初瀬と初めて話をした日のことは今でもはっきりと思い出せる。
「こんにちは、藤城火花くん。あの、もしかしてだけど、閃光Fulgorの藤城花火さんの身内だったりする?」
初瀬と俺の出会いは中学一年生の時。
話しかけてきたのは、初瀬の方から。
「花火は俺の姉だけど」
「やっぱり。名前がすごく似てるし、顔もそっくりだもんね。花火さんを男の子にしたらこんな顔なんだろうな、って感じだったから」
そう言って笑った初瀬の笑顔に胸が高鳴った。
こう言うとなんだが、俺はキレイな人は見慣れている。
顔というのは遺伝がとても強い分野だ。トップアイドルを輩出したうちの一族は、父方にも母方にも美形が多い。
姉ほど成功した者はいないが、モデルなどの芸能活動をやっている(いた)者は男女問わずそこそこいる。
なので、ちょっとやそっとの美形では驚かないくらいの耐性があると思っている。
そんな俺が、初瀬の美しさに目を奪われた。
今まで見た誰よりも美人……というわけではない。
だが、誰よりも俺の好みに合致していた。
平たく言えば、一目惚れだった。
誰かに対してそういう気持ちを持ったのは初めてのことだった。
「私、花火さんの大ファンなの。あの人は将来日本一のアイドルになるよ。今はまだ注目してる人は少ないけど、私にはわかる。花火さんは今のトップアイドルたちと比べても見劣りしない実力者、きっともうすぐ世界はあの人を見つける」
俺としては、姉が売れようが売れなかろうが、別にどうでもいいことだった。それどころか、姉がアイドルになってから若干迷惑を被っていたので、当時の俺は「さっさと引退してほしい」とさえ思っていた。
だが、初瀬との共通の話題になってくれたことで姉に対する評価は変わった。
まぁどれだけ好転しても、「お姉ちゃん大好き!」なんてわけではないが。
「閃光Fulgorのメジャーデビューが決まったんだってね。昨日ネットニュースで見た感動して泣いちゃったよ」
「泣くほどのことか?」
「泣いちゃうよ。だって、やっと日の当たる世界に出られるんだよ。花火さんは地下で終わるにはあまりに惜しい人。あの人が地下止まりなんて日本の、いや世界の損失だよ」
姉の所属グループのメジャーデビューが決まったのは、俺たちが中一の夏休み直前だった。
それに伴い、夏休みは怒涛のイベントラッシュになった。都内や近隣の県では毎週のように何かしら開催され、俺たちはよく一緒に出掛けた。
もう付き合っていると言ってもいいんじゃないか? と言いたい気分だった。
だが、実際に付き合っていたわけではない。当時の俺には、自分の気持ちを伝えるほどの度胸はなかった。
結局、告白して断られるのが怖かっただけなのだが、「自分こそが一番仲が良い男子なんだから、わざわざ告白なんかしなくてもいいんじゃないか?」なんて自分に言い訳して何もしなかった。
他の男子に奪われるという心配は一切していなかった。
初瀬は男子、というか恋愛に興味がないように見えた。それよりもドルオタライフの方が重要そうだった。
それに、俺が隣にいれば初瀬にちょっかいだそうという男子は現れないという自信があった。嫌味な言い方かもしれないが、俺も顔が良いのだ。なにせ藤城花火と同じ親から生まれたのだから。
俺と初瀬が並んでいれば、お似合いと思われることはあっても、「自分にもチャンスがあるかもしれない」とは誰にも思わせない。それくらいの自信はあった。
実際、初瀬は学校一かわいい、ぶっちぎりでかわいいと評価されていながらも、告白されるというようなイベントは一切なかった。
俺たちの間に邪魔者が入って来るようなことはなく、楽しいだけの日々が続いていた。
初瀬が、
「私もアイドルになる」
と宣言したその日までは。
アイドルになる。
初瀬がそう決意したその日、俺たちの関係は変わってしまった。変わらざるを得なかった。
アイドルとなるからには、誰よりもアイドルらしいアイドルになる! という想いが初瀬の根幹にあり、彼氏を作らないのはもちろん、男友達もいてはいけない。という考えになった。
だからその日が、俺たちの友情の終わりの日になった。
そこからの俺たちは、ただの同級生という関係でしかなくなった。挨拶くらいはするが、仲良くおしゃべりをするような仲ではない。
それまでは休み時間に話すこともよくあったのに、急に話をしなくなったので周囲からは不思議に見えただろう。ケンカをしたか、あるいは別れたか……なんて思われていたかもしれない。
再び話すようになったのは、高校に入ってからのことだった。
ボドゲ好きな初瀬だが、グループ内には同じ趣味の人がいない。
なので学校で仲間を募集して、部活と言うほどではないが、サークルを作ろうとした。それがきっかけだった。
最初は女子に限定しようとしていたようだが、思ったほど人数を集めることができず、仕方なく男子にもチャンスが与えられた。
その話を聞いた俺は、すぐに名乗り出た。
中学校の時に、俺との友達関係は一度終わっている。なのに俺がまた初瀬と遊ぼうとするのは、未練がましいことなのかもしれない。
場合によっては、初瀬がイヤそうな反応をする可能性もあった。それを考え、躊躇する気持ちがなかったと言えばウソになる。
だけど、俺はまた初瀬と友達に戻りたかった。
たとえ何人もいるボドゲ仲間の一人……という程度の関係だとしても。
俺が参加すると言った時、他のメンバーが気付かないくらいうっすらと、でもたしかに、初瀬は微笑んだ。
ボドゲサークルは楽しかった。
ゲームの話が中心だったが、それ以外にも、学校内での噂や、テストの話などはよくしていた。初瀬の仕事の話を聞いてはいけないという暗黙のルールがあったので、割と普通の学生らしい話をしていたと思う。
サークルは三年の夏くらいまでは続いた。
だが、初瀬がだんだん売れてきて時間の余裕がなくなり、俺たちも受験勉強が本格化して遊べなくなり、サークルは自然消滅してしまった。
「受験が終わったら思いっきり遊ぼう」
「そうだね。卒業するまでに、あと一回でいいからサークルやりたいね」
そんな話をしたのは、受験勉強も追い込みにかかる十二月の頃。
俺自身、毎日の勉強でかなり参っていた。これが終わったら、またあの楽しい時間が待っている……そういう希望がほしかった。
でも、その日は訪れなかった。
卒業式の後はみんな何かしら予定があり、教室に残ってボドゲで遊ぼうとなんて誘いには乗ってくれなかった。
だから、俺と初瀬の二人だけで遊んだ。
卒業式後の教室、男女で二人きり……映画なら告白シーンになって然るべきところだろう。むしろ他にどんな展開があるのか?
だが、俺たちにそんな甘酸っぱいシーンは訪れなかった。
告白しようと思わなかったわけじゃない。
しようとは思った。
でも俺が言いだす前に、初瀬がこう言った。
「アイドルはいつまでもできるわけじゃない。長い人生の若いうちにだけ、わずかな時間だけ咲くことを許されたのが、アイドルという花。どれだけキレイに咲き誇っても、時間は流れ、季節は移ろい花は散る。だから、咲くことを許してもらえる間だけは、全力で“理想のアイドル”でありたい」
進学せず、これからはアイドル一本でやっていくという決意と覚悟を俺に伝えてきた。
もし俺が告白して、付き合うなんてことになったら……初瀬は限られたアイドルとしての時間の一部を俺のために割くことになってしまう。
そして、もし関係がバレたら、花は散る前に摘み取られてしまう。
そんなことは許容できない。俺は初瀬が好きだから、絶対に初瀬の進む道の障害になりたくなかった。
だから、俺は自分の気持ちを飲み込んだ。
それがこの時の俺にできる一番の応援だと思った。
高校卒業で再び途切れた俺たちの友達関係が復活したのは、それから一年後。
つまり今年の春。
この時、俺は一人暮らしを始めた。
そのまま実家暮らしをしたかったのだが、たぶんこのままでは自力で生きていけない人間になると思われたのだろう。
親から「一人暮らしほど生活力を鍛える方法はない」と言われ、ほとんどムリヤリ家から追い出された。
そして数駅離れたマンションに引っ越したのだが……引っ越し当日に初瀬と再会した。
マンションの前に車を停め、借りてきた台車に荷物を載せて搬入している時、ちょうど仕事に行くところだった初瀬と遭遇したのだ。
「すごい久しぶりだね、藤城。こんなところで会えるなんて思わなかったよ」
もし俺一人だったり、業者を頼んでの引っ越しだったら、初瀬は道端で話をしてはくれなかっただろう。
でも、すごく幸運なことに、その日は姉がオフで、引っ越しの手伝い(見物)をしに来ていた。だから、姉を交えて自然な形で話をすることができた。これならアイドルが男と話をしているのではなく、アイドル同士で会話している横に一方の身内がいるという形になり、十分に言い訳ができる。
その話の中で、
「ボドゲで遊んだの、卒業式の日が最後なんだ。でも、あの時って実はまだまだ遊び足りなかったんだよね。だから、思う存分遊ぼうって約束はまだ果たせてない。暇な時でいいんだけど、また一緒に遊んでくれないかな」
と、初瀬が言った。
十二月のあの日は、もう遠い昔のことのように思える。
だけど、初瀬は覚えてくれていた。
……遠い昔のことのようだけど、俺だって忘れちゃいない。
「日本で大学生ほど時間がある人種はいないんだ。いつでも誘ってくれ」
「うん、じゃあさっそく今日どうかな。夕方には帰ってくるから、それから引っ越したばかりの藤城の家にお邪魔するよ。どんなレイアウトにしたか、藤城のセンスを私がチェックしてあげよう」
「じゃあ気合入れないとな。だけど、ボドゲは引っ越しの荷物に入ってないぞ」
「なら次までに用意してくれたらいいや。今日のところは、この一年でお互い何があったのかって話でもしましょう」
「わかった。でも、絶対にバレないようにうちに来いよ」
「ええ、もちろん」
今の俺たちの関係はこの日から続いている。
途中で何度かうとうとしながら過去のことを振り返り、しかしちゃんと寝ることはないまま気が付けば空は白み始めていた。
カーテンの隙間から差し込んだ光が部屋を照らし、初瀬の寝顔が浮かび上がった。
なんて美しい寝顔なんだろう。
そう言えば、初瀬は一度も寝言を言わなかった。寝ている時に俺の名前を呼んでくれたりしないかな……と漫画でよくあるシチュエーションを期待していたのだが。
まぁそんな都合の良い寝言は簡単に聞けるわけがない。
他の男の名前が出なかっただけで良しとしよう。
通勤、通学ラッシュが終わる時間帯になり、初瀬はようやく目を覚ました。
寝る前の記憶がちゃんと残っていたようで、どうして俺の部屋で寝ているのか? ということには疑問を持たず、
「おはよう。迷惑かけたね、ありがとう」
と、静かに微笑んだ。
好きな人が俺の部屋に泊まって朝を共にする……という夢にまで見た状況ではあったが、俺は極力そういう意識を表に出さないように心がけ、買い置きの新品の歯ブラシを渡し、「トーストでも焼こうか」と言った。
せっかくだから、このまま朝食も一緒に食べたかった。
だが初瀬は、時計を見て、
「自分の部屋に戻ってお風呂に入ってメイクして……ここでゆっくりしてる時間はないかも」
と、少し余裕がない様子だった。
そういうことならしかたない。
廊下にまだ人がいたら、ここで朝食を食べてくれるかもしれない。だが、そうすると初瀬が仕事に行けなくなってしまうかもしれない。
廊下に人がいてほしいし、いてほしくない。
矛盾する想いを抱えながらドアを開けて様子を見ると、トンボの羽音でさえはっきり聞こえそうなほどの静寂に包まれた無人の空間が広がっていた。
「今なら大丈夫だ」
「うん、いろいろありがと。またね……早く終わったら今日も来ていい?」
「バイトが終わった後ならな」
「それじゃまたあとで」
そしていつものように初瀬は帰って行った。
……初瀬が帰り、一人になると寂しい気持ちになる。
初瀬がうちにいる間はすごく楽しい。
でも帰ってしまうと、途端に、すべてが幻だったのではないか? という気持ちになる。
もし俺が初瀬に気持ちを伝えることができて、付き合うことができたのなら……幻ではなく現実だと思えるようになるのだろうか?
だが、気持ちを伝えるだなんて……そんな日は来ない。
初瀬がアイドルである限り、俺は今の距離からは一歩たりとも踏み込むことはできない。
アイドルを引退したらできるだろうか? それは何年後なのだろう。
しかし、その時には、きっと俺よりももっとすごい人が初瀬の隣にいるに違いない。
なにせ初瀬が住んでいる芸能界という世界は、突出した何かを持つ人間だけが住んでいる特別な世界だからだ。
親譲りで多少見た目が良いだけの俺よりも、初瀬にふさわしい男がきっとそこにはいる。
この恋は実らない。それはわかっている。
だけど、せめて、仲の良い友達としてでいいから、たまには会える関係でいたい。
初瀬の都合が良い時にいつでも遊びに来てもらえるように、俺はフリーでいると決めている。
初瀬を諦めて他の女と付き合うつもりなんてない。
初瀬が誰かのものになってしまうその日まで、
叶わぬ恋に殉じる覚悟はできている。