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第18話 変わる夜(下)

 年が明け、また歌が再開し、ガデフラが大きな告知した。

 来年の二月十四日から全国ライブツアーを行うという内容だった。

 そういうのはもっと前に発表するのが普通なのだろうが、開催中止を含めていろいろな検討があったことは想像に難くない。そのうえでのゴーサインだから大丈夫だとは思うが、初日まではあと六週間しかない。

 直前と言ってもいいような時期の発表で、チケットは本当に売れるのだろうか?




 ライブ配信が終了すると、観ていただけのこっちもなんかすごく疲れた気分になった。

 四時間もずっと観ていたので疲れて当然ではある。だが、実際にステージに立っていた側の疲れはそれどころではないだろう。

 家族三人でずっと観ていたため、まだ誰も風呂に入っていない。じゃんけんをして、まずは母さん、次は父さんで、俺は最後……ということになり、しばらく待ち時間になった。

 スマホを見ると新年の挨拶がいくつか届いていた。それらに返しているうちに、だんだん眠くなってきて、いつの間にか横になっていた。

 まだ風呂は空かないし、少し寝るか……。




 目を覚ますと、スマホをいじっている初瀬の姿が見えた。

 もこもことしたパジャマを着て、頭にタオルを巻いている。どう見ても風呂上がりだ。

 だがどうして? 初瀬はうちで風呂に入るようなことはしないはずだが……ぼんやりとした頭で考え、次第にはっきりしていく中ではっと気が付いた。

 そう言えば実家に帰って来てたんだった。


「あ、起きた?」

「起きた……おはよう。って時間でもないのかな? 今何時?」

「五時半」

「おはようで合ってる時間だな。何時くらいにうちに来た?」

「四時過ぎかな」

「一時過ぎまでライブやって、そっから帰ったら四時か。大変だ……」

「でも、打ち上げ行かないからこんなんで済んだんだよ。行ってたらまだどっかのお店にいる」

「すげぇ体力だ」

「まぁアイドルたちは割とさっさと帰るから、この時間まで打ち上げに残ってるのはスタッフのおじさんたちばっかりらしいけどね」


 という話をしながらも、初瀬はスマホをいじり続けている。割と珍しい光景だ。

 初瀬は「人と話をする時にスマホを触るのはとにかく印象が悪い」と常日頃から言っている。


「アイドルはイメージ商売。仕事、プライベートを問わず、悪印象を抱かせるようなことは普段からしちゃいけない。プライベートなら手を抜いてもいいか、ってやってると必ずどっかでボロが出る」


 そういう人なので、今の光景は新鮮だ。あまりに珍しいから、悪印象よりも驚きの方が先にくる。


「ごめんね。ちょっとお仕事関係の人たちに新年のご挨拶メッセージを送っとかないと。寝る前にやるか起きてからやるかで数時間差がでるから、印象がだいぶ違ってくる」

「どうぞごゆっくり。くれぐれも誤爆はしないように」

「ほとんど定型文みたいなのしか送ってないから誤爆しても問題ない」

「うちの両親は?」

「来た時にご挨拶はしたよ。今はもう寝たみたい」

「姉は?」

「お風呂に入ってる」

「じゃあ姉が出たら入るか」


 初瀬は淡々とメッセージを打ち続け、それから何分もしないでスマホを置いた。


「終わり?」

「終わり。三が日の営業はこれで終了。これ以降に来たメッセージは四日以降のお返事になります」

「あ、俺まだ送ってないや」

「じゃあ口頭でどうぞ。それならすぐに返事するので」

「うん」


 と、言っても別にたいしたことがあるわけではない。


「あけましておめでとうございます」

「おめでとうございます」

「今年もよろしく」

「はい。よろしくおねがいします」


 いや、これだとさすがに、あまりにもそっけなさすぎるな。

 会話というよりスタンプの往復に近い。


「去年はいろいろあったな」

「そうだね」

「去年の今は、まったく交流なかったもんな」

「うん」

「去年の春に再会して、うちで遊ぶようになって、そしたら正月をうちの実家で過ごすようになって。よく考えるとすごいことだな」

「そうだね。藤城からはいつも穏やかな時間をもらえて助かってるよ」

「そう言ってもらえて何より……刺激がなくて退屈って意味じゃないよな?」

「だったらここには来てないって」

「まぁそうか」

「仕事の方はね、本当にいろいろあった。穏やかとは正反対。あの事件だけじゃなくてね。大舞台に上がる回数も頻度も増えて、演技みたいな経験のない仕事をさせてもらうことも増えた。長年お世話になったマネージャーが退職したり、そういう外からは見えない部分も変わった。スタッフさんの中にも、年上だけど後輩って人がどんどん増えて来てる。さらにセンターだからね、頼りにされることはあっても、誰かを頼るのはどんどん難しくなってくる」

