「るぅ、そろそろお米がなくなりそうだから買いたいんだけど、あたし今日部活なんだよね。帰りに買いに行ってもらっていい?」
ある日の授業終わり、飾がそんな話をしてきた。
尊と三島さんがにやりと笑う。
「夫婦みたいな会話だな」
「所帯染みてますねぇ」
こういう言葉で飾がいろいろ意識してくれたらいいのだが……昔から「夫婦みたい」と言われて続けてたから、このくらいじゃ今さらだろうな。
赤面さえせず、普通にスルーしてしまうだろう。
「俺も今日部活なんだよ」
「あたしより早く終わるでしょ?」
「まぁな」
サッカー部は毎回一時間半で終わる。終わったら他の部に場所を譲らなければいけないため、延長はない。
一方、飾が所属するお料理部は、意外と長時間活動する。おしゃべりしながら食べるのだが、話が盛り上がると作るよりも長い時間話し続けることも少なくないそうだ。
「でも、今日は部活が終わってからカラオケの予定なんだ」
「……ああ、そういえばそんなこと聞いたような」
「だから今日はちょっと遅くなる。なんだったら父さんとふたりで食べてくれ。米は帰りに買うけど、それで大丈夫か?」
「……わかった。それでいいよ。あたし、もう部活に行くから。またあとでね」
飾は小さく頬を膨らませ、教室を出て行ってしまった。
「飾ちゃんはなんで急に機嫌が悪くなったんだ?」
「家で怒らせるようなことしたんじゃない?」
「風呂を覗く……ほどの勇気は涙衣にはないな」
「干してある下着をガン見してたとか?」
尊と三島さんがおもしろいゴシップネタを見つけた時のように、笑いながら考察というか妄想を繰り広げている。
「人の話をする前にさ、三島さんはなんで尊の膝の上に乗った状態で話してるの?」
「恋人ならこれくらい普通だよ」
「ここ教室なんだけど?」
「教室だからこの程度のいちゃいちゃに留めてるんだよ」
マジかよ、怖いな。
教室でそんなにベタベタして周りに見せつけるのって、ちょっとしたテロ行為だと思うんだが……。
このふたりはこれで抑えてるつもりなのか。
価値観どうなってんだ?
「お前も彼女ができたら、こうしたい気持ちがわかると思うぞ」
「いちゃいちゃの見せ合いっこしようよ」
三島さんの発言はまぁまぁヤバい気がするんだが……考えすぎか?
「とりあえず、飾の風呂を覗いたり、下着をガン見したりはしない」
飾がブラジャーを付け始めたばかりの頃は、たしかに洗濯物が妙に気になっていた。
だが、そんなのはもうずっと前に通り過ぎた場所だ。
「サッカー部の女子の先輩と話しているのを見てから、なんかやきもち焼いてるらしくて」
「ほう」
「ずっと一緒にいたのに、今さらやきもち焼くなんてかわいいね」
うむ、たしかにかわいい。
そこに異論はない。
ないのだが――。
「やきもちってことは、俺のこと好きって認めてるようなものじゃないか? どうして未だに返事を保留され続けてるんだ?」
「乙女心は複雑なのよ」
三島さんはひとりで納得したように頷いているが……たぶん何もわかっていない気がする。
乙女心とか言っておけば、男はわからないから適当に誤魔化してわかったふりできる――とでも思ってるんじゃないだろうか?
