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第16話 三十秒だけの聖夜

 朝晩がぐんと冷え、いよいよ冬の到来を実感するようになった十二月。

 ほんの二か月前までは真夏日が当たり前だったのに、気が付いた時には冬になっている。

 俺が小さな頃は“秋”という季節を実感できたはずだが、今では意識しないと見落としてしまいそうだ。

 このままだと百年後の日本語の辞書には「秋:創作物の中にのみ存在する架空の季節」なんて書かれているかもしれない。

 そんなことを考えながらバイトをしていると、客足が落ち着いたタイミングで弓削さんがやってきた。


「藤城くんさ、クリスマスってなんか予定ある?」


 また来たか!?


「めっちゃあります。二十三日の深夜から二十六日の明け方まで秒刻みのスケジュールです」

「別に誘ってるわけじゃないよ? わたしだってそんなに男に困ってるわけじゃないからね。一度断られた相手をもう一度誘ったりはしないよ。この日出られるバイトを探してるだけ。やっぱ予定ある人が多くてなかなか見つからないんだよね。もう一度聞くけど、予定ある?」


 そういうことか。


「ないです」

「藤城くん、結構いい性格してるね。じゃあシフト入れていいかな?」

「時給増えたりします?」

「五十円くらいは割り増ししてもらえるんじゃない?」

「もうちょっとほしいな。どうしても埋まらなければ交渉できそうですね。ってことで、俺の返事は保留にしといてください」

「本当にいい性格してるね」

「供給不足なのに買い手の言い値を飲む理由はないですよ」


 後日、他のバイトがどうしても見つからなかったため、店長に大幅増額での出勤を持ち掛けた。

 交渉の結果、


「開店から閉店まで、二十四、五の両方で来てくれるなら金額でいいよ」


 という返事をもらった。

 思ったよりあっさりと提案が受け入れられたので、よほど人手が足りないのだろう。

 すぐに返事をしなくてよかった。

 なかなかうまく立ち回ったじゃないか、とちょっと満足した気分になった。





「藤城はクリスマスの予定あるの?」


 クリスマスの二日を高値で売ったその日の夜、初瀬にそう聞かれた。

 まさかお誘いか? その日なんの予定もなく、「暇なら一緒に過ごさない?」みたいな話が来るのだろうか?

 しくじった。値上げ交渉した手前、今さら出られないとは言えない。


「残念ながらずっとバイトだよ」


 本当に残念だ。


「彼女とデートとかしないの? バイト終わってからでも時間作れるでしょ?」

「彼女なんていないってこの前言っただろ」

「藤城なら、その気になればすぐじゃない? クリスマスに一人は寂しいからって、ちょちょいと大学で女の子ひっかけるくらいできそうだけど」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「いや、本気出したらそれくらいできそうだと本気で思ってるんだけど。クリスマスまではまだ時間あるけど、今からがんばるつもりもないの?」

「ない。というか、普通にイヤだ。その一夜漬け感が」

「なるほどね。藤城は今年のクリスマスは一人で、バイトして過ごすのか。ふふふ」

「なにがおかしいんだ?」

「別に。ただ、ちょっとね」


 これは……煽られてるのか?

 いや、俺に彼女がいなくて喜んでいるという可能性もある。

 あるが……。


「藤城はクリぼっちかぁ……ふふっ」


 うん、これは煽りの方だな。


「そういう初瀬さんのクリスマスのご予定は?」

「彼氏とデート」

「……は? え、ま、マジで?」

「マジなわけないでしょ。朝から晩まで仕事よ、仕事。朝からテレビ局でお正月番組の撮影して、それからラジオで年末と年明け二回分の合計三回分を収録して。晴れ着を着てお餅つきの写真撮影もあるわね。夜はネット番組のクリスマス生放送に出るの」