「二十才なのにそんなことになるのか。本当に回転が速い世界なんだな」

「年上のメンバーはまだいるけどね。でも年下もどんどん増えてる。十の位が代わって、おばさんみたいに感じ始めたところがないわけでもない」

「老けるの早すぎないか?」

「寿命の短い世界だから、一年がとても重く感じるのよ。犬とか猫の年齢が人間とは違うでしょ。それと同じで、アイドルの年齢は一般人とは違うの」

「初瀬がそう感じてるなら、姉はどうなる?」

「花火さんはなんかもう別次元。あの人は特別。年を取るごとにどんどんエネルギーに満ちて、輝きを増してる。私はそこまでじゃないから、普通にプレッシャーを感じたり、追い詰められた感じになったりする時もあるよ」

「俺から見たら初瀬も超人なんだがなぁ」

「そういう風に見えているのなら、それは私がすごいんじゃなくて、藤城のおかげだよ」

「俺の?」

「あの事件の時、謝罪会見を私がしなくちゃいけなくなったでしょ? あれがものすごいイヤでイヤで。あの日、家に帰ってくる時って、自力ではまっすぐ歩けないくらい精神的に参ってたんだよ。藤城がグチを聞いてくれて、遊んでくれたから、元気を取り戻せてなんとか乗り越えられた」

「俺は何もしてないぞ」

「してくれたんだよ。謝罪会見の前夜、藤城と会えなかったら、私はきっと一睡もできないで会見に臨んでいたと思う。で、不機嫌なせいでなにを言っていたかわからない。台本にない事務所への批判を言ってたかもね。ガデフラなんかもう辞めてやる! って宣言してたかも」

「まさか……」


 そんなことをする初瀬が想像できない。

 初瀬とは、アイドルであるためにすべてを捧げられる人間……そういうイメージだ。

 だが、そんな初瀬でも自暴自棄になるくらいあの時は参っていたのかもしれない。


「私がまだアイドルでいられるのは、間違いなく藤城のおかげだよ」

「初瀬なら俺の助けがなくても乗り越えられてた気がするけど」

「買い被りすぎ。私はそこまでタフじゃない。普通に怒るし、傷つくし、ヤケになる。あの時は悪い条件が全部揃ってた。藤城の存在だけが良い条件だったんだよ。だからね」


 初瀬は姿勢を正した。

 カーペットが敷かれた床の上にキチンと正座して、手をついて、床に触れるくらいに頭を下げた。


「このお礼をしっかりとしておきたい。普段は恥ずかしくてできないから、年明けのこのタイミングで……前の年の古い話と流してもらえるこのタイミングで、お礼を言わせてほしい。本当にありがとう」

「待て待て。本当にそこまでしてもらうほどのことはしていない。ただグチを聞いただけだろ?」

「違うよ。私のグチを聞いてくれただけじゃない。藤城は何千人何万人もの人の心を救ってくれたんだよ」

「そんな大袈裟な」

「大袈裟じゃない。あの会見で救われたのは、なにも私やガデフラだけじゃない。ファンの人たちも救われたんだよ」

「ファンの人たちも?」

「あの会見は、自分でもびっくりするくらいうまくいった。大きな事件だったから余波も大きくて傷はあったけど、それでも悪いのは元センターのあいつってことにできた。ガデフラは生き残り、その後も活動を継続できた。ファンもほとんど減らなかった。これまで応援してくれてたファンたちは、ガデフラに失望しないでくれた。カデフラのために使った時間を後悔しないでくれた。さっきも言ったように、そういう会見ができたのは藤城のおかげなんだよ」


 たしかに推しが恨みを吐きながら表舞台から消えれば、残されたファンはこれまでの思い出に疑問を持ってしまうことだろう。


「アイドルはいろいろなことをする仕事。歌って、踊って、たまに演技もする。バラエティーもする。でも、アイドルより歌がうまい歌手はたくさんいる。ダンスがうまいダンサーもたくさんいる。演技がうまい役者も、おもしろい芸人も。私たちは全部が中途半端な存在かもしれない。じゃあアイドルの存在意義ってなんだろう? 私はこう思う。ファンとの距離が近いのがアイドルの特徴。より近くでファンと接し、より多くの楽しさを届けられる。元気を届けられる。それがアイドル」


