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第7話 昼の顔(上)

 朝起きたら、スマホに大量のメッセージが届いていた。

 その数、百件以上。しかもこの三十分の間に集中している。

 恐怖の目覚めだ。


 「――早く来い」

 「――まだか?」

 「――絶対に休むなよ」


 という感じで、短い間隔で急かす内容が続いている。

 しかも一人からだけではなく、数人からそういう内容で届いている。

 別に休むつもりはなかったけれど、こうまで熱心に誘われると少し怖くなってくる。

 休んだ方がいいのだろうか? と、少し考えたけれど、今日の二限目の教授は欠席にとても厳しい。一回でも休めば、たとえテストが満点でも最高評価はもらえない。

 たとえば足を折って自宅療養の場合でも慈悲はない厳しさだ。

 こんな授業、俺だって取りたくなかった。テストを受けさえすれば、評価の高低はさておき単位だけはくれる先生の授業を取りたかった。だが、希望者が多すぎて抽選になり、お祈りされた俺は“収容所”とも呼ばれる授業を取るしかなかったのだ。




 大学では、いつもとは違う少しそわそわした空気が漂っていた。

 四月頃は一年生がそういう空気を纏っているが、日が暮れるのも早くなったと感じるこの季節に未だ持ち合わせている奴は滅多にいない。

 何か特別なことあるのだろうか?

 とりあえず、うるさいくらいに連絡を寄越す友達に電話をしてみた。すると、どうやらすぐ近くにいたらしく、十秒もしないで合流できた。


「なんか祭りでもやってんの?」

「だいたい祭りみたいなもんだよ」


 俺が聞くと、澤畑という痩せ型の友人が答えてくれた。


「映画のロケだってさ」

「へぇ、ロケかぁ……日曜日にやればいいのに。なんで平日にやるんだろう?」

「そんなの作ってる人たちの都合だろ。オレたちにはどうでもいいことだ」

「まぁそうだな。でも、世の中に大学なんていくらでもあるのに、なんでうちなんだ?」

「知らないけど、きっと見た目じゃないか? うちほど新しくてキレイな大学は東京中探してもまずないからな」

「そうか? ……ああ、そう言えばそうか」


 言われて思い出したが、うちの大学の校舎は今年の三月に新築されたばかりだ。

 うちの建築学部の卒業生がデザインし、美しさにかなりこだわった造りになっている。知らない人が、今俺たちがいるエントランスを見た場合、大学の校舎とは決して思わないだろう。高級リゾートホテルのラウンジとでも思うはずだ。

 絵になるのは間違いない。

 わざわざここを使いたい……という制作側の意向は理解できる。

 まぁ実際はそんなもっともらしい理由ではなく、監督やプロデューサーがうちの卒業生だから、ってオチなのかもしれないが。


「それで、なんでみんなはそわそわしてるんだ?」

「芸能人を直接見られるかもしれないだろ」

「それってそんなにワクワクすることなのか?」

「お前は身内にすごい人がいるからわからないかもしれないが、普通はそれってかなり嬉しいんだよ」


 そういうものなのか?

 ……まぁそういうものなのかもしれない。


「全然理解してなさそうだな。まぁいい。今日はただ見られるだけじゃないぞ。エキストラを募集してるんだ」

「へぇ?」

「今朝急に発表されたんだ。エキストラを何十人か募集するって。エキストラの出番があるシーンは、昼前から三限目あたり、それと日暮れ以降にかけて撮影するそうだ」

「え、一日拘束されるの?」

「前半と後半でそれぞれ募集だよ。ってことは確率二倍だ。オレたちも映画に出られるかもしれないってことだ」

「ふぅん」

「まるで興味なさそうだな」

「昼前ってことは二限目と被るだろ? そこは収容所があるんだよ。エキストラやるから休む、なんて理由は絶対に通らない人だから、関係ないな。わざわざ日暮れまで残るつもりもないし、俺はパスさせてもらう」

「収容所は休みになったぞ。撮影で教室を使うから休みになったらしい」


「マジかよ。あの教授、学生には休むなって言うくせに自分は休むのかよ……くそっ、休みだって知ってたらこんな時間に来なかったのに。午後の授業に間に合うようにで十分だった」


 そっちの授業は欠席や遅刻に対してかなり寛容だ。収容所ではなく、保養所と言っていいレベル。


「お前はそう言うと思ったから、収容所が休みになった話はしないで早く来るようにとだけ言ったんだ。さぁ、一緒にエキストラをやろうぜ。と言うか、エキストラのオーディションを受けようぜ」

