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第11話 偶像の夜(中)

 この日の食事は、鮭のムニエルをメインディッシュに、サラダや野菜たっぷりのスープということになった。そのほかに、小魚の干物を小皿に盛ってちょこちょこつまむ。


「どう、ムニエルの焼き加減は?」

「良い感じだよ」

「へへっ、やったね。これなら料理番組もらえるかな?」

「そこまではどうかな?」

「ふむ、仕事にするにはもっと精進が必要か……」


 今日の食卓には白米はない。

 初瀬は、普段はダンスレッスンがあるため結構ガッツリ米を食べるそうなのだが、療養中は特に炭水化物は節制しても過剰になりやすいということで、米ではなくジャガイモを使っている。電子レンジで調理したジャガイモを、特に味付けすることなく、そのままスプーンでほじくって食べる。

 一方で、たんぱく質は減らさない。カルシウムやビタミンも溢れるくらいにたっぷり摂る。すべてはケガを早く治すために。

 使う食材ひとつひとつにちゃんと意識を向け、意味を持たせている。さすがだ。

 食後、食器洗いは俺が担当し……と言っても、初瀬の家には食洗器があったので、大半はそれに突っ込むだけ。手で洗ったのは規格に合わないいくつかだけだったが。食洗器はこのマンションに元から設置されているものではなく、初瀬が自腹で買った物だ。

 洗い物が終わり、さてこれからどうするか。

 骨折の経緯を聞くためにここに来て、食事をごちそうしてもらうことになって……当初の用事はすべて済ませた。

 だからって、すぐに「さようなら」というのではさみしい。

 だが、長居をしてもいいものか。

 初瀬はうちに来た時はかなり長居するが、逆が許されるとは限らない。負担にならないようにさっさと帰るべきか?


「さて、食事が終わったから、なにかして遊ぼうよ。明日のスケジュールとか気にしなくていいから、今日はたっぷり遊ぶぞ!」


 どうやらまだここにいていいらしい。

 意気込む初瀬の姿は、俺の家で遊んでいる時と変わりない。


「そういえば、初瀬は普段家にいる時ってなにしてるんだ?」

「結構仕事してるかな。月刊誌でエッセイの連載してるからそれを書いたり。書くの遅いからさ、たいした量じゃないんだけど、三日とか四日はかかっちゃうんだよね。お芝居の仕事があれば台本のチェックもあるし、ダンスの練習や筋トレもしなきゃいけない」

「働いてばっかりだな。すごいけど……リラックスしたい時はどうしてる?」

「他のアイドルの動画をいろいろ探してるかな」

「全然売れてなくても、結構光るものを持ってる子たちがいるんだよね。この子たち知ってる?」


 初瀬はスマホの画面を見せてきた。

 どこかのアイドルのライブでの映像のようだが……ちゃんとしたカメラではなくスマホで遠くから撮影したものらしく、ステージから遠くて見えにくいし、雑音もひどい。


「盗撮動画?」

「違う違う。概要欄に書いてるでしょ。撮影OKの曲だって」

「撮影OKなんてこともあるんだ」

「ファンにネットで拡散してもらうためだね。地下アイドルだと結構やってるところあるよ。うちは全面的に禁止だけどね」

「そりゃ初瀬のところは地下じゃなくて大手だからな」


 それにしても、その動画はなかなかひどい。

 おそらく途中で撮影していることを失念してしまい、普通にライブを楽しんだのだろう。画面がずっとガクガク動いていて酔ってしまいそうだ。

 素人が撮ったのだから仕方ないのだろうが、魅力を切り取れているとは思えない。

 こんな動画の撮影を許可し、ネットに上げたとしても本当に宣伝効果はあるのだろうか?


「この子たちはなかなか良い。歌もダンスも未熟だけど、一生懸命やってるのが伝わってくる。こういう子たちが成長していくのを見守りたい! って気持ちにさせてくれる」


 どうやらこんな動画でも理解してくれる人は一応いるらしい。

 それがまさか同業の、しかもトップランクにいる人だとは誰も想像しないだろう。


「機会があればこの子たちのライブに行ってみたいんだけどねぇ。まぁ私がアイドルのライブに一般客として行くのは難しいだろうけど」

「動画を見た感じ、客は何十人もいないみたいだからな。ここに初瀬リリがいたら、ステージより注目集めちゃうな」

「想像しただけで申し訳ない気持ちになる」

「しかし、業界の裏側っていうか、内部を知ってるのによくアイドル好きでいられるもんなんだな」

「逆よ、逆。裏を知っていても好きだからこそ続けられるのよ。多少の幻滅でなくなる燃え尽きるほどの情熱じゃないってことね」

「なるほど。ところで、そのグループのライブに行けないなら、番組にゲストで呼べたりしないのか? ネット番組って比較的自由って聞くし、センターの権限でなんとかできたりしない?」

