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第8話 昼の顔(中)

 採用を告げられた後、すぐに撮影場所の教室に連れて行かれ、後ろの方の席に適当に座るように言われた。


「いくつか注意事項があります。まずは全員スマホの電源を切ってください。もし鳴ってしまうと撮影が止まってしまいますので、必ず切るようにしてください。切りましたか? では続いてですが、みなさんにはここで学生役として背景を担当していただきますが、必ずしも完成品の映像に映っているとは限りません。その点、ご了承ください。また、撮影中は私語はご遠慮願います。適当にどこかを見たり、本を読んだりなどをしていただければ結構です。当然ですが、この場での写真や動画の録画、および録音は厳禁とさせていただきます。もし発見した場合、すべて消去させていただきます」


 というような説明があり、しばらくそこで待機させれた。

 俺たちが座っている間に、監督らしき人が入ってきて、カメラを持った人やマイクを持った人と話を始めた。

 いかにもプロの撮影現場という雰囲気が室内に漂い始めた。

 映画にあまり興味がない俺でさえ、緊張感でそわそわしてしまう。

 それからさらに少しして、役者たちが入ってきた。

 まず入ってきたのは、かなりのイケメン。エキストラでこの場にいた女性陣が思わずため息を漏らすほどだ。


「あれがその風越って人?」

「そう。最近結構いろいろ出てるのに、顔も知らないのか?」


 澤畑が呆れるように俺の質問に答えた。

 顔は知っている気がする……たぶん、適当にテレビを流している時に見たとかだろう。

 だが、はっきりとした記憶はない。「知っているだろ?」と言われれば「知っている」と答え「知らないだろ?」と言われれば「知らない」と答えてしまうくらいには、漠然とした記憶しかない顔だ。

 スポーツ選手とかお笑い芸人ならもっとちゃんと覚えてるんだけどな。

 風越は、エキストラの俺たちのことをちらりと見ることもせず、監督となにか話し始めた。

 続いてすごく見慣れた顔の女が入ってきた。

 やや丸顔で、目鼻立ちがはっきりした顔立ち。客観的に語るのは難しいが、死ぬほどがんばって客観視すれば“キュート”という言葉を擬人化したような顔。

 背は高めで、手足は長く、細く嫋やか。一方で、水着グラビアで何度も雑誌の表紙を飾ったことがあるほどスタイルが良く写真集もたくさん出していて……もうムリ。

 だんだん気持ち悪くなってきたので、この辺でやめておこう。

 それが我が姉、藤城花火だ。

 姉に続き、またも見慣れた顔がやってきた。

 初瀬莉莉……いや、仕事の時は初瀬リリだ。

 姉と初瀬は、教室に入るとまずはエキストラ陣に向かって大きく頭を下げた。


「みなさん、本日はエキストラとして撮影にご協力いただき、本当にありがとうございます。聞いた話ですが、記念品は配られてもお金がもらえるわけではないそうですね。申し訳ございません」

「せめてみなさんに今日の撮影を良い思い出と思ってもらえるよう、私たち出演者一同がんばりますので、どうか最後までご協力お願いいたします」


 二人で分担して、このようなことを言った。

 すると、俺の周囲の人たちは拍手をしたり、「はい!」と大きな声で元気よく返事をしたりした。

 出演料がないことにみんな納得した……という雰囲気ができあがった。

 これでいくら予算を浮かせただろう。すごいお手柄だ。

 いや、ちょっと待て。

 俺を含め、エキストラを名乗り出た者たちの中で、金を求めていた人そもそもいなかったのではないか? 大半は記念とか思い出作りとかの理由で気軽に参加しただけであり、一円ももらえなくても文句などなかったはずだ。

 人気アイドルの二人から頭を下げられお願いされ、なかったはずの不満がさもあったかのように錯覚し、それが解消したかのようなカタルシスを感じてしまった……そんな不思議な状況が今なのではないだろうか?

 なんかすでにこの場の空気があの二人にコントロールされてしまっているような……。これがトップアイドルの持つ能力なのか?

 怖いな。

 これをやったのが姉や初瀬という個人的によく知っている人たちなので、俺は冷静に状況を俯瞰できる。

 だが、知らない美人からそうお願いされていたら、周囲と同じようにうまくコントロールされていたのだろうか? おそらくこの手口に簡単には抗えないだろう。

 恐ろしいことだ。




「まずオレたちみたいなモブのことを見てくれるなんて、はなちゃんやりーりーは天使だな。風越なんかとは全然違う」


 撮影が始まり、途中でカットが入り、自由に喋ってよくなったタイミングで、澤畑がそう言った。うまいことコントロールされている。

 今はおそらく短い休憩なのだろうが、この間にスタッフたちは忙しく動いている。出演者の髪を微調整し、メイクを直し、カメラやライトの位置を調整している。その間にも出演者は台本に目を通しつつ、監督や脚本家と何やら話をしている。

 そんな慌ただしい状況のすぐ後ろで、こっちはのんびりと話をしている。まさに世界が違うという感じだ。


「風越ってのは生粋のテレビとか映画の役者なんだろ? ファンと接する機会はほとんどないだろうから、エキストラの中に自分のファンがいるかも、とは考えないんじゃないか? 仮にファンがいたとしても、ファンサービスする理由が映画俳優にはあまりないんじゃないかな?」

