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26話 【歩くトラットリア】の飲み物 -2-

 厨房を片付けて、ボクたちは従業員専用通路へと向かう。

 ドアを抜けて廊下を進み目的の部屋の前へと到着する。

 それは、【ファーム・フィールド】の隣に位置している。


「ここが【酒蔵】です」


 ドアを開くと、ひんやりとした空気が室内から流れ出してくる。

【酒蔵】の中は大きな石を組み上げて作った石壁になっており、壁に触れるとしっとり湿っている。適度な湿気に覆われている。


「わっ!」


 突然キッカさんが大きな声を出して、ボクとアイナさんは揃ってビクッと肩を震わせる。

 わっ!

 わ!

 わ。

 ゎ……


 声が反響し、キッカさんは満たされたような表情で頷いている。

 やりたくなる気持ちは分かる。

 石壁に囲まれたこの部屋は、声がよく反射するから。


「アイナさんも何か叫んでみますか?」

「え? な、何かとは、なんだろうか?」

「なんでもいいですよ。『やっほー』でも『ばかやろー』でも」

「え、っと…………で、ではっ!」


 すぅ……っと息を吸い込んで、両手を口の横に添えて、アイナさんが大きな声で叫ぶ。


「やほやろー!」


 混ぜてきた!?


 やほやろー!

 ゃほやろー。

 ほやろー……

 ゃろー……

 ろー……


「き、気持ちいい……」

「意味は一切分からないけどね」


 キッカさんの冷静なつっこみも、感動に打ち震えているアイナさんには届かない。

 いや、いいんじゃないかな。

 流行って、発信していくものだと思うし、ここから、ボクたちが流行らせていけば、それでいいのではないでしょうか。


 よし。ボクも流行に貢献しよう!


「やほやろー!」


 アイナさんのマネをして叫ぶ。

 と――


 やほやろー!

 ゃほいぇろー……

 ぁほぇろー……



「誰がだっ!?」


 がだっ……がだ……がだ…………と、反響するボクの声。

 誰がアホエロだ、失敬な。

 ……まぁ、完全に否定することは、出来かねますが。


「場所によって温度が違うんですよ。こっちにはワインが寝かせてあって、向こうではビールがよく冷えてます」

「たくさんあるね」

「どんな料理にも合うようにって、頑張って用意しました」

「これ全部、タマちゃんが作ったの!?」

「あ、いえ。作ったのは【歩くトラットリア】ですよ。ボクは準備をしただけで」

「これだけのお酒を作る準備ともなると、相当な労力を要したはず……さすがはシェフだ。尊敬に値する」

「大袈裟ですよぉ」


 とは言いながらも、にやにやが止まらない。

 アイナさんに尊敬されるとか、たまらない。もういっそ、お酒屋さんになろうかな。

 そうすれば、尊敬し続けてもらえるかもしれないし。


「この【酒蔵】は、材料を持ち込むと自動的に良質な飲み物を生み出してくれるんです。瓶付きで」


 ブドウを持ち込めばワインが。

 麦とホップを持ち込めばビールが。

 トウモロコシやライ麦を持ち込めばウィスキーが。

 果物を持ち込めばフレッシュジュースが。

 そして、牛を持ち込めば牛乳が誕生する。


「もー!」


 遠くから、牛の声が聞こえてくる。

 牛の姿を発見して、キッカさんがテンションを上げる。


「見て見て! 牛がいる!?」

「はい。牛乳用に。ちゃんとお世話もしてるんですよ?」


 牛がいるのは、【酒蔵】の奥の比較的温かいスペース。

 基本的に【酒蔵】が面倒を見てくれているのだが、ボクもたまにご飯をあげに来たりしている。

 なかなか愛嬌があって可愛い牛なのだ。


「で、デカい……わね」


 テンション高めに牛へと近付いていったキッカさんだったが、間近で見る牛の大きさに少々怯んでいるようだ。

 魔獣に平然と立ち向かうキッカさんが、少し怖がっている。大人しくていい牛なんですけどね。


「キッカさんって、動物怖いんですか?」

「そんなことない……けど」


 と、言ったところで、牛がキッカさんの顔を舐めた。

 それはもう、遠慮なしに全力で「べろぉーん!」と。


「ぅひゃぁあ!? くさっ! くっさ!?」


 おぅ……心をへし折られる三大ワードの一つが……

 ボクに向かって言った言葉ではないと分かっていても、先日の「きもっ」を思い出して……つらい。


「あたしさぁ、昔から動物にすごく懐かれ過ぎるのよね……」


 手ぬぐいで顔を拭きながら、キッカさんが不満そうに言う。


「猫は寄ってくるし、鳥は肩に停まるし、魚はまとわりついてくるし、イヌはもれなく発情してくるし……っ」


 イヌに対する恨みの念が言葉にこもっている。

 あれかな。ヒザ辺りにしがみつかれてカクカクされるやつかな。あれはちょっと煩わしいですよね、確かに。


「いいなぁ……」


 しかし、アイナさんは羨ましそうだ。

 アイナさん、動物好きそうだもんな。


「わたしも、イヌに発情されたい」

「それはどうでしょう!? その発言はちょっと、どうなんでしょうね!?」


 もうちょっと他のところを羨ましがってください!

 とはいえ、牛に顔「べろーん!」も、ちょっとヤだな。……いっそ、ボクが「べろーん!」と……


「もー」


 ……「べろーん!」と、された。ボクが、牛に、思いっきり、遠慮なく……

 これは、罰でしょうか? ……うぅ、クサい。顔がクサい…………


「いっ、いいなぁっ!」


 いやいやいや、アイナさん。そんないいものじゃないですよ。

 羨ましがらないでください。


「う、牛よ。わたしにも、同じ事を!」


 アイナさんが牛に近付いていくが、その気迫に恐れをなしたのか、牛が後ずさっていく。


「な、なぜ逃げるのだ!? わたしにも『べろーん!』を! 待て、待ってくれ! 牛よ! 牛タァァアアーン!」


 部位で呼ぶのはやめてあげてください!

 あの牛は食肉用ではありませんので!






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