「季節感がバグりそうだな。そういえば姉も去年の十二月二十日頃に、『クリスマスツリーってまだ片付けなくていいの?』みたいなおかしなことを言ってたな」

「あるある。この時期の芸能界はクリスマスとお正月を反復横跳びするからね」

「今年のクリスマス、俺たちはどっちも仕事で大忙しか」

「ありがたいことで。クリスマスに予定が空っぽのアイドルはいろんな意味でファンを心配にさせちゃうからね。とりあえず仕事しておけば、お仕事ちゃんとあります、彼氏はいません、みたいなアリバイになるのよ」

「なるほど……と言いたいところだけど、クリスマス当日じゃなくてもデートなんていつでもできるだろ?」

「まぁね」

「クリスマス終わったらすぐに年末年始の連休があるわけだろ。数日遅らせてデートすればいいだけじゃん」

「そこまで! それを言い出すと常に疑われ続けることになっちゃう。クリスマスに仕事さえしていれば、ファンを安心させてあげられる。それでいいじゃん」


 そういうことにしておこう。

 ファンたちだって、いつも推しを疑っていたくなんてないはずだ。

 何か月分もまとめて疑って、何事もなければ一年を穏やかに締めくくれる。そういう形でのクリスマスプレゼントがあってもいい。


「藤城は年末年始は実家に戻るの?」

「大晦日に戻る予定。いつも通りテレビで姉を見る感じかな」


 公共放送恒例の年末の歌番組、姉のグループは毎年出演している。今年も当たり前のように出演するらしい。


「初瀬のところは今年は出ないの?」

「は!?」


 あれ、なんかかなり強い語気で返されたぞ。

 デリケートな話題だったか?


「たしか去年は出てた……よな? 今年は落選?」

「なんか紙ない?」

「紙? ノートならあるけど」

「ちょっと貸して」


 大学で使っているノートを渡す。初瀬はそれをくるっと丸めて筒状にした。

 数回素振りをしてから、パシンッ! と俺の頭を叩いた。

 振りぬかず、剣道のように当たったらスッと戻す。なので先端が目に入るような危険はない。

 怒ってるようで意外と冷静な振る舞いだ。

 しかも、大きな音は出るが、痛くない力加減に抑えられている。

 なんだろう、この技術は。

 バラエティー番組で覚えたのだろうか?


「今年あんなことがあったグループが出演できるわけないでしょ!」


 そうだった。

 今年の夏に、ガデフラの当時のセンターが黒い交際発覚により脱退。

 大きなスキャンダルで、それまでのガデフラの清楚なイメージは失墜。

 初瀬のがんばりにより最近はだいぶ持ち直してはいるようだが、完全回復には至っていない。

 さすがに年末の檜舞台に上がるのはムリか。


「じゃあ今年は年末は休みなのか?」

「年越しライブがある」

「テレビに出られなきゃライブをやるだけ、ってわけか。タフだな」

「ワンマンじゃないけどね。あのスキャンダルの直後、年末の歌番組が絶望的と確定してから探し始めたらしいけど、めぼしい会場はもう全部抑えられた」

「ライブってそんな何か月も前に決まってるものなんだ」

「普通だよ。特に大晦日なんて特別な日は一年以上前から決まってることもあるんだって。だからあの時点から探したんじゃもうムリ。だけど、ラッキーなことに、年越しワンマンライブを企画してたけど、自力では半分も席を埋められなさそうなアイドルグループを見付けてさ」

「半分? ずいぶん見通しが甘い運営だな」

「そこも最近いろいろやらかしてさ。ファンクラブも脱退続出なんだって」

「類友か」

「は!?」

「あ、いや、なんでもない。で、そこと合同でやることになったわけだ」

「そう。だから、日付変更まで続けてお仕事。大変だけどありがたいわね」


 と年内の話をしていたら、当然気になる。


「正月はどうするんだ?」

「どうしようかな」


 初瀬の両親は、去年海外に転勤になった。

 だから初瀬は親元を離れ、一人暮らしをしている。


「両親は帰って来ないのか?」

「来ない」

「どこにいるんだっけ?」

「上海」

「向こうの正月ってどんな?」

「中国のお正月は旧暦で祝うんだって」

「春節ってやつだな。西暦の正月は?」

「一応祝日らしいよ。ただし、一月一日だけ。大晦日も一月二日もただの平日。みんな普通に会社に行くってさ。お父さんの職場も、元旦だけが休みで連休は春節の時。一時帰国するのもその時だって」