「こういうとあれだけど、ランクが違いすぎて。うちに一切得がないからOKはもらえないだろうね。もうちょっと売れて……せめて一千人の箱でワンマンできるようになったら、うちにもなんらかのメリットはあると思うんだけど」

「一千人を集めるって相当だろ? たいていはそんなのクリアできないんじゃないか」

「まぁね…………だからこそ、上澄み中の上澄みである私たちガデフラは、ファンはもちろん同業者からも憧れてもらえるようなアイドルらしいアイドルであるべきなのよ。特にセンターはね。だから、すべてを台無しにした前のセンターは絶対に許せない。悪い話が明るみになる前に、いっそ死んでくれたら良かったのに」


 冗談めかすわけでもなく、本当にそういうトーンで物騒なことを口にする。

 何年も一緒にやってきた仲間のはずなのに……。

 それだけ初瀬がアイドルに人生を捧げているということなのだろう。


「で、そういうアイドルたちをチェックするのが、急ぎの仕事はないけどあんまり時間がない日」

「時間がある日は?」

「藤城の家に行く。だからうちって遊ぶものがないんだよね」


 どうやら俺の優先順位は結構高いらしい。多い時は週二とか週三で来る時もあるから、そうなんじゃないかとは思っていたが、本人の口から聞くと嬉しさもひとしおだ。


「俺以外と遊ぶことは? 業界の友達とか、ガデフラの子と食事に行ったり」

「仕事と仕事の合間に食べに行ったりすることはあるよ。でも、仕事が終わってからわざわざ食事に行ったりはしないなぁ」

「後輩と食事に行って、チームの仲を深めるのはセンターの仕事のうちに入らないの?」

「痛いところついてくるなぁ。たしかにそれが求められていないと言えばウソになる。でも、行きたくないんだもん。仕事関係の人とプライベートで会いたくなくて。初瀬リリが万全の状態でいるためには、初瀬莉莉である時間も大切なのよ」

「まぁそういう人もいるよな」

「プライベートでも仲良しであって欲しいと思うファンの気持ちはわかるけど、私も人間なのでね、充電時間は必要。まぁうちには上と下を繋ぐ潤滑油な役割が得意な姐さんがいるから、そっち方面はお任せだね」

「なるほど。逆にさ、友達がいないってぼっちアピールするのもキャラづくりとして有効なんじゃないか?」


「やってる子はいるよ。共感性だったり親しみやすさを強調する狙いだね」

「ぼっちって親しみやすいか? 親しまれてないからぼっちなのでは?」

「高嶺の花よりはいいでしょ。完璧な人間よりは、欠陥がある人間の方がリアルで好まれる。っていうか、あんまり完璧だとウソっぽい」

「たしかに完璧すぎると一気に作り物っぽくなるな」

「アイドルの語源は英語の“idol”、元々の意味は“偶像”。つまり、元々がウソって意味を含んでるわけだけど、やっぱりあからさなウソはダメ。私たちは偶像ではあるけど、アニメの世界にいるわけじゃなくて現実の世界にいるわけだから。完全無欠で無双することまでは求められていない。むしろ人間らしい欠陥こそファンは求めている」

「えっと、つまり、ぼっちキャラを作るのは有効ってことでいいのか?」

「本人が本当にぼっちであるなら。そして、それを貫くつもりがあるなら」


「というと?」

「友達がたくさんいるのに、ぼっちキャラはひどいウソ。それでファンになってもらっても、裏切る未来が最初から確定してる。これはダメ。そして、後から友達がたくさんできました……というのも、キャラ変が極端すぎてどうかなと思う。あ、でも、友達をたくさん作れるようになりたい、って宣言して進捗を報告するようなタイプだったら別にいいか。……うん、それならアリだな」

「……とりあえず、初瀬にはアイドルに対するこだわりがあるっていうのはよくわかった」

「そりゃ私はこの道のプロですから。もっともっといろいろ語れるよ。聞きたい?」

「そうだな。聞かせてもらおうか」

「お、いいの? じゃあ軽く二時間くらいお話ししましょう」

「思ったより長い……」


「では私の一押しアイドルを十人ばかり解説しましょう。まず最推しだけど、これは言うまでもないね、藤城花火さん。花火さんの基本情報だけど」

「姉はどうでもいい」

「そう? 藤城が知ってるのはプライベートの姿だけで、アイドルとしての姿は知らないと思うけど」

「別に知りたくもない」

「じゃあ花火さんは飛ばして次の人の話を……」


 そうして語り出した初瀬は、本当に楽しそうだった。その顔を見ているとこっちも楽しくなる。

 ……まぁ二時間どころか、三時間もノンストップで話し続けるとは思わなかったが。

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