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26話 【歩くトラットリア】の飲み物 -3-

「うぅ……逃げられてしまった」


 ガックリとうな垂れるアイナさん。

 そんなに舐められたかったですか?


「…………ズルい」

「「いやいやいや……」」


 非難を込めた目でボクとキッカさんを睨むアイナさん。半泣きじゃないですか。


「クサいだけですよ。そんなに気持ちよくもないですし」

「そんなに、クサいのか?」

「えぇ、それはもう」


 生臭いというか、泥臭いというか……嗅覚だけで苦いと感じるレベルでクサいです。

 いまだ鼻にこびりつくにおいに辟易していると、アイナさんが顔を近付けてきた。ボクの顔に。


 えっ!? まさか、ちゅ、ちゅー!?


「すんすん……」

「わぁ!? 嗅がないでください!」

「くす……本当だ。クサい」


 心をへし折られる三大ワードのウチの一つ、『クサい』を言われてしまった。

 なのに、なぜだろう……


 くすくすと楽しそうに笑うアイナさんを見ていると、全然、嫌な気分にはならなかった。

 思わず、ボクも笑みをこぼす。


「ほら、タマちゃん」


 すっと、手ぬぐいが差し出される。


「拭けば?」


 視線を逸らし、少しだけ頬を染めて、自分の手ぬぐいを差し出してくれるキッカさん。

 でもこれ、キッカさんが顔を拭くヤツですよね?


「いえ、汚しちゃいますし」

「か、顔がクサいままそばにいられる方が迷惑なの! ほ、ほら。いいから拭きなさい!」


 少し怒った感じで言って、ボクに手ぬぐいを押しつけてくる。

 でもなぁ……女性の顔を拭く物をクサくするのはなぁ……


「あぁ、もう! いいから拭くの!」


 躊躇うボクに業を煮やし、キッカさんは乱暴にボクの顔に手ぬぐいを押し当てる。そしてそのままごしごしと拭き始める。の、だが……痛いです……痛いですって、キッカさん! もっとソフトに! 気持ちふんわりとっ!


 そんなボクたちを、アイナさんはどんな目で見ているのか……ふとそんなことを思い、心がきゅっと音を漏らす。

 視線を向けると……わぁ、一切こっちを見ていない。

 牛をガン見していた。

 そんなに羨ましかったですか? 「べろーん!」が。


「……おっぱい大きいな」


 なんか言い出した!?


「立派なおっぱいだ」


 あなたもね!


「し、絞ってみたい!」

「あぁ、別に構いませ……」

「やめときなさい。剣姫。あんた絶対加減出来ないから、引きちぎっちゃうよ?」

「そ、そんなことはない……の、では……ないだろうか……」


 うわぁ、すごい自信の無さ。

 そこは言い切りましょう。自信があるなら。


「じゃあ、あたしの親指をチク……あ、アレだと思って、ちょっと絞ってみなさいよ」


 躊躇った。

 照れるのなら、なぜそんなことを言い出したのだろう。

 そして、なぜボクを睨むのだろう。

 今のはキッカさんの自爆なのでは。


 キッカさんが親指を下に向け、アイナさんの前へと突き出す。

『ゴートゥーヘ~ル』ではない。決して、ない。


 キッカさんの親指を牛の乳首だと見立てて、アイナさんがそっとそれを握る。

 瞬間――


「いだぁーーーーい! 痛い痛い痛いっ! 離せ……バカ剣姫っ!」


 キッカさんの悲鳴が轟き、ひとしきり暴れた後、キッカさんの右脚が一瞬七色に輝いて流星のようにアイナさんの腹部へと叩き込まれた。

 アイナさんがお腹を押さえてうずくまる。

 ……相当威力のある蹴りだ。こんな技も持ってたんだ。


「……キ、キッカ…………痛いよぅ……」

「こっちのセリフだわ!」


 涙目のアイナさんと、般若顔のキッカさん。

 ここだけ切り取ると、アイナさんが苛められているように見える。

 だが、キッカさんの親指(=偽乳首)は、真っ赤に腫れ上がっていた。……あれ、牛にやったら大惨事になるな。うん、千切れますね、あれは。


「たくさん握った方がいっぱい出るかと思って…………キッカの乳首から、何も出なかったから」

「出ないわよ! これ親指だから! あたしの乳首、ここじゃないから! 出るわけないから! ……本当の乳首からも出ないわよっ!」


 ツッコミの畳み掛けだ。

 かなりのツッコミスキルを有していないと実現出来ない高度な技……さすが、スキルマ。匠の技だ。


「んぁぁああ! 折角さっき言葉を濁したのに連呼しちゃってるしぃ!」


 頭を抱えて、真っ赤な顔で、ボクを睨むキッカさん。

 ……だから、なぜボクを睨むんですか。


「牛乳……飲みたかった」

「牛乳なら飲めますよ。あと、乳製品も作れます」


 ボクたちからちょっと離れたところでうずくまるキッカさんにも聞こえる程度の声量で言う。


「アイスクリームとか、食べられますよ」

「食べるっ!」


 アイスクリームと聞いて、一気に復活したキッカさん。

 甘い物が好きなのは、キッカさんも一緒らしい。


「アイナさんも、どうですか? 美味しいですよ」


 一応、茶目っ気として、牛のいる牛舎にソレっぽい看板を作っておいたのだ。

 牧場で食べる濃厚なソフトクリームを、雰囲気と一緒に味わってもらえるように。

 ソフトクリームを宣伝する看板には、大きくこう書かれている。




『生乳100% 濃厚ソフトクリーム』




「…………なまちち100%?」

「せいにゅうですよ、アイナさん!?」


 今日はアイナさんの口から「おっぱい」だ「乳首」だ「なまちち」だと、お宝ワードが聞けて嬉し恥ずかし大忙しなところではありますが。


「剣姫…………再教育っ!」


 キッカさんが、アイナさんの首根っこを掴んでズルズルと引き摺っていった。


「え? なに? キッカ? なに!?」


 と、戸惑うアイナさんだが……再教育、受けてください。切実に。

 ただ一つ残念なのは……


「録音機能、ないんだよねぇ……【歩くトラットリア】って」


 目覚まし音声にでも設定したかったなぁ……






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