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第9話 昼の顔(下)

「久しぶりですね、藤城くん。ここの大学に進学していたんですね。元気でしたか?」


 人気アイドルが人前で、明らかに知り合いであるとわかる声のトーンで男に話しかける。

 発言の内容はまったくたいしたものではない。だがそれでも、周囲の警戒を呼ぶのには十分だった。

 初瀬の後ろにいた女性マネージャーの顔に警戒の色が現れる。

 ガデフラでは少し前にいろいろなスキャンダルが続き、今は初瀬が屋台骨の半分以上を一人で支えているような状態だ。マネージャーは自然とわずかな男の影にも神経質になってしまうのだろう。

 今の言葉に反応したのは他にもいた。


「お、お前、藤城。りーりーとも知り合いなのか? どういうことだ? 何も言わなかったじゃないか、説明しろ!」


 澤畑が俺の肩を掴み、体を激しく揺さぶる。

 ナイスだ。ごく自然に、俺と初瀬の間に特別な何かがあるわけではないことをマネージャーに説明できる。


「中高が同じなんだよ。何度か同じクラスにもなったことがある。そのくらいの知り合いだよ」

「クラスメイトって……なんだよそれ。家に帰ればはなちゃんがいて、学校に行ったらりーりーがいるなんて。なんでそんなにアイドルが周りにいるんだ?」

「偶然だな。そうとしか言えない」

「なんでりーりーと同じ学校だったって話を教えてくれなかったんだよ。卒アルとか見たかったのに」


 そういうこと言われたくなかったから秘密にしてたんだよ。


「学生時代のクラスのみなさんには、私のことをアイドルではなく普通の友人として接していただきました。他にも、学校での私のことを外で話さないようにしてくれて、おかげでとても助かりました。藤城くんは今もそれを守ってくれているのでしょうから、どうか責めないであげてください」


 初瀬がそう言うと、澤畑は「はい……」と大人しくなった。

 すごいな。俺が言ったら倍になって言い返されそうなのに、初瀬が言うと一発で黙るのか。


「ねぇひーちゃん。これからすぐに次の授業だったりする?」

「いや、結構時間あるけど」

「じゃあ暇潰しに付き合ってよ。弟が通う大学がどんなところが見てみたい。いいよね、マネージャー?」


 マネージャーは「私も同行しますけど、それでいいなら」と答えた。


「よし。じゃあ、りーりーも行こうか」

「え、私もですか?」

「控室になってる教室にずっといても暇なだけじゃん。見たことない場所、行ったことない場所に行くのって大事だよ。リアルな大学生が学校で何をしてるか見て、聞いて、普段と違うことを少しでも体験してみよう」


「……そうですね。おもしろそうだし勉強になりそう」


 初瀬のマネージャーはイヤそうな顔をしていたが、これも仕事に繋がる勉強だと藤城花火に言われたら、反論はできないようだった。

 ということで、俺と姉、初瀬、そして二人のマネージャー、ついでに澤畑やエキストラ採用に落ちた友人たち数人もいつの間にか合流し、合計十人ほどの結構な人数で大学を見て回ることになった。

