目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第10話 偶像の夜(上)

「じゃーん! 新しいスマホ買ったよ」


 ある日の夜、うちに来た初瀬が新品のスマホを見せびらかしてきた。


「それって、最近出た新型? たしか大卒初任給より高いんだっけ。そんなの買えるなんてブルジョワだな」

「去年の今頃なら諦めてたね。それをポンと買えるようになるとは、私も売れたもんだよ」


 一年で一気に収入が上がる、それこそ桁さえ変わるというのは芸能界ならではの話だな。

 その分落ちる時も早いのだろうけど。


「まぁさすがにここまでのハイスペックでなくても良かったんだけど、センターがミドルクラスの機種を使ってたんじゃガデフラの恥になるかもしれないしさ」

「たかがスマホ買うにも周りの目を気にしないといけないのか」

「見られてナンボのお仕事ですんで。ってことで、データ移行が完了した前のスマホ、今は空っぽの状態なんだよね。まだ使えるから、こっちは藤城との連絡用にしようかなって思ってるんだけど」


 今現在、俺たちの連絡には、パソコンのメールを使っている。

 一台しかないスマホで連絡してしまうと、何かの不手際で情報が流出してしまいかねない。不測の事態をなるべく避けるため、他の人相手には使わない連絡方法を使うようにしている。

 しかし、スマホがもう一台あるというのであれば話は変わってくる。外に持ち出さないで、家でしか使わないというのであれば、どこかに落としたり誰かに見られたりする心配はいらない。パソコンよりも便利で、同じくらい安全な連絡手段になる。


「新しく連絡用のアカウント作ったから、今度からはこっち使うね」

「わかった」

「これで今までより気軽に動けるね。遅く帰って来て遊びに行くほど時間がない日でも、軽く話ができるよ」

「そうだな」


 と、軽く流すように返事をしたけれど、実際は飛び上がりたいほど嬉しかった。

 しかし、そこまでリアクションしてしまうと気があるのがバレてしまうだろう。

 相手はアイドル。

 ただの友達という免罪符を使いつつ、さらに隠れることで今の関係をようやく保てている。俺が初瀬のことを好きだと知られれば、距離を開けられてしまうかもしれない。そこまで露骨なことにならなくても、間違いなく警戒させてしまうはずだ。

 だから、ムリヤリにでも表情を作り、それほど大きな話ではないように振る舞った。




 その日から、ほとんど毎日のように初瀬とメッセージのやり取りをするようになった……というわけではない。

 せいぜい週二日程度。しかも数往復で終わってしまうような短いやり取りばかりだ。

 もう少し交流が増えると思ったのだが……。

 それだけ忙しいのだろう。早朝から日付が変わった後まで仕事をしていることも多いらしいし、頻繁に連絡できないのは仕方ないのかもしれない。

 負担に思われないように、俺からはなるべくメッセージを送らないように、と心掛けていた。

 だが、その日はその誓いを破って連絡せざるを得なかった。

 バイト終わり、電車の中でスマホを眺めていたら、ニュースサイトのトップに「ガデフラ、初瀬リリ。ロケで骨折」という見出しが目に飛び込んできた。

 慌てて開くと、


 ――所属事務所である“ブルームアーツ”は所属タレントの初瀬リリが番組ロケ中の事故で右足首を骨折したと発表した。入院はせず、自宅療養するとのこと。復帰時期は未定。


 という文章が表示された。驚くべきことに、これは要約した文章ではない。原文ママである。

 見出しからほとんど情報が増えていないスカスカな本文にイラつきながら、SNSを開く。初瀬の骨折は話題になっていて、「悪い話が続くガデフラは終わりが近い」というようなくだらない話で盛り上がっていた。

 もっとも、そういう野次馬的な声よりも同情的な声の方が多数派ではあったが、騒ぎたいだけの野次馬ほど声がでかくて目障りだ。

 駅について、誰もいない場所を探し、さらに壁を背にして誰からも見られないよう気を付けながら、初瀬にテキストメッセージを送った。

 返事はすぐに来た。


「――文章で説明するのめんどい。うち来る?」


 行っていいのか?

 今まで初瀬と遊ぶ時は、必ず俺の家だった。

 それが俺たちの間に引かれた大事なラインだったはずだ。こんな簡単に超えていいのだろうか?

 文章ではなく言葉で説明したい……しかし、それなら電話でも事足りる。

 わざわざ家に招く理由は何だろう?