別のある日、うちで飾とゲームをしていた。
すると、スマホに湖川さんからメッセージが入った。
【あのゲーム持ってるって言ってたよね? 対戦しよ】
という内容。
あのゲームというのは、サッカーのゲームだ。選手が実名で登場し、実在するクラブチームやナショナルチームを使ってプレイできる対戦型のサッカーゲーム。
この前部活の時にこれの話になったのだが、湖川さんは結構このゲームをやりこんでいて、得意だと言っていた。
一方俺も、飾と何百、いや何千と試合をしているはずでかなり得意だ。
「どうしようか。今日は断っておくか?」
「るぅがやらないなら、あたしがやる」
湖川さんと絡むと飾が不機嫌になるので遠慮しようと思ったのだが、なぜか飾がやる気になっていた。
「じゃあそう返事しておく」
「あたしが代わりにやるとは言わないで」
「わかった。それは言わない」
というか言えない。
兄妹だった中学までと違い、高校では一緒に暮らしていることはあまり公にしていない。
尊とかにも、なるべく広めないように言っている。
三島さんにはあっさり話していたが……まぁ彼女相手だから、特別口が軽かったのだと思う。それ以降の情報流出は、今のところ確認されていない。
湖川さんに対戦承諾の意志を伝えると、フレンドコードが送られてきた。
「絶対に負けられない戦いがここにある」
まるでワールドカップを目指す試合のようなことを飾が言い、試合が始まった。
展開は一進一退。
点を取り合うシーソーゲームになり、延長戦の末に飾が接戦を制した。
「やったぜ、ざまぁみろ!」
興奮を抑えきれず、コントローラーをクッションに叩きつけながら、仇敵を倒したかのように叫ぶ。
ずいぶん気合入ってるとは思っていたが、まさかここまでとは……なにがここまで飾を熱くさせていたのだろう。
「どう、るぅ。湖川さんよりあたしの方がゲーム上手だよ! すごいでしょ⁉」
と、満面の笑みでドヤッていた。
まさか俺にいいところを見せたかったから、そんなに熱くなっていたのか?
だとしたら、とてつもなくかわいい。
と、悠長にときめいていられたのも、わずか一瞬。
すぐに湖川さんから通話がきて、空気が変わった。
「ぐぬっ」
飾の表情がわかりやすく歪むが、今までオンライン対戦していた手前、通話を断るわけにもいかない。
「――もしもし」
「――涙衣くん上手じゃん。オンラインの野良対戦で最近連勝してたのに、久々に負けたよ」
「――湖川さんも思ったよりうまくてびっくりしました。ちょっとでも気を抜いたら負けてましたよ」
「――良い勝負だったよね、今の。ね、もう一回対戦しない? 今度は通話しながらやろうよ」
「――あ~、そうですね」
ちらっ、と飾の顔色を窺う。
明らかにイライラしている。
だが、コントローラーを俺に渡してきた。
飾がプレイし、俺が通話していたのではバレると思ったのだろう。
……まぁ確実にバレるだろう。飾は結構叫びながらプレイするので。
ということで、交代して対戦を再開した。
実際に戦ってみると、湖川さんはかなり強かった。
俺ともほぼ互角で――俺と飾が互角なので、予想していたが――試合はまたしても息詰まる接戦となった。
だが、今回は湖川さんに軍配が上がった。
「――やった! なんとか勝った! いやぁ、危なかった。ヤバいと思ったタイミングが何度もあったけど乗り切った」
「――やっぱり強いですね、湖川さん」
「――涙衣くんも相当だって。さっきとスタイルがだいぶ違ったから驚いたのなんの。引き出し多いね~」
「――あはは、まぁたくさん遊んできたので」
プレイスタイルが変わったのは、プレイしている人が変わったから。まずバレないはずだけど、なんか怖いな……。
「――これで一勝一敗。ってことで、もう一回やる?」
とお誘いがあったが、飾が大きく首を横に振っている。
「――今日はそろそろやめておきます」
「――じゃあまた今度。その時は二連勝しちゃうよ~」
といったところで通話を切ったが、その途端、飾が堰を切ったように怒りだした。
「こういうのはよくないと思う。あたしに告白しておいて、他の女の子と楽しそうに遊ぶってよくないと思う!」
これはまたわかりやすくやきもち焼いてるなぁ。
ただの兄妹以上になるつもりないんだったら、ここまで怒ったりしないよな?
飾が俺のことを好きなのは、もう間違いないと考えていいはずだ。
そろそろ保留されたままの返事をもらえるのではないだろうか?