「そっか」

「年明けまでライブして、まさかそれから飛行機に乗って会いに行くほど私も時間の余裕はないしさ。お正月はなんの予定もないから、うちでだらだらするしかないかな。ま、去年……じゃなくて今年のお正月もそうだったんだけど。暇すぎて逆にストレスなのよね」

「じゃあ、うちに来るか?」


 深く考えずに誘ってしまっていた。

 つい、というかものの弾みだった。

 いつものように俺の部屋に来ないか? ぐらいの感覚でしかなかった。

 だがこの流れだと、俺の実家に来ないか? という意味になってしまう。


「……さすがにムリだよな?」

「う~ん……行く」


 初瀬は少し悩んだが、割とあっさりと決断した。

 そんな簡単に実家に来てくれるのか?

 そうか、この部屋に誘われたと思ったわけか。

 ならそういうことにしておこう。


「元旦は姉が夜中に帰って来て昼過ぎまで寝て、それから家族で食事をするのが恒例だ。だから夜にはここに戻って来られると思う。初瀬も年越しライブで疲れてるだろうから、合流はいつも通り夜でいいかな?」

「あれ、この部屋へのお誘い? 実家じゃなくて?」

「実家でいいのか?」

「あ、ごめん。さすがに迷惑だよね」

「いや、たぶんうちの親は何も文句言わないし、むしろ喜ぶ気はするが……問題はバレずに出入りできるかだな」


 うちの実家は小さいながらも一戸建てだ。

 見つかるリスクは、ここよりはるかに高い。


「藤城と一緒に出入りすると危ないけど、花火さんと一緒だったら大丈夫でしょ」

「……そうか。初瀬と姉は結構仕事で一緒になってるからな。正月に挨拶に行っても不自然には思われないか」

「じゃあそういうことで」

「うん、家の方にも話をしておく。まず反対されないと思う」


 案の定、姉も親も承諾してくれて、初瀬はうちで正月を過ごすことになった。





 それから年末まではそれぞれ忙しい日々が続き、直接会って話をしたり、遊んだりすることはなかった。

 だが、たった数十秒だけニアミスがあった。

 それはクリスマスイブの夜。

 いや、すでに日付は変わっていて、二十五日になっていた。

 いわゆる“性の六時間”と呼ばれる時間のちょうどど真ん中だ。

 と言っても、別に艶っぽい何かがあったわけではない。

 バイトが終わって帰って来た俺と、仕事が終わって帰って来た初瀬がちょうど同じタイミングでエレベーターに乗り込んだ。ただそれだけだ。

 その中でこんな会話があった。


「番組でお菓子作りしたの。余ったから持ってきた。あげる」


 初瀬はカバンから袋詰めされたクッキーを取り出し、差し出してきた。


「奇遇だな。俺も店で余ったのがあったからもらってきたんだ」


 俺もカバンから袋詰めされたクッキーを取り出す。

 さらに奇遇なことに、どちらも同じ枚数が入っていた。

 違いといえば、俺のは紅茶クッキーで、初瀬のはチョコレートチップクッキーな点くらい。


「かぶっちゃったね。それでもいる?」

「もらう。すごく似てて、でも微妙に違うから、すごく平等なトレードだ」

「たしかにね」


 クッキーの交換が終わると同時に、エレベーターは俺の部屋がある階に着いた。


「それじゃ、おやすみ」

「おやすみ。メリークリスマス」

「メリークリスマス」


 そしてエレベーターのドアが閉まった。

 本当にわずかな時間だったが、これだけで俺は救われた気分になった。

 一日中、カップルが出入りするカフェで働いて削られたメンタルが、初瀬と話したわずかな時間で完全に回復できた気がした。

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