「なるほど。アイドルはファンと接する機会がすごく多いから、エキストラの中にファンがいるかも、好感度稼がなきゃ。みたいな考えになるってことか。一理あるけど、あの二人が天使だからって発想にはならないのか? 藤城は夢がないな」

「姉にどんな夢を見ろと言うんだ」


 家での姉は、別に天使でもなんでもない。

 別に厳しい人と言うわけでもないが……友達には、弟を虐げる暴君のような姉を持つ人が少なくない。そういう家から見れば、うちの花火は十分に優しい姉ではある。しかし、断じて天使という賛辞が似合うような人ではない。

 初瀬も同じだ。素敵な人ではあるが、天使などではない。

 どちらもただの人間だ。




 撮影は何度も中断を繰り返し、二時間近くの時間をかけやっと終了した。

 実際のシーンでは何分くらい使われるのだろう? へたしたら全カットとかもあるのだろうか?


「それではみなさんの出番はここまでとなります。今日はありがとうございました。公開は来年中を予定していますので、ぜひ劇場にいらしてください」


 というスタッフの挨拶で、昼の部のエキストラ陣は解散になった。

 教室の出口でスタッフが記念品を配っている。出演者のポストカードのようだが……二種類のみ。姉か初瀬のどちらのバージョンしかないようだ。

 いや、どっちもいらないが……特に姉のなんか絶対にいらないんだけど。


「なぁ藤城。さっきの話忘れてないよな? 風越のサインをもらえないかはなちゃんに頼んでくれるって話……」

「わかってるって。でも、今姉に話しかけるタイミングあるかな?」


 姉(と初瀬は)記念品を配っているスタッフの隣に立ち「ありがとうございました」と、エキストラたちに対しお礼をしてお見送りしている。

 好感度稼ぎ。いや、営業に余念がない。

 そこまでしないといけないほど売れてないわけではないと思うが……。

 初瀬のグループはちょっと前にいろいろあった。自分だけでなくグループ全体の好感度を上げるためにこういうチャンスを活用したいのかもしれない。

 姉はそれに付き合っている感じだろうか。初瀬だけがお見送りをして、姉がやっていないと印象悪いからな。

 ちなみに、風越はスタッフと話をしている。撮影の合間を含めても、ただの一度もエキストラのいる方を見なかったような気さえする。ここまでくると、眼中にないどころか、悪意のようなものさえ感じる。

 まぁこっちもあいつには全然興味がないからどうでもいいんだけど。

 他のエキストラたちが全員出ていくのを待ってから、最後に出口に向かった。


「やぁひーちゃん。こんなところで会うなんて奇遇だね。あたしの仕事場に来るのは久しぶりだっけ?」

「ライブ以外はかなり久しぶりだな」

「カッコよかった?」

「みすぼらしくはなかった」

「はっはっは、照れちゃって、こいつめ」


 俺と姉が普通に話し始め、あまつさえ姉の方から俺にボディータッチをしたので驚いたスタッフが集まりそうになった。

 だが、すぐに姉のマネージャーが「この方は藤城の弟さんですので大丈夫です」と説明してくれたので事なきを得た。

 姉が家にいる時と変わらない感じできたものだから、ついうっかりしてしまった。

 公の場でこういうのはよくない。時に危険を伴う。


「ちょっとぶしつけだけど、姉に頼みがあるんだ」

「なになに? この優しいお姉ちゃんが時間がかからないことならなるべく助けてあげよう」

「俺じゃなくて友達の頼みなんだけどね」


 隣の澤畑を指差した。

 澤畑は、あわあわと緊張した様子で頭を下げ、「澤畑です」と名乗った。


「澤畑くんですね。火花の姉の花火です。いつもうちの弟がお世話になっています」

「あ、い、いえ、お世話だなんて、そんな……いえ、えっと、その……」


 どうやら澤畑は頭が真っ白になっているようだ。

 要領を得ないので、俺から説明をした。


「なるほど、風越さんのサインがほしいと。オッケー。すみません、じゃあちょっともらってきていただけますか?」


 と、姉はマネージャーに伝えた。姉のマネージャーは風越のマネージャーのところに行き、それから風越のマネージャーが風越本人のところに行った。

 風越はいかにも「めんどくさい」という表情を一瞬浮かべたが、すぐにサインを書いた。マネージャー越しに頼まれたことを断ると余計にめんどくさいことになると判断したのかもしれない。

 澤畑はそのサインを受け取ると、遠くからになるが風越にお礼を言った。だが、風越は背を向けたままでちらりとも見ない。


「なんか迷惑なことしちゃったんでしょうか?」

「大丈夫。あの人、ああいう人だから。何も気にすることないよ」

「はぁ……」

「家族に喜んでもらえるといいね」

「は、はいっ!」


 姉がウインクをすると、澤畑はすっかり舞い上がってしまって、力強くうなずいた。

 すっかり魅了されてしまっている。

 姉がこうやって他人をコントロールしているのを見るのは、ちょっと居たたまれない。

 あまり良くないかもとは思いつつも視線を初瀬に向けると、初瀬もちょうど俺を見ていた。

 目が合った瞬間、胸の奥がちょっとだけざわついた。

 ここでの俺たちは赤の他人。いつものように話しかけることはできない。


 だが、初瀬の方から俺に話しかけてきた。

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