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第17話 変わる夜(上)

 大晦日。

 実家に戻る前に大掃除というほどではないが、少しは部屋の掃除をしておくことにした。

 とはいえ、普段からこまめに掃除をしているのでそれほど大がかりにやる必要はない。

 一人暮らしを始める前は、まさか自分がこんなにマメに掃除をする男だとは思いもしなかった。まぁ自主的にしているというよりは、初瀬がいつ来てもいいように準備しているだけなのだが。

 それでも細かい部分に埃は溜まっているので、この辺を攻めてやることにしよう。

 換気のために窓を開けると、マンションから初瀬が出て行くのが見えた。

 すると初瀬が振り返り、視線をこちらに向けた。マスクをしているため表情はわからないが、たしかに視線は合った。


「がんばれよ」


 と聞こえるはずもない小さな声で声援を送る。

 届いたはずはないと思うが、初瀬は小さく頷いた。




 実家に戻ると、両親たちは二人揃ってテレビを見ていた。

 正月の準備だのなんだのはとっくに終わっているらしい。

 ありがたい。大掃除のはしごなんてしたくなかったから。

 テレビでは、夜に行われる歌番組の宣伝番組をやっていた。

 二人ともそれを食い入るように見ている。

 なにせ今は姉が出て、しかも喋っているからだ。


「今日のライブはこのステージのためだけの特別な振付になっています。小さなお子さんでもマネしやすいようになっていますので、ぜひ家族みんなで一緒に踊りながら楽しんでいただきたいです」


 なんてことを言い、振付講座がスタートした。

 なるほど、たしかに簡単だ。三歳から八十才までマネできるだろう。

 まぁ俺は絶対にやらないが。

 それにしても、生まれてからずっとこの家に住んでいて、今朝も朝食を一緒に食べたであろう娘をどうしてそんなに熱心に見なければいけないのか。俺にはちょっとわからない。

 なるべく姉の仕事を見ないようにしている俺とは違い、両親は姉の大ファンだ。二人とも姉が出る番組はできるだけチェックしているようだ。

 まぁ、「芸能界なんてよくわからない世界はけしからん」などと言って目を背けるタイプの親よりはずっといいのかもしれない。がんばっている仕事を家族に認めてもらえないことは、きっと悲しいことだろうから。

 姉の出番が終わり、スタジオからはけていくと、うちの両親もテレビを見るのをやめた。次に出てくる人たちにはまったく関心がないらしい。


「火花、帰っていたのか。おかえり」


 と、父さんはようやく俺の存在に気付いたようだった。


「ただいま。姉の出番は何時から?」

「トップバッターだよ」


 じゃあ待ちくたびれなくていいな。

 別に姉のライブが見たいわけではないが、年末は姉の雄姿をテレビでみんなで鑑賞するのが恒例になっている。

 しかし、生放送はどうしても時間がズレて予定通りにならないから、遅い順番になると長時間張り付いていなくてはいけないから大変だ。

 さっさとやって、さっさと終わってくれるのは大変ありがたい。


「花火は自分のライブ終わってから初瀬ちゃんのライブ観に行くってよ。で、終わったらうちに連れてくるって連絡あったけど」


 と、母さん。

 俺が初瀬から聞いているスケジュールと同じだ。段取りにすれ違いがないようでなにより。


「花火は『あたしはあくまで代理で迎えに行くだけ』って言ってたよ。じゃあ初瀬ちゃんを連れ込む計画の首謀者は火花ってことかな?」

「あの姉め。その辺はうまくごまかせよ」

「大丈夫よ。お母さんもお父さんも口は堅いから。どこにも情報は絶対に漏れないから」


 たしかに二人の口の堅さは折り紙付きだ。

 俺と同様、姉で鍛えられている。


「正月は仕事もプライベートの用事もなくて、家族も海外にいていなくて暇。そう言ってたから誘っただけ。それだけだよ」

「相手が同性の友達ならそれだけってことでいいけど、ねぇ……」


 こういう勘ぐりは絶対にあるよな。うん、わかってた。

 親でさえ額面通りに受け取ってくれないんだから、他人に知られたらどうなることか。


「まぁ立場がある子が相手だからこれ以上は詳しく聞かないけど、火花が女の子をうちに連れてきてくれてお母さんは嬉しいわ。ようやくこういうイベントがうちにも起きたか、ってね。ああ、なかったわけじゃないわね。火花が中学生の頃に何度かあった。とってもかわいい子を連れてきて、名前は……そうそう。初瀬莉莉ちゃん」

「俺が連れてきたってよりは、初瀬が姉に会うために押しかけて来たんだよ」


 初瀬がアイドルになる前、初瀬は姉のイベントをいろいろ追いかけていた。

 と言っても金はなかったので、無料で参加できるものが中心ではあった。

 初期はそれで満足できていたようだが、姉がだんだん売れてくると無料イベントに出ないようになってしまった。

 中学生なのでバイトをすることもできず、有料のイベントに行くのは簡単ではない。

 追い詰められた初瀬がとった方法が、うちに来てプライベートの姉に会うという方法だった。

 今思うと、ファンとしてやってはいけないラインを明らかに超えている。

 いや、当時の俺もアウトだと理解していた。

 だから、他の友達がうちに来たいと言ってもすべて断っていた。姉がアイドルになる前はうちに来ていた友達でさえも断っていた。当時、俺が友達と遊ぶ時は、常に自分の家以外の場所を選んでいた。

 初瀬だけが例外だった。

 初瀬は女子だからいいだろう、とか、プライベートの姉の話を他にバラさないはずだ、という言い訳をしてはいた。

 しかし、なんのことはない、実際はただの下心だ。

 俺が目的ではないにせよ、好きな子が家に来てくれるというのが嬉しくてたまらなかった。

 それだけだ。


「なんにせよ明日は華やかになるわねぇ。うふふ、お母さん、初瀬ちゃんが来てくれるのを楽しみにしてるのよ」

「歓迎されてるなら良かった」

「具体的にどうやって火花がうちまで誘ったのかとか、二人はどういう仲なのかとか、根掘り葉掘り聞きたいところだけど……若い二人の迷惑になるのはわかってるから、何も聞かないであげるわ。花火も正月だけはだらけるのが恒例だし、初瀬ちゃんにもお正月の間はゆっくり過ごしてもらいましょう」

「それがいい。骨折してる間も自己研鑽を怠らないストイックの化身みたいなやつだからな。たまには存分に気を抜くべき。姉がだらけてる横なら、初瀬もだらけるのに罪悪感はないだろう」


 時刻は進み、例の歌番組が始まった。

 壮大な感じでオープニングが始まり、あっという間に姉のグループの出番になった。

 初出場のメンバーもいて、その人たちは画面越しでも緊張伝わってくる表情をしていた。

 しかし、姉は今年で五年連続の出場ということで、年末の大舞台に怯まない堂々っぷりを見せつけた。

 あまり姉を褒めるのは癪だが、まぁ年末くらいは認めてやってもいいだろう。

 姉たちが拍手に見送られ舞台から降りるとすぐに次の人にバトンが渡され、会場の盛り上がりはさらに増す。

 しかし我が家ではすでに弛緩したムードが漂っていた。

 姉の出番が終われば、もう見るものは見たという感じだ。

 年越しそばを食べながら、あちこちのチャンネルをザッピングしたり、スマホを見たり……特に目的もなくだらだら時間を潰した。

 時折姉から他の出演者と共に撮った写真が届く以外は、おそらくごく普通の家の年末の光景だったはずだ。

 そして時刻はさらに進み、午後八時四十五分になった。


「そろそろか」


 突如、父さんがパソコンを起動させ、ケーブルをテレビに接続して同じ画面が映るようにした。


「何してるの?」

「大きい画面で見た方がいいだろ?」

「何を?」

「初瀬さんだよ」


 何のことかわからなかったが、父はウェブブラウザを開き、どこかのサイトにログインする。

 動画配信サイトのようだ。

 ライブなどの映像を高画質で生配信している有料サイトのようだった。


「初瀬のライブって配信されるの?」

「当然だろ。今はそこそこ売れてる人たちならみんな配信してるぞ。花火のところもツアーのたびに一回か二回は配信してる」

「へぇ」

「相変わらず花火の仕事に興味がないんだな」


 父さんは不思議そうに言うが、世間一般の普通の弟は、仕事中の姉の姿を見たいとは思わないはずだ。


「初瀬さんの仕事にもあまり興味ないのか?」

「まぁ普段はほとんど見ないで」

「だが今日は一緒に見てもらうぞ。これからうちに来る人のライブを見れるなんてなかなかないことだからな」


 たしかに珍しいことだろうが、だからってどうして見ないといけないのか理屈はわからない。

 だけど、拒否する理由もないので観ることにした。

 しかし、生の迫力がある現地ならともかく、金を払ってまで配信で見たい人なんてどれくらいいるだろう?

 と思っていたが、開始時間の九時が近づくほどに視聴者数を示すカウンターはどんどん伸びて行き、あっという間に数万人に達した。

 対バンの相手は会場の席の半分も埋められないグループだ。

 つまり、客席の半分、そしてネット視聴者の大半はガデフラ目当てと考えていいだろう。

 不祥事があり、大晦日の歌番組から追い出されたとはいえ、ガデフラの人気はかなり根強いようだ。




 そしてライブが始まった。

 ライブの一曲目は、今日の本来の主役のグループと、カデフラの全員が出て一緒に歌った。

 ガデフラは十人。相手は十六人。勢ぞろいするとかなりインパクトがある。

 二曲目はカデフラがはけて、もう一方のグループのみでの歌唱。三曲目は逆にガデフラのみでの歌唱。

 そこからMCを挟んだり、お互いの持ち歌を交換したり、両方から数人選抜しての混成ユニットで歌ったり、挙句にはコントをしたり。

 ライブは日付を跨いで一時過ぎまで、四時間超の長期戦になるらしく、客を飽きさせないような様々な演出があった。


 開始から一時間半が過ぎたあたりで、姉からメッセージが入った。


「――やっと会場に着いた。年末なのに道路混みすぎ」


 という内容で、どうやらカデフラがライブをしている会場に今頃到着したらしい。きっとこれから関係者席で観覧するのだろう。

 そう思っていると、次のMCの時に姉がステージに登場した。

 うちの両親たちも聞いていなかったらしく、会場同様、我が家もざわついた。

 と言っても、姉はなにか特別なことをしたわけではない。

 少し挨拶して、ほんの数分でステージから降りた。歌は一曲も歌わなかった。

 ちょっとしたサプライズ演出のひとつ、程度の扱いだったはずだ。

 だが、姉が降りた後も会場の盛り上がりは続いている。おそらく想定外のインパクトを与えたのだ。

 姉はステージがから降りる時、配信用のカメラに向かってウインクをした。

 ファンサービスなのはわかっているが、どのドヤ顔がまるで、


「どうだ、お姉ちゃんはすごいだろ?」


 と俺に向かって言っている様に見えて、ちょっとイラっとした。

 姉によるサプライズが終わった後も、ライブはさらに続いていった。

 十一時半になるとステージの大型モニターでカウントダウンが始まり、歌っている最中も後ろでずっと数字が減り続けた。

 十一時五十分以降は歌わなくなり、一年を振り返るトークをしながら年明けの瞬間を待った。

 そのトークの中で、初瀬がこう言っていた。


「今年は本当にいろいろありました。正直、もうガデフラの存続自体が難しいんじゃないかな、って思う事件もあったんですが。今日ここに来てくださったみなさん、そして配信で見てくれているみなさんのおかげで、私たちは今もアイドルでいられます。本当に、本当に、本当に! ありがとうの気持ちを伝えたいです。みなさんが想像している一万倍くらい感謝してるので、一パーセントでも伝わってくれたらいいなって思います。来年もみなさんに応援してもらえる、応援するに値するアイドルであり続けたいと思います。まぁ今年ほどお騒がせすることはそうそうないはずですので、その点はご安心ください」


 最後は笑い話に見せかけた恨み節が少し入っていたが、それを含めて間違いなく初瀬の本音が詰まった内容のはずだ。

 ファンたちにその気持ちが届くことを俺もまた願っている。

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