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32話 酒と噂と焼き鳥と、チラ見え -3-

 それからしばらく黙って、ボクは空いたお皿の片付けをし、キッカさんは空のグラスを手の中で弄んでいた。

 こと……と、硬い音がして、「なくなっちゃった」と、誰に言うでもなくキッカさんが呟く。そして。


「たまちゃ~ん。お酒、おかわり~」


 少し陽気な声で言って、空気を変えてくれた。店内の雰囲気が一気に軽くなる。

 うん。

 キッカさんのこういうところ、すごくいいな。すごくステキだなと思う。


「は~い。ただいま」


 その気遣いに応えるように、ボクも明るい声で返事をする。

 ありがたいな。

 おかげで心が少し軽くなった。モヤモヤしていたものも、いつの間にかなくなっていた。


 いつもは一人でお客様の対応をしていたから……たまに、どう処理していいか分からないことも、多々あったから、キッカさんのような対応をしてもらえると本当に救われる。

 お師さんは、お客様が来るといつの間にか姿をくらませてしまうし。……まったく、オーナーとしての自覚があるのだろうか、あの両生類には。


「ついでに、トマトジュースのおかわりも持ってきておきますね」


 そう告げて従業員用のドアへ手をかけ――ようとした時、ドアが開いた。


「わっ!」

「きゃぅ!?」


 アイナさんがドアの向こうで可愛らしい声を漏らした。

 全米が萌えた。

 ……ゼンベイというのが、どこの国かは分かりませんが。


「す、すまない。まさか、そんなところにいるとは思いもせず……」

「い、いえ。こちらこそ。驚かせてしまったようで」


 ぺこりと頭を下げ合う。

 ボクの目の前にいるのは剣鬼と呼ばれ、一部の人間からは恐れられているとても強い剣士。

 けれど、ボクにとっては格好よくて素敵で、時々子供のように可愛くて、癒しをくれる大切な人。

 それでいいと思った。


「アイナさん。そのシャツ似合いますね」

「そ、そうだろうか?」


 少し照れて、アイナさんが自分の体を見る。……見て、首を傾げる。

 アイナさんの体のほとんどを覆う鎧。シャツが見当たらないらしい。


「ここから少し覗いているんですよ、シャツ」


 肩の下と腋の部分、そして肘当ての隙間、腰の留め具のそば。あとたまに、襟からもシャツが覗いていたりする。アイナさんの鎧は、動きを抑制しないために隙間が多い。なので、シャツも結構見えていたりするのだ。


「こんなところから見えていたのか……」


 アイナさん自身も知らなかったらしい。

 普通は気にしない部分なのかもしれない。

 けれど、いつも鎧姿のアイナさんにとって、変化を感じられるのは顔の表情とわずかに見えるシャツくらいのものなのだ。

 ボクが見過ごすはずがない!


 えぇ、見てますとも。じっくりと、チラッチラッと、たっぷりと、ねっとりと、ネバネバっと!

 ……どうしよう、変質者がここにいる!?


「こんな隙間によく気が付いたな、シェフ」

「すみません!」

「い、いや、