目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第12話 偶像の夜(下)

「いやぁ、語った語った。番組でもここまで語らせてもらえることってないから気持ち良かったよ」

「それはよかった」

「これでアイドルに疎い藤城にも今の業界について少しは理解してもらえたんじゃないかな?」


 いや、三時間ずっと聞いてはいたが、あまりに長すぎてもうほとんど覚えていない。


「では、ここまでの話を軽くテストしてみようかな」


 まずい、テストなんてされたら覚えていないのがバレる。話を逸らさないと。


「今の話には重要な一人が抜けてると思う」

「誰?」

「初瀬リリ」

「私? ……たしかに私が一番期待しているのは私だから、推しと言えば推しってことになるのか?」

「どうぞ存分に語ってください」

「マジか……自分語りをしろと? まぁたまには客観的に分析するのもいいか。えっと、初瀬リリは日本の女性アイドルでガデフラの現センター」

「ウィキペディアかよ、みたいなボケいらないので。あなたの強みは?」

「面接!?」

「うちに入ったら何がしたいですか」

「プロデューサーなの? いや、私って面接される側じゃなくて、どっちかと言うとする側だと思うけど」

「する側? センターだと新メンバーオーディションで審査員とかしたりするのか?」

「いや、今ちょうどオーディションやってるけど、そういう役は来ない。……まぁそんな話はいいよ。私の強みか……誰よりもアイドルを愛し、この仕事と真摯に向き合っていること。でしょうか」


 ドヤッ! と決め顔を向けてくる。

 かわいいけど、それだけでは何も伝わらない。

 言葉が足りない……いや、掘り下げのための質問をするのは司会者の役割か。


「真摯に向き合うとは?」

「私には理想とするアイドル像があります。それと本気で向かい合っています。藤城さんは、そもそもアイドルとはなんだと思いますか?」

「アイドル? なんだろうな、歌って踊ってみんなを楽しませる人?」

「なるほど。浅い。実に浅い。子供用プールくらいの浅い。しかもぺらっぺらに薄い」


 俺は聖人ではないので、相手が初瀬であってもイラッとする時はある。それが今だ。


「じゃあ初瀬はアイドルをなんだと思ってるんだ?」

「アイドルはエンターテインメント業。見ている人を楽しませる仕事」

「俺が言ったのと同じじゃないか?」

「違うのはここから。私の考え方としては、歌やダンスはその手段のひとつに過ぎない。見ている人を楽しませることができるなら、上手でなくてもいい」

「じゃあ、音痴でもいいのか?」

「いいよ。それでファンが楽しんでくれるなら。実際は、うまい方が好まれるから音痴は困るけどね」

「なるほど」

「他のエンタメ業と比較して、アイドルの特殊な点は、スキャンダルに対して極めて脆弱ということが挙げられます。法に触れるものは当然ダメですが、恋愛という普通の人なら何も問題視されないことも致命的になったりします」

「たしかに。よく考えると不思議な世界だな。おかしいとは思わないのか?」

「その是非は誰かが考えればいい。未来のアイドルは恋愛に関して寛容になっている可能性もあるし、さらに厳しくなっている可能性もある。現代の風潮に関して、私は何も文句は言いません。私を応援してくれるファンのみんなが私に恋愛してほしくないと言うのなら、私はアイドルである限りしません」


 初瀬のそういう恋愛観は相変わらずだ。

 誰とも付き合わないという発言は、俺にとって嬉しいやら寂しいやら。


「それで、初瀬の考える理想のアイドル像とは?」

「ファンに“楽しい”を届けられる人。これが一番大事。これができなければアイドルとは認めない。逆に言えば、楽しませることができるならアイドルと呼んであげてもいい」

「なるほど」

「アイドルの基準をクリアした上で次に重要なのは、不安にさせない人ってこと。もしかしたら彼氏がいるんじゃないか? って思われて、怯えさせるのはダメ。そしたらファンは存分に楽しめなくなってしまう。一点の曇りもない純粋な“楽しい”を供給しなければいけない」

「前に言っていたな、証拠を残さず、疑われることもない。それは奇跡のようなものだが、アイドルを輝かせてくれるって」

「そう、まさに奇跡。証拠を消すのは比較的簡単。だって、何もしなければそもそも証拠なんてありえないもの。でも、疑われもしないというのはすごく難しい。火のない所に煙は立たないけれど、見間違いの火はいつどこでも起こりうる」

「怯えれば枯草も幽霊に見える。推しに彼氏がいてほしくないと思えば思うほど、いるように思えてしまう……それが人間心理だな。なんて難儀なものだろう。それに、火のないところに放火するのを趣味にしているやつも世の中にはいるしな。完全に疑われないのは不可能にせよ、疑われてもすぐに疑惑が晴れるってだけで十分に奇跡だ」

「その奇跡を成し遂げることができたのなら、何よりも美しい最高のアイドルになれる。私はその奇跡にたどり着きたい。そしてそのまま最後まで駆け抜けたい。奇跡のまま引退することができたのなら……それこそが私の理想とするアイドルそのもの」


 初瀬ははっきりと、俺の目を見てそう言った。

 どこかにカメラやマイクがあるわけではない。俺にだけ向けて言った言葉。

 そこに噓偽りなどあるはずがない。

 こんな人が、アイドルを引退する前に誰かと付き合ったりするだろうか?