 うちの大学の校舎は新しいだけでなく、地下六階、地上三十五階の巨大なビルになっている。

 まず向かったのは、その最上階だ。

 ここは展望台になっている。

 大学の近隣にもビルは多いが、三十五階という規模の物はさすがにない。だから、遠くまでよく見える。


「へぇ、良い眺めじゃない。お金取れるレベルよ」


 姉は展望台のガラス壁沿いを歩き、街を見下ろしながら言った。

 適切な評価だ。

 展望台には、百円を入れると使える望遠鏡も設置されている。実際にお金を取っているのだ。


「ふふっ、お金取れるレベルとは言ったけど、本当に取ってるとちょっと引くわね」


 俺と姉が外を見ている間、友人たちは遠巻きに様子を見ていた。

 せっかくの機会なので近づきたいという想いはあるようだったが、マネージャーがガードしているため一定の距離以上には踏み込めないようだった。

 さっきのお見送り会のように、姉の方からファンに近づいていくのは問題ない。

 しかし、逆のパターンは強く警戒する。

 方針はとてもシンプルだ。

 初瀬は、俺たちからも、俺の友人たちからも離れたところでマネージャーと共に景色を見ていた。ちらっと一瞬俺の方を見たような気がしたが、近づいてくる気配はない。

 その視線には姉も気付いたようだった。


「ねぇ、ひーちゃん」


 姉はさっきよりも小さな声で俺の名前を読んだ。

 この場にいる俺以外の人には間違いなく聞こえないだろう声量だ。


「ん?」

「初瀬ちゃんと話したい? 一分か二分くらいなら時間作ってあげられるけど」


 姉は仕事モードの時、初瀬のことを“りーりー”とあだ名で呼ぶ。

 プライベートになると“初瀬ちゃん”に変わる。

 今、モードが切り替わったようだ。こういう時、姉は割と融通が利くし、いたずらのようなこともしたがる。


「なにかするつもりか?」

「別に。弟とその大事なお友達に、ちょっとばかし青春らしいことをさせてあげようかな、ってお姉ちゃんの優しさよ。ひーちゃんがイヤなら何もしないけど」

「イヤじゃないけど、迷惑をかけることはしたくない」

「初瀬ちゃんに迷惑かからなきゃいいのね。オッケー」


 話がまとまると、姉は視線を遠くの方へと移した。

 あの辺かな、とあたりをつけると、望遠鏡にお金を入れて覗き込む。


「あ、やっぱりそうだ。これってひーちゃんの高校じゃない?」


 姉は望遠鏡から顔をあげたタイミングで視線で合図を送ってきた。合わせろってことだろう。


「どれ、見せて」


 姉と代わり望遠鏡を覗き込む。

 たしかに学校らしき建物が見えるが……そこまで特徴的な建物ではなかったため、これでははっきりとわからない。


「違った?」

「わからない」

「絶対そうだって。方角的にもこっちだし。ねぇ、りーりー、ちょっと来て。これってりーりーの高校じゃないかな?」


 という感じで、初瀬をさりげなく呼び寄せた。マネージャーも一緒ではあるが、うまいこと俺たちの物理的な距離を潰した。


「どれですか?」


 初瀬は望遠鏡を覗き込み、少し見てから顔を上げた。


「それっぽい気はしますけど、さすがにこれだとわからないですね」

「周辺の建物とかと合わせて考えると、ここだと思うんだけどなぁ。マネージャーさんはどう思います? りーりーの母校知ってますよね? ちょっと見てくださいよ」


 そうして姉は、初瀬のマネージャーに話を振った。

 マネージャーは、「いえ、私は……」と断ろうとしていたが、姉に強引に押し切られた。

 その後姉は、俺と初瀬、そしてマネージャーを分断するような位置に立ち、「あたし、高校は弟と違うからはっきりとは覚えてないんだけど、たしか学校の近くにスーパーがあった気がするんですね。これがそうじゃないかな?」と話を学校から動かしながら、マネージャーの注意を惹きつけている。割と声が大きく、途切れることなくしゃべっている。

 初瀬は姉のその行動の意図をすぐに察したらしい。

 視線を窓の外に向けたまま、


「少しお話しできそうだね」


 と、小さな声で言った。


「そうだな」


 俺も小さな声で返事をする。マネージャーに聞こえないようにするのはもちろんだが、遠巻きに見ている友人たちにも会話していると気付かれないように。

 視線を合わせないように、ぞれぞれ別の方向を見ながら小さな声で話をする。


「ここはとっても景色がいいね」

「学生の間でも人気があるよ」


 開館したばかりの頃は、授業の合間のちょっとしたデートスポットだと話題になっていた。

 その話をしようと思ったけれど、“デート”という単語はたとえ小声でもマネージャーの注意を引く危険があったので飲み込んだ。


「私は大学に行かなかったけど、進学してたら違った生活があったんだろうね。アイドルだけでなく大学生もやってたら、ちょっと話すだけでもここまでしてもらわないといけないなんて面倒はなかったかもしれない」

「今の生活は窮屈?」

「そうだね。でも、籠の鳥ってわけじゃないよ。羽を伸ばせる場所があるから」

「そっか」

「学校でも羽休めの場所でもないところで話すのって何年ぶりだろうね」

「次は何年後かな?」


 それとも、もう二度とないのか。


「さぁ。でも、きっとあるよ」


 その時、姉が肘で俺の体を突いてきた。望遠鏡を使える時間がそろそろ終わるのかもしれない。

 名残惜しいが、咳払いをして初瀬に合図を出す。

 初瀬は何か言いかけた口を残念そうに閉じた。




 展望台を出てから、今度は一転して地下へ向かった。

 地下二階、学食だ。

 うちの学食はちょっとおもしろい。

 テナントとしてたくさんの店が入っていて、フードコートのようになっているのだ。

 すでに昼休みの時間は過ぎているため、人の数は多くない。席は半分くらいは空いているので、どこでも座れる状態だ。


「ここが噂の学食ね。あ、すごい。ケバブ売ってる。あっちは海南鶏飯? 日本の大学の学食でそんなののお店出して本当にやっていけるのかしら?」


 姉は学食を見て結構はしゃいでいる。


「ここはおもしろいわね。お昼はここで食べましょうか」

「お弁当が用意されていますけど?」


 と、マネージャーが難色を示す。


「いえ、せっかくだからここにしましょう。あたしのお弁当は、ひーちゃんに持ち帰ってもらうってことで。一食浮くから嬉しいでしょ?」

「はぁ……わかりました」


 姉のマネージャーはため息を吐き、周囲に視線を配った。

 壁際の空席で視線が止まった。


「あそこがいいですね」

「じゃあ確保しておきます!」


 ここぞとばかりに俺の友人たちがその席の確保に向かった。

 壁際にあるテーブル三つ、十人以上が座れるスペースを一瞬で確保した。ついでにテーブルを移動してくっつける。

 藤城花火や初瀬リリと一緒に食事をしたという思い出を作りたいのだろう。

 姉と初瀬のマネージャーは少し話をして「まぁこれくらいならいいでしょう」という結論に至った。




 数分後、三つのテーブルは料理を手にした俺たちで埋まった。

 姉と初瀬が真ん中になり、姉の隣には俺、反対側にはマネージャー。初瀬の隣にはマネージャーと、いつの間にか現れた映画の女性スタッフが座り、その外側に俺の友人たちがずらっと並んだ。


「それではみなさん。今日の良き出会いに感謝して、いただきます」


 姉が音頭を取ると、全員が合わせて「いただきます」と輪唱した。


「どれどれ、内装やラインナップだけでなく、味はどれくらいなのかしら……おおっ、オムライスのこのとろっとした卵の焼き加減。学食なのにこんなにレベルが高いとは。ホワイトソースも味がしっかりしてておいしい。この値段だと毎日食べられるから、簡単に太っちゃいそう」


 姉はオムライスの卵を突っつき、ソースをたっぷり絡めた一匙を口に入れてそう感想を述べる。

 食レポかな?

 ちなみに、姉は普段はオムライスのように炭水化物過多の食事はしない。見られていることを意識して、あえてかわいいものを選んだのだろう。

 姉はそういう人だ。

 一方、初瀬はパスタを食べている。こちらもなんか見られていることを意識していそう。

 友人たちはオムライスかパスタで二分されてる。それがどっち派かを示しているのだろうか? 比率を見れば、7:3で花火派が多い。

 俺はどちらにもかぶらないようにうどんにした。


「花火さんって大学出てましたよね。学食ってどうでした? やっぱこんな感じなんですか?」

「いや、こんなに立派じゃなかったよ。もっとこう……安くするためにいろいろ必要最小限にしてます、的な。観葉植物の一個もない空間だったよ。まぁあんまり行くことはなかったけどね」

「やっぱり忙しかったからですか?」

「そう。午前中に大学に来て、授業が終わったら急いで現場に移動、って毎日だった。座ってお昼を食べられる余裕はなかったよ」


 横で小さくマネージャーが「すみません」とつぶやく。

 姉はいつでも元気が有り余っているように活動的だが、そういう人間でなければ大学と売れっ子アイドルの両立は難しいのかもしれない。

 今でもうちで充電しなければいけない初瀬が進学していたら、今よりもっと大変で精神が追いつかなかったかもしれない。

 ……いや、高校時代のように学校が気分転換の場になっていた可能性もあるか。

 それからしばらく姉と初瀬の二人で毒にも薬にもならない穏やかな会話をしていた。

 おそらく二人は意図的にそういう会話をしていたのだろう。嫌悪感を抱かせることのない和やかなトークで場の空気を作り、俺の友人たちに良い思い出を作らせて自分のファンにさせる……。

 この二人はどちらもなかなか計算高いので、打ち合わせなしでもそのくらいの認識は共有できるだろう。

 食事が終わったタイミングで、マネージャーが時計を気にし始めた。そろそろ戻らなければいけない時間なのかもしれない。


「じゃあひーちゃん、後で控室にお弁当取りに来てね。結構おいしいよ」


 姉がそう言い席を立ち、初瀬やマネージャーたちも続いた。

 こうして俺のエキストラ出演の日は終わった。


「エキストラはどうだった? 楽しかった? っていうか、お弁当はおいしかった? 私も最初はあの味に感動したよ。ヘルシーな物しか入ってないしさ。でも、あの映画の撮影の時って、なぜか毎回同じお弁当なんだよね。だから最近はちょっと飽きて来ちゃってて」


「飽きるくらいあんなのが食べられるとは贅沢なことで」


 撮影の翌日、うちに来た初瀬とお茶を飲みながら、そんな話をする。

 昨日とは違い、口調に固さは一切感じられない。

 それに、昨日はずっと姿勢を正していたが、今はテーブルに肘をついてゆったりとしている。

 リラックスしてくれているようで何よりだ。俺自身、こういうのんびりしている様子の方が、きっちりお仕事モードの初瀬よりも見ていて落ち着く。


「まぁうまかったな。もう少しパンチがほしいが」

「ヘルシーにこだわりすぎてお肉とか魚がちょっとしか入ってないのが残念なのよね」


 そう言いながら、初瀬はお茶の入ったカップを所在なさげに動かす。

 なにか言い辛いことでもあるかのようだ。

 もしかして、マネージャーに何か感付かれてしまったか? これからはここに来るのが難しくなるとか……。


「……最後に藤城が私のライブに来たのって、もうだいぶ前だよね」

「高校の一年の時が最後だな」


 その頃のガデフラは、まったく売れていなかった。初瀬は出演するイベントでの観客動員人数をなんとか嵩増ししたくて、学校でもいろいろな人に声をかけていた。


「数年ぶりに見たお仕事モードな私はどうだった?」


 なるほど、そういう話をしたいのか。

 マネージャーに睨まれているとかじゃなくて良かった。


「なかなか良かった。動きが全体的にビシッとしてて、プロだなぁって」

「そう、プロなんですよ。お仕事になれば気合を入れられる。それがプロ。カッコ良かったでしょ?」

「ああ。でも、初瀬ががんばってる姿を見ていると、誇らしいような、嬉しいような気持ちがする一方で、なんか恥ずかしい感じもした」

「……どういうこと?」

「授業参観を見に来た親ってこんな気持ちなんだろうな、って」

「授業参観って……誰目線だよ、おい。でも、まぁいっか。私のすごすぎる姿を見た藤城がさ、私のことを別の世界に住んでる人みたいに思って、委縮しちゃうんじゃないかって。そういう心配はちょっとあったから、安心した」

「いや、別世界にいるみたいだな、とは思ったぞ」

「ショックは受けた?」

「それはなかったな。まぁ、人間にはそれぞれの世界がある。たとえ同じ世界に生きていても、男と女では見方が変わる。いちいちショックを受けるほどのことでもない。そういうことにしておこう」

「ふふ、そっか。その程度の話なのか。ならよかった……ねぇ今度はライブ見に来る? お芝居も好きだけど、アイドルの主戦場と言えば何といってもライブだからさ。私の一番カッコいい姿を見せてあげるよ」

「昔見たぞ」

「あの頃とはレベルが違う」

「そうか……会場の一番後ろで腕組みしながら見ててやる」

「別に彼氏ごっこする人がいても気にしないけどさ、藤城はとっくにマネージャーに目をつけられてるから、それやると事情聴取受けるかもよ」

「えっ、それは怖いな。初瀬じゃないメンバーのグッズで身を固めたらどうかな?」

「私が招待したのに別の人のグッズ使ってるとかNTRじゃん」


 そんな話をしているうちに夜は更けて行って、日付が変わるまで気付かずに夢中で話をしていた。

 ライブには、いずれ行ってもいいかもしれない。

 一昨日までは、初瀬のライブを見ることに若干の恐怖があった。

 仕事モードになり、ステージで輝く初瀬の姿が別世界の人間のように思えてしまうのではないかという不安がなかったわけではない。

 でも、昨日、初瀬の仕事姿を見て確信した。そんなことは起こらない。

 だって、最高に魅力的な初瀬の姿ならすでに知っている。



 輝くのは、なにもステージの上だけではない。

 こんな月明りも届かない部屋の中でだって。

 たとえば、夜中に部屋着でうちに来て、リラックスした表情でだらだらと話をしている時。

 話の合間に時折笑顔をこぼれる。

 月明りのない部屋の中でも輝くその笑顔は。

 きっと何よりも美しい――。

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