 考えているうちに自宅に到着してしまった。

 まだ結論が出ていないのに……いや、悩んでいてもしかたない。せっかく誘ってもらったのだから、お邪魔させてもらおうじゃないか。


「――今から行っていい?」

「――カギは開けておくから気を付けて」


 初瀬の部屋はうちのひとつ上の階にある。

 廊下誰もいないのを確認しながら階段を使って慎重に移動する。

 幸いにも他の住人と遭遇するようなことはなく、無事に部屋に入れた。

 初めて入った初瀬の部屋には驚かされた。

 だって、まずにおいからして違ったから。

 甘く蕩けるような良い香りが部屋の中に充ちている。

 香水? アロマ? それともそれ以外の何か? さっぱりわからないが、同じ間取りの部屋なのにこうも違うものかと初手から圧倒された。


「いらっしゃい。ちゃんとカギかけてね。で、その辺適当に座って」


 初めて見る初瀬の部屋は、思ったよりはずっとシンプルだった。

 うちと同じ1DKで、室内にベッドがあり、ソファー、テーブル、テレビなどを置くと部屋の半分以上がすでに埋まってしまっている。

 テーブルの上にはノートパソコンがあり、その他雑貨なども置かれている。

 これと言ってアイドルっぽい要素はない……いや、あちこちに花が飾られているところはアイドルっぽいな。

 誕生日だったり、関わっていた番組が終わったり、というようなタイミングで花束をもらうことがあるようだ。

「あんまりじろじろ見ないでよ。さすがに恥ずかしいって」


 ソファーに座っている初瀬は、笑いながらそう言った。

 その様子は普段と変わらないようにも見えたが、決定的に違う部分が一か所。

 右足首にギプスが装着されている。


「なにがあった? 今されてる報道だとさっぱりわからなかった」

「今日は山に行くロケだったんだけど、足を滑らせちゃって段差から落ちちゃったのね。そんな高い段差ではなかったんだけど、着地した時の足の角度が悪くてさ、全体重が変な方向から右足首に乗っちゃった。で、バキッと……」

「うわ……」

「まぁそこまでひどくはないんだよ。病院でレントゲン撮ったらね、大きめのヒビが入ってるぐらい。あと靭帯にちょっと切れ目が入ってる感じ」

「靭帯損傷? かなり重傷っぽい響きだが」

「骨は完治まで二~三週間。靭帯はそこからさらに二~三週間。短期間で治るはずだからリハビリはたぶんいらないだろう、って話」

「短くて一か月。長いと一か月半。……重傷といえば重症だな。脚が細くて簡単に折れそうって思ってたけど、やっぱり折れたか」

「あっはっは、誉め言葉として受け取っておく」

「ポジティブだな」

「ムリにでもポジティブに考えないと。じゃないと、ネガティブに押し潰される。あちこちに迷惑かけることになるしさ……とりあえず二週間以内の仕事は全部キャンセルになるってさっき事務所から連絡があった」

「二週間休みか……タレント業だと喜びより恐怖の方が先に来るんじゃないか?」

「さすが身内にアイドルがいるとわかってるね。そう、ちょっと怖い。居場所がなくなるじゃないかって……まぁそこまで長くないから大丈夫とは思うけど、やっぱり気になるよね。だからさ、せめて少し生産的なことしようかなって。スキルアップ的な?」

「たとえばどんな?」

「何がいいかな? あんまり考えてると二週間なんてすぐに過ぎちゃいそう、でも、手あたり次第あれもこれもやってるほどの時間はない。何かひとつ、今後に活かせそうなものはないかな? 最初は、海外での仕事も考えて英語を勉強してみようかとも思ったんだけど」

「二週間じゃどれだけ集中してやってもあんまり成果ないんじゃないか?」

「だよね。だから料理にしてみようかなって。料理番組って不変の人気があるからね。今もできないわけじゃないけど、結構ガチ目の料理ができるようになったら仕事の幅は広がると思う。たとえ仕事に繋がらなくても、プライベートで活きるから損はないしさ」


 休養中にだらだらしたり、遊んだりするのではなく、積極的にプラスの時間にしようとする。

 さすが心構えが違うな。

 姉はどうだっけ…………あれ、あの人が正月以外で数日続けて休んでるのを見た記憶がない。

 そういえば、ものすごく体が丈夫だったな。家族全員がインフルで倒れた時も、なぜか姉だけは無事だった。

 無事之名馬というが、そもそも休養しなければいけない状態にならないのが最強なのは間違いあるまい。


「でさでさ、料理を作ろうにもさすがに自分で作って自分で食べて……だとモチベーション的にキツイのよね。誰か食べてくれる人がいた方がいいわけで。だから藤城にお願いしようかなって。暇なら、しばらく一緒に晩ご飯食べない?」