 断言できる。ノーだ。

 今の初瀬の姿を見れば、きっと誰もが納得できる。

 だが、残念ながらそれを見ることができるのは俺だけだ。

 ……残念ではあるが、光栄でもあるな。


「さて、私に関してはこれくらいでいい? さすがにちょっと恥ずかしいね、こんなにまじめに語るのは。ちょっと顔が熱くなってきちゃったよ」


 と笑いながら手で顔を仰ぐ。


「せっかくまじめな話をしてもらったから、ついでにもうひとつ」

「しかたない。今日は特別、なんでも聞きたまえ」

「さっきの話だと、引退までで理想のアイドル像は終わってたけど、引退後についてはどう考えてるんだ?」

「ふむ、私の引退後か。具体的に考えたことはないけど、芸能界からは完全に足を洗うことは決めてある」

「お、ちょっと意外。初瀬なら女優とかで食っていけそうだけど」

「興味がないわけじゃない。でも、理想のアイドルそのものに到達することができたのなら、その状態で完全にステージから降りなければいけない。そうしてこそ、初瀬リリという物語は完結する。私にはそっちの方が大事」

「引退後は普通の仕事するつもりか? あんな眩しいスポットライトに照らされてた人が、普通の仕事できるのか?」

「普通の仕事やったことないからわかんない。できなかったら……専業主婦? 私が? なんか想像できないかも」

「そうか?」

「なんかイメージできない」


 だが初瀬がそれを望むなら、俺はいつでもかなえてあげるつもりだ。

 ……と言えたらいいんだがな。


「あ~、でも専業主婦っていうのは悪くないかもね。元アイドルってことを誰にも知られず、ひっそりと家族と一緒に静かに暮らす。たまに子供の授業参観へ行けば、他の父兄から『なんだあの美人ママは!』って注目を浴びるだけの存在になる。そんな生活も……うん、悪くない」

「ずいぶん質素な第二の人生を希望してるんだな」

「適正あると思うよ。私、結構質素な生活してますので」


 たしかに、初瀬の部屋はトップアイドルの家とは思えないくらいに質素だ。

 多少はハイブランドのバッグなどもあるにはあるが、買い漁っているというほど多くはない。その辺のブランド好きの二十代の方がはるかに多く所持しているだろう。

 稼ぎを考えれば、かなりシンプルな生活と言っていい。


「なんでそんなに質素なんだ? 派手な生活がいいとは言わないが、もう少し贅沢していいんじゃないか?」

「贅沢を覚えて自滅する人にはなりたくないからね。一時的に人気者になって大金を稼いで、ブームが去った後も金銭感覚は変わらず自己破産……そんな芸能人はいくらでも思いつくでしょ?」

「スポーツ選手まで含めれば、少なくとも十人はパッと名前が出るな」

「芸能界は破滅する人間の見本市。人の振り見て我が振り直せ、賢者は歴史から学ぶ、ってね。先人の失敗パターンを知っている私は、同じ轍は踏まないようにしたいのよ。だから贅沢を覚えたくはない。それに……お金のかかる遊びは楽しいのかもしれないけど、私はこうして藤城と話しているだけでも十分に楽しいわ」

「そこまで言ってもらえるとちょっと面映ゆいな」

「結構本音よ。私って安上がりな女でしょ? ……さて、ずいぶん深い話しちゃったわね。こんなこと誰にも話したことなかったんだけど」

「良い話を聞かせてもらった」

「そう思ってくれれば。ま、引退はまだまだ先の話よ。今はそんな未来のことより、他にもっとやるべきことがある。一般人に戻ったとして、その後の人生がどうなるかも全然わからないしね。…………まぁ、やっぱり恋愛とか結婚っていうのが視野に入って来るんだろうけど、私がそういうことしてるイメージが全然沸かない。恋したい、結婚したいって気持ちがわからないんだよね。……いつか私にもそういうのがわかる日が来るのかな」


 きっと来るだろう。

 そう思った時、初瀬の隣にいる男が俺かどうかはわからない。

 だけど、そうでありたい。

 初瀬にふさわしい男になるためにできることがあればなんだってしたい。

 今はまだ言えない決意だけれど、「あの時、実はこんなことを考えていたんだ」と笑って話せる日を迎えられるように。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?