「オーディションなんてあるのかよ。たかがエキストラに」

「希望者が少なければみんなやれるんだろうけど、この様子だと何百人って応募しそうだから倍率は厳しいぞ」

「じゃあ俺はやらない方がいいな。なにせこの顔だからな。倍率とか関係なく確実に枠をひとつ奪っちゃうぞ」

「………………」

「冗談だから本気にしないでくれ」

「冗談に聞こえないんだよ、お前が言うと。まぁ仲間内で誰も採用されないよりも藤城だけでも採用されてほしいんだよ」

「何でそこまで意気込んでるのかわからないが、わかったよ、どうせ暇だからやる」

「よしっ。じゃあ、採用されたら、出演者のサインをもらってきてくれないか? 風越純って男の俳優なんだけど、うちの母ちゃんもばあちゃんも妹もみんな大ファンなんだよ。サインもらえたら我が家のヒーローになれるんだよ」

「なるほど、そういうことか。だけど、エキストラで出たくらいでサインくれって言えるのかな? ちょっと図々しくないか? というか、スタッフから止められたりしないか?」

「そこは大丈夫。藤城なら問題にならない」

「どうして?」

「今日の映画の出演者を見ろよ」


 澤畑はエキストラ募集のチラシを見せてきた。

 そこには募集要項の他に、作品の名前や公開予定日も記載されていた。宣伝も兼ねているようだ。

 下の方に出演者の名前も書かれている。

 風越純というさっき聞いたばかりの役者の名前が先頭に書かれている。たぶん主役なのだろう。

 その右隣に書かれている名前を見た時、


「うげっ……」


 と、思わず変な声が出た。

 藤城花火。


「姉じゃねぇか!」

「そうだよ。だから、他のエキストラならサインをもらえなかったとしても、お前ならはなちゃんを通して風越純のサインをもらえるってわけだ」

「いや、姉が出てる映画にエキストラ出演とか本当にイヤなんだけど」

「なんでだよ。はなちゃんと仲悪いのか?」

「そんなことはないが……とりあえず、はなちゃんって言うの気になるからやめてくれないか?」

「でも公式のあだ名だぞ」


 たしかにその通りなのだが……家族の中で姉をはなちゃんと呼ぶ者はいない。

 “はなちゃん”はアイドルとしての名前という印象で、どうも違和感があるのだ。


「とにかく、やるって言ったんだからやれよな。お願いします!」

「状況をよく理解しないでうかつな返事をしたさっきの俺の口を塞いでやりたい気分だ」

「サインもらえたらさ、なんかいろいろ奢るから。テストの時にノート見せるし。去年とか一昨年に同じ先生の授業取った先輩を探して問題用紙もらって来るっていうのはどうかな?」

「かなり魅力的な提案だな………………わかった。それならやる」


 と返事をしてから、もう一度チラシに目を通した。

 さっきは姉の名前を見つけたところで止まってしまったが、その少し後ろに別の知っている名前を見付け、うかつな返事をしたことを再び後悔した。


 初瀬リリ。


 という名前があったからだ。

 ああ、この映画か。あの小説が原作になっている映画っていうのは。

 初瀬がいるとわかっていたなら、何が何でも断っていたのになぁ……。

 姉の仕事を見たくないのは、周りから冷やかされるのがイヤ、というのが大きい。だから、絶対にNGってわけではない。

 でも、初瀬の場合はそれとは違う。

 俺は見たくないのだ。アイドルとしての初瀬を。

 俺とは違う世界に住んでいる人間だということを意識したくないから、可能な限りプライベート以外の初瀬を見ないようにしてきた。

 今からでも逃げ出そうか……と心の中で葛藤していると、スタッフが何人かやってきてエキストラ希望者たちに集まるように行った。

 そしたらすぐにオーディションが始まった。

 オーディションと言っても、すごく簡単なものだった。

 主人公たちが通う大学でのシーンを撮影する時の背景の役割でしかない。

 悪目立ちしないそこそこのルックスがあれば誰でもいい、という感じで、スタッフたちはひょいひょい適当に選んでいった。

 予想通り、俺は採用された。さらに、澤畑も採用された。

 で、こうなってしまうともう逃げられない。



 “莉莉”ではない、“リリ”と向かい合わなければいけなくなった。

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