「そんなのありがたいどころじゃないんだけど。本当にいいの?」

「ダメなら誘わらないって。で、オッケーってことでいいんだよね? よし、じゃあさっそく何か作ろうかな。さっきまでいろいろレシピ調べてたんだけど、どれがいい?」


 と、レシピサイトが表示された状態のノートパソコンを画面を見せてくる。


「食材はある? 買ってこようか?」

「腐るほどあるよ。……いや、本当にたくさんあって、たぶん食べる前にどんどん腐っていく」


 キッチンを指差す初瀬。そこには段ボール数箱分の大量の野菜があった。


「冷蔵庫の中にもたくさん」

「なんでこんなに」

「この足だと買い出しも行けないけど、頻繁に食料の補給を誰かに頼めるわけでもない。ってことで、マネージャーが大量に買ってくれて置いてった」

「この前の人か。睨んできて怖い人かと思ったけど、やるじゃないか」

「いや、あの人とは別。今日は山登りで体力仕事だから、男のマネージャーだったの。その人が買ってきてくれた」


 せっかくあの人を見直したと思ったのに。株が上がり損ねたせいで、下がってないのになんか損した気分になってしまった。


「冷蔵庫にはどんなのが入ってるんだ? うおっ……」


 中に入っていたのは、大量の肉や魚。

 特に魚が多い。鮭の切り身や真空パックの鯖などが一段埋め尽くしている。

 別の段には肉類。鶏、豚、牛などが数百グラムずつ。これはまぁいいか。

 さらにソーセージ。大量のソーセージ。十パックくらいある。他にハムやベーコンもある。

 後は豆乳とヨーグルト。こちらも大量にある。


「これだけ詰め込まれてると威圧感あるな。鮭がこんなにあってどうするんだ? 日持ちしないだろ。しばらく毎食鮭を食べるつもりなのか?」

「私がリクエストしたわけじゃないから、なんでそんなに同じのを買ったのかなんて知らない」

「加工肉多くない?」

「だから、買ってきたマネージャーが選んだのよ。そいつの好みとか偏見が思いっきり出てるの」

「好みっていうのはわかる。俺の友達にソーセージを毎日一パック食ってる男がいる。そのマネージャーも同じようなタイプなんだろうな。でも、偏見って?」

「女は肉より魚が好きそう。豆乳とか飲んでそう。みたいな偏見よ」

「ヨーグルトも?」

「それは楽屋でよく食べてるやつだから普通にありがたい。まぁなんにせよ、ソーセージはこんなにいらない。あげるからいくらでも持ってっていいよ」

「俺もそんなにソーセージ食わないけど、まぁ持っていくか」


 例のソーセージ好きの友達にあげよう。映画ロケの時に初瀬に会えてすごく喜んでいたので、たとえ初瀬から流れてきたものとは伝えられずとも、このソーセージを誰よりも喜んでくれるだろう。


「ってことで、今日は何にする? 遠慮しないでいろいろ注文つけてくれていいよ。藤城ががんばって食べてくれないと食材が全然片付かないからね」

「うん。とりあえず今日は鮭からかな。まずは無難に塩焼きかな」

「……は?」


 あれ、なんか初瀬の目つきが急に厳しくなったぞ。

 なにか地雷踏んだのか?


「鮭の塩焼きは朝食に食べるものでしょ。晩御飯になんてありえないって」

「え? そう……かな? そう言われれば、実家でも夜に鮭の塩焼きが出たことはなかったような」

「塩焼きが食べたいなら朝に来なさい。晩ご飯に鮭といえば、当然ムニエルね。よし、それで決まり」

「結局初瀬が決めるのか。いや、それより、朝も来ていいの?」

「通勤通学で人の出入りが多くなる時間を外せるならきてもいいよ」


 そんな……。

 一緒に晩ご飯を食べるだけじゃなくて、朝ご飯まで一緒だなんて。

 そこまでいくとなんかもう同棲してるみたいじゃん。

 嬉しいとかいう次元じゃない。

 だが、この状況は初瀬が骨折したから訪れたものだ。ラッキーとか思っちゃダメだ。


「朝は忙しくて来れないならしかたないけど、藤城が来てくれないと一人ぼっちになって寂しいからできれば来てほしいな……なんてね」


 なんという破壊力だ。

 初瀬の不幸を喜んではいけない。だけどこれで幸せを感じるなっていうのはあまりに酷だ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?