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第2話 夜の安らぎ(上)

 大学で講義を聞きながら時計に目を向ける。

 あと五分。それで今日の予定は終わりだ。今日はバイトもないので後は自由。

 さて何をしようか?

 ちらりと隣を見ると、一緒に授業を受けている友人がこっそりスマホを見ていた。

 そこに初瀬が映っている。

 パンツタイプの紺色のスーツを着て、無数のフラッシュを浴びて何かの文章を読んでいる。

 なるほど、これが謝罪会見。

 ネット中継してるのか。リアルタイムで大勢の人に見られながら謝らなければいけないなんて、地獄以外の何物でもないだろう。

 大量のコメントが書き込まれている。


「――そんな説明誰が信じるんだよ」

「――バカじゃねぇの?」


 という辛辣なコメントが目に入る。だが、


「――りーりーはこんな作文読まされて災難だな」

「――会見は社長かプロデューサーがやれや。アイドルを盾にするな」


 という初瀬に同情的なコメントも少なくない。

 初瀬は悪くない。むしろ悪くないからこそ、こんな舞台に引っ張り出されてしまった。ということは、一応は理解されているようだ。

 そんな動画を見ながら、友人がまたため息を吐く。

 大教室なので、教授からはまず気にされないだろう。しかも教科書でスマホを隠している。それでも見つかれば面倒だ。そこまでしてこんな中継を見るなんて……そんなに気になるんだろうか。

 講義が終わって教授がいなくなっても、友人はまだスマホを見たままそこから動けないでいた。


「早く行かないと次の人たちが入ってくるぞ」

「ああ、うん……でも動く気力がないんだ」


 こいつはアイドル好きで、特にガデフラのファンらしい。

 当たり前だが、初瀬リリが俺の友達であることは教えていない。


「すごいショックなんだ……サクラの恋人の話だけで寝込んだのに、今度はそれどころじゃないのが出てきて……報道があると同時にいきなりセンターが解雇されて、ガデフラが出演予定だったイベントもほとんどキャンセルになるかもしれないって。今後の活動自体にどれだけ影響が出るかもわからない。もしかしたらここから仕事がなくなって解散なんてことに……この前のライブはあんなに最高だったのに、このまま天下を取るんじゃないかって思えるほどだったのに。どうしてこんなことに」


 深くため息を吐く。

 ファンのこういう姿を、きっと初瀬は望んでいない。

 ガデフラを好きでいることで苦しんでほしくない……初瀬ならきっとそう言うはずだ。

 それを教えてやれたらいいんだが、できないんだよな。

 しかたない。ちょっとイヤだが、姉の威光を使わせてもらうか


「うちの姉が言ってたんだがな」

「藤城花火さんが?」


 俺が藤城花火の弟というのは隠していない。

 というより、隠しようがない。

 顔が似ているせいもあるが、親が俺に火花という名前を付けてしまったせいだ。姉が花火で弟が火花……ちょっと手抜きじゃないか。


「ファンには謝罪会見を見てほしくないってさ」

「そうなのか?」

「謝罪会見じゃ笑顔になれないだろ?」

「まぁそうだな」

「今会見してるそのアイドルだって、きっとお前に苦しんでほしくはないはずだ」

「……そうか。藤城花火の弟に言われると説得力あるな」

「いっそしばらくネット断ちしたらどうだ? そのうち別の芸能人が何かやらかして話題がそっちに行くはずだ。それまで待つんだ」

「それはいいかもな」


 友人は思い切ってスマホの電源を落とした。

 だが、五秒もしないでまた入れてしまった。

 これはダメそうだな。

 まぁ、こいつはそれでもいいか。

 ガデフラがどれだけ叩かれても、あくまでも他人事だから。

 初瀬はそうはいくまい。

 今日の予定が決まった。

 来るかどうかわからないが、初瀬のために空けておいてやろう。



 うちのマンションの隣には小さな公園がある。なんてことない公園なのだが、そこの二台分しかない小さな駐車場に車が止まっているのが気になった。

 運転席に男が、助手席に女が座っている。どちらも見覚えのない顔だ。

 近所の人間の顔などいちいち覚えていないので、普通に地元民という可能性はある。

 だが、二人のうち一人がマンションのエントランスをじーっと見ていて、もう一人はせわしなくあちこちに周囲を張り巡らせている。

 車移動していてちょっと休憩のために止めた、という感じには見えない。

 まさかこんな住宅地の真ん中の小さな公園でいい大人がデートってわけでもあるまい。そもそも会話をしている様子がない。

 こういうのは誰でも気付く違和感ではあるが、普通はそれほど気に留めない。不気味に思いつつもスルーし、家の中に入った途端に記憶から消えてしまう。

 後日、何か事件があれば「ああ、そう言えば……」と思い出すことはあっても、何もなければそのまま忘却の彼方に消えてしまう。

 その程度の違和感だ。

 だが、俺はこの手の違和感をスルーできない。トップアイドルが家族にいる人間は、どうしてもこの手の違和感に敏感になってしまう。

 プロアマ問わず、姉のプライベートを探ろうとする輩にはこれまで何度も遭遇してきた。

 この男女二人組にはそういう連中と同じ臭いを感じる。

 警戒レベルを上げるべきだ。

 しかし、警戒していることを相手に気付かれるのも得策ではない。

 なので、あえて何も気付いていないふりをして通り過ぎた。



 自分の部屋に入ると、真っ先にパソコンの電源を入れた。

 メールの確認のためだ。

 俺にはいくつかメールアドレスがあるが、そのうちひとつのアドレスはこれはたった一人のためだけに存在している。

 その一人とは、もちろん初瀬だ。

 やはりメールが来ていた。それを開く。中身は「OK?」という極めてシンプルなもの。

 これが俺たちの唯一の連絡方法だ。

 スマホを使いSNSでやり取りをすれば、どれだけ気をつけていても何かしら起こりうる。

 悪意を持った何者かによる情報流出、あるいはメッセージの送信先を間違える誤爆。そういうやらかしをした芸能人を探せば枚挙に暇がない。

 流出はともかく、誤爆はヒューマンエラーなのでどれだけ気をつけていても可能性をゼロにはできない。

 だから流出もヒューマンエラーも起こらない連絡の方法を俺たちは考えた。

 持ち歩くスマホからは一切連絡しない。家の中から絶対に出さないパソコンで、そのパソコンでしか使えないメールアドレスを使って極めて短い文章を送る。

 これならば流出や誤爆の可能性はほぼゼロになる。また、仮にどこかに流れてしまってもメールの本当の意味を知られることはない。

 ちなみにこの「OK?」の意味は、


「これから行っていい?」


 という意味だ。

 こちらからも 「OK」と返す。

 そして部屋の鍵を開ける。

 数分もしないうちにドアが開き、初瀬が入ってきた。

 帽子、マスク、サングラスで顔を隠している。古典的な変装で怪しさ満点だが、これだと誰なのかわからない。

 マンションの廊下は住人しか入れず、外から見えないようになっている。他の住人がいないことを確信しながら歩けばいいだけなので、初瀬がうちに来るところを誰かに見られる危険はほぼない。

 それでも用心は怠らない。

 臆病なくらいに細心なのが初瀬莉莉という女だ。


「二日連続は珍しいな」

「今日は暇だったからね。いえ、暇になったって言うべきね」

「やっぱ影響あった?」

「夜に生放送のラジオにゲストで出る仕事があったんだけど、今日の騒動でキャンセルになった。明日もちょっと暇になった。明後日以降はまだわからないけど、しばらくは我慢の時期かもしれない」

「そっか」


 うかつに同情するようなことは言えない。落ち着いているように見えるが、心の中では荒波と強風が暴れているかもしれない。へたなことを言って「お前に何がわかる!」と怒られせたくないので、余計なことは言わない。

 それが俺なりの気の遣い方だ。


「今日はとにかくむしゃくしゃしてるから、何か美味しい物でも食べてひたすら遊びたいなって。なんか暴言言ったらごめん、今のうちに謝っておく」

「ああ、うん……誰にでも荒れる時があるというのは姉で慣れてる。食事はもう済ませた?」

「まだ。だってさ、今日高いお店に入ったのを目撃されたら、絶対なんか言われるじゃん。家で食べるしかないよ」

「たしかに」

「ってことで、なんか注文しよう。私がお金出すからさ、お寿司とかにする? パーッといこうよ」

「人の金で寿司ってのは最高だけど、もしかしたら怪しまれるかもしれない」

「どういうこと?」


 さっきの車の話をした。


「…………いかにも怪しいわね」

「エントランスまで俺が取りに行くにしても、こいつらそこも見張ってるから少しリスクがある。俺と初瀬が一緒にいるところさえ見られなきゃ問題はないんだが……」

「この手の連中は捏造も仕事のうち。変な手掛かりを与えたら、一気に飛躍した妄想をする可能性も否定できない。妄想でも記事を書いて日銭を稼げれば、後で裁判になってもしらん。みたいなスタンスのやつは多い」

「クズすぎるな、そういうやつら」

「普段ならこんなやつら別に気にしないけど、さすがに今日は気にしておこうか。ったく、なんでこんなことまで気にしないといけないのよ」

「有名税っていうには高すぎるな。よし、俺がスーパー行ってなんか買ってくるよ」

「スーパーのお寿司じゃさすがにねぇ……よし、すき焼きにしよう。これで買えるだけ買ってきて」


 初瀬の財布から一万円札がポンと出てくる。

 電子情報での金のやり取りなどは、万が一の時にもっとも誤魔化しにくい。秘密の金の移動をしたいなら、なんと言っても現金が一番だ。

 それにしても、こんなに軽く万札が出てくるとは。さすが人気アイドル。金回りが違う。


「野菜はどれくらい買う?」

「じゃあ、野菜はこれで」


 今度は千円札が何枚か出てきた。

 一万円はあくまでも肉のためだけの金なのか……。

 これはよっぽどフラストレーションが溜まってるようだな。



 スーパーに行き、帰って来てもあの車はまだ公園にいた。

 駐車場はあくまでも公園利用者のための場所だ。なのに、車に乗ったまま外にも出ないでずっと止まってるなんていうのは迷惑行為だ。そろそろどっかに連絡してもいいような気がする。

 だが、どこに? 警察……ではないだろうな。マナー違反だが法律違反とまでは言えないはずだ。

 行政? すぐに注意しに来てくれるとは思えない。そもそももう役所は閉まっている時間だ。

 高確率であいつらはパパラッチだ。あんな会見の後なので、初瀬に彼氏がいるなら家に呼ぶか、そいつの家に行って慰めてもらうはずだと考え張っているのだろう。

 そういう相手がいるかどうかの情報をこいつらは持っているのだろうか? 持っていなくてもおかしくない。

 いると仮定して、とりあえず動く。こいつらパパラッチはそういう人種だ。姉が実家付近で張り込みされたことがあり、家族である俺もいろいろ面倒に巻き込まれた経験がある。

 頭に来るじゃないか。

 あいつらは、自分が金を稼ぐために俺の友達を傷つけようとしてるんだ。

 許せない。文句のひとつも言ってやりたい。

 だが、目立つ行動をしてはいけない。

 俺がへたに揉め事を起こすと、初瀬の関係があることに気付かれてしまうかもしれない。

 藤城花火の弟と初瀬リリは中高の同級生で、今は同じマンションに住んでいる。……これだけでも想像力豊かなやつはいろいろと良からぬ妄想をしてしまうはずだ。

 そこまで妄想されなくても、藤城花火の弟がパパラッチとケンカをすればそれはそれで話題になってしまう。俺は有名人が身内にいる一般人に過ぎないが、誰かにとってはそれ以上の価値がある“ネタ”かもしれない。

 悔しいが、何もしないという選択肢しか俺には取りようがない。

 まぁ物事は考えようだ。

 俺も初瀬も尻尾を出さなければ、あいつらはムダな時間を使い続けなければいけない。

 それはそれで悪くない反撃だ。

 あいつらが車の中でムダな努力をしているうちに、俺は初瀬が待つ我が家に帰らせてもらうとしよう。

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