かあれば、すべてうちに戻って来るための理由にするつもりのようだ。

 だったら安心……とはならない。

 そこまで警戒しなければいけない相手と一緒に暮らすなんて、ストレスでしかないだろう。

 家でも学校でも心休まらず、それで大丈夫なのだろうか?


「そんな心配そうな顔しないで、るぅ。あと半年の辛抱だから。来年の春になったら、この問題は全部解決するんだよ」

「あと半年でなにがあるんだ?」

「半年後は高校受験だよ」

「うん」

「高校は、こっちの方じゃなくて、本当のあたしの町の学校に進学するんだ。そしたら、星宮家から通えるでしょ?」

「あ、そうか……それなら堂々と帰って来られるな。母さんはそれを認めてくれたのか?」

「うん。夏休みに一か月間、星宮の家で過ごすって決まった時、ついでにその話をした」

「そんな大事な話をついでって」

「ついでにした方が、なんとなくオッケーもらえるかなって。で、首尾よくもらえたんだよ。こんなにうまくいくなら、夏休み明けには、転校して前の学校に戻りたいって言えばよかったよ」


 それができたら一番良かったが、世間体を気にする母さんのことだから、その要望だと断られたかもしれない。

 一学期だけで飾が出戻りしたら、うちの町にいる母さんの知り合いたちから、どのような扱いをされるかわかったもんじゃないからな。


「あと半年で今の環境は終わりだから、がんばって耐え抜くんだ。終わりが見えたから、大変だったことももう大変じゃないよ」

「わかった。じゃあ、俺も協力する。いつものビデオ通話の時間も、夏休み明けからはテスト前以外も勉強するか」

「そうだね。遊ぶ時間に回したいところだけど、それで落ちたら元も子もないもんね。よし、がんばろう! ま、その前に、夏休みは地元でのんびりするけどね」

「ああ、そうしよう」


 そういう話をしながら、俺と飾はずっと手を握っていた。

 というより、離すのを忘れていた。そのまま買い物をして、父さんのところに戻ってしまったほどだ。

 なにか言われるかと思ったけれど、父さんは、


「ふたりが小さい頃を思い出すなぁ」


 と、むしろ微笑ましく思ってくれたようだった。

 俺と飾の仲が良すぎるとからかわれることにはなれているけれど、さすがに親から言われたらショックだからな。

 何事もなくスルーしてくれて助かった。

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