 初瀬は目を細め、楽しい記憶を振り返るように言葉を紡ぐ。


「ファンからもらう言葉の中で特に嬉しいのが『次の週末にライブがあるから今週はがんばれる』、『ライブ最高だった。この勢いでまた一週間乗り切れる』って、そういう言葉。もしアイドルという職業がこの世に存在するために理由が必要なのだとしたら、この言葉を言ってもらえることが理由になると思う」


 そうだ。人はパンだけでは生きてはいけない。

 過酷な現実を生き抜くためには、心にも栄養が必要だ。


「ガデフラがいなくなっても、その人たちは次の推しを見つけるかもしれない。でも、役目を果たして解散するのと、あんな事件を起こして消えていくのとでは話が違う。もしかしたら、私たちは、これまで与えてきた喜び以上の悲しみをみんなに与えて退場していたかもしれない。明日を活きるエネルギーどころか、明日なんてどうでもいいって気持ちにさせていたかもしれない。辛く悲しい気持ちにさせるのは、私がなりたいアイドルなんかじゃない。そんなことにならなかったのは、藤城がいてくれたおかげなんだよ。だから、お礼を言わなくちゃいけないの」

「…………ああ、そうだな」


 そこまで言われてしまえば、深く頭を下げてのお礼を大袈裟だと片付けることはできなくなる。

 気持ちは十分に伝わった。


「みんなは藤城のことを知らないし、何をしてくれたのかも知られてはいけない。だから誰もあなたにお礼を言えない。だから私がみんなの分までまとめてお礼を言わなくちゃいけない。ありがとう、本当にありがとう」


 俺は今でも自分が何か特別なことをしたとは思っていない。

 あの日の俺は、さぞストレスがかかっているだろう初瀬の遊び相手になってやれればいいな、くらいにしか思っていなかった。

 それが大勢のファンを救っていたなんて言われても、全然ピンとこない。

 それでも、初瀬が涙声で訴える感謝の言葉は、それが真実なのだと信じるには十分すぎるほどの説得力があった。


「俺に何ができるかわからないけど、あれくらいでいいなら今後も力になるよ」

「うん、頼りにしてる」


 初瀬はようやく頭を上げてにこりと笑った。

 目元に涙のしずくが溜まっていて、それが光を反射して光り、思わず見惚れてしまうほどに美しかったのだが……すぐに姉のニヤニヤした顔が視界に入った。


「いつの間に風呂から上がってた」

「ついさっき。お二人さんは迫真の長台詞で気付かなかったみたいですけどね。いやぁ、あたしが知らないところで何か物語があったようで。あの日、私も結構アドバイスのメッセージを送ったり、時間ならいくらでもとるから電話でも直接会ってもいいよ、って言ったんだけど。あたしよりひーちゃんを選んでましたか。そうですかそうですか」

「おい、姉」

「何も言わなくて結構。あたしは初瀬ちゃんより業界長いし、いろいろ知ってるので。余計なことは何もしませんよ」

「ちゃんと理解してるのか怪しいもんだが……とりあえずこの件にはノータッチで頼む」

「はいはい。かわいい弟の頼みとあらば。それに、初瀬ちゃんはあたしのお気に入りだしね。これ以上なにかあっても困るってわけで。お姉ちゃんは何も見なかったことにするよ。じゃあね、おやすみ。初瀬ちゃんもあたしの部屋に早く来てね。ガールズトークしようぜ~。あ、ひーちゃん、あけおめー」


 姉が姿を消すと、なんか疲れがどっと出てきた。

 初瀬もなにか気の抜けた顔をしている。


「まじめな話はもう終わりにしておくか」

「そうだね。新年とほぼ徹夜のテンションでこれまで言いたかったお礼を言えたからもう満足」

「今年はそんなに感謝するほどの大事件が起きないといいな」

「本当にね。じゃ、おやすみ」


 初瀬は立ち上がり、姉の部屋へと歩いて行った。

 俺は……今の話を思い返すと恥ずかしくなるか、初瀬への想いがさらに大きくなって手に負えなくなりそうだったので、心の中の箱にしまって蓋を閉じ、何事もなかったかのように風呂に入ることにした。

 何も起きない一年になるといい。

 だけど、きっと素晴らしい一年になるだろう。

 元旦から初瀬と一緒に過ごせるのだから、それは疑う必要もない。

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