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32話 酒と噂と焼き鳥と、チラ見え -2-

「ぁふ…………あぁ、マズい。ちょっと酔ったかも」


 キッカさんが、テーブルに肘をついて頭を支えている。

 顔が赤い。


「あぁ……なんか気持ち悪いかも……」

「大丈夫ですか?」


 慌てて、キッカさんの背後へと回り背中をさする。


「ひぅ……っ!」


 触れた瞬間、キッカさんがビクッと体を震わせるが、……大丈夫です、これは介護。やましい気持ちなどありません。


「……タマ、ちゃぁん……」


 甘えたような声で、潤んだ瞳で、自身の肩に頬を当てるような振り返り加減で、キッカさんがボクを上目遣いで見つめてくる。

 こ、これは、もしや……以前アイナさんが酔った時になった、『甘えん坊モード』なのでは!?

 ボ、ボク、また抱きつかれたりするのでしょうか……!?


「……なんとかして。早急に」


 うん。

 無茶ぶりをされてしまった。

 早急に、ですか……う~む。あっ、そうだ。


「トマトジュースを飲むと、肝臓のアルコール分解能力を高めてくれるそうですよ」

「トマトジュース……ある、の?」


 ほんのり甘えてくるなぁ。

 キッカさん小柄だから、甘えられると可愛い妹みたいな気がして、ちょっとむずがゆいんですよねぇ。いえ、嫌じゃないですけどね。


「ありますよ。トマトならボクにも取ってこられますし。酒蔵で作っているので、持ってきますね」


 テーブルを離れ、従業員専用の廊下へと出る。

 トマトジュースは果汁100%の濃厚仕上げだ。とろっとしたのど越しが堪らない。

 きっと気に入ってくれるだろう。


 と、酒蔵を目指して歩いていると。


「シェフ」


 アイナさんがボクを追いかけてきた。


「どうかしましたか?」

「い、いや。あの……着替えよう、かと思って…………汗をかいたから」

「あぁ、そうなんですか。そうですね。シャツを変えるとすっきりしますからね」


 恥ずかしっ!?

 何が『ボクを追いかけてきた』だ!?

 勘違いですよー! 盛大に!


 ……くぅ、最近自意識過剰なのかなぁ…………アイナさんとの仲が少しだけ進展したような気がしていたんだけれど……思い上がりか……甚だしいわ、ってやつか……


「じゃ、じゃあ、ボクは酒蔵に行きますので」

「う、うむ! モーえもんによろしく言っておいてくれ」


 片手を挙げて、自室へと入っていくアイナさんに「はーい」と返事をする。

 モーえもん、今日も美味しい牛乳出してくれてるかなぁ…………って!?


「いつの間に名前付けたんですか!?」


 アイナさん、可愛い生き物にはホント目がない…………って言うと食べるみたいか。とにかく、可愛いものが大好きなようだ。


 ……ボクももうちょっと可愛ければ……もしくは。


「……いや、モーえもんと張り合ってどうする」


 それに、ボクにだってニックネームを付けてくれたし。『エッくん』って。

 ……呼んでもらってないですけども。


 妙な敗北感を胸に、ボクはトマトジュースを持ってフロアへと戻る。


「お待たせしました。トマトジュースです」

「へぇ、これが」

「見たことありませんでしたか?」

「うん。初めて」


 トマトジュースを知らずに生きてきたなんて……人生の半分くらい損してるんじゃないだろうか。


「んく……んく……んく…………ぷはっ! 美味しいね、これ」

「でしょ?」


 それが、人生の味ですよ。


「…………」

「…………?」


 トマトジュースを一気飲みして、空になったグラスを見つめるキッカさん。

 なんだか、表情が冴えない。

 やはりまだ酔いが……と、思ったら、キッカさんの瞳がボクを見ていた。瞳だけが。


 そして、ほのかに染まる頬で、そんなぽや~んとした顔から発せられたとは思えないような鋭い声で尋ねてくる。


「あの人たち、剣姫のこと何か言ってなかった?」

「……え?」


 それは突然で、まさかそんな話が出てくるなんて思っていなくて、ボクは思わず聞き返してしまった。


「いや。何も言ってなかったならいいんだ。気にしないd……」

「言ってました」


 キッカさんの「気にしないで」を遮るように、ボクは言った。

 そして、ここで聞いたドイルさんとクレハさんの話を、なるべく正確に、客観的に、変な主観を含めずに伝えた。


「………………そう」


 ずっと黙って聞いていたキッカさんは、たっぷりと間を取った後でそう呟いた。


「まぁ、一般人にとっては、冒険者なんて連中は多かれ少なかれ畏怖の対象だからね。あたしも、顔見て逃げられることなんてしょっちゅうだし」


 少し笑って、少しおどけて、少しだけ寂しそうに、キッカさんはそんなことを言う。

 そして、グラスに残っていたシードルを飲み干して、ボクから目を逸らすように視線を落とし、こんな言葉を追加した。


「……剣姫は、ちょっと有名なだけ」

「……そうなんですか」


 おそらく、キッカさんは気を遣ってくれたんだ。

 妙な噂で、ボクがアイナさんに対してあれこれ思うのを止めるために。


 大丈夫ですよ。

 他の誰がなんと言おうと、ボクが見てきたアイナさんは、優しくてほんのちょっとだけ天然な素敵な女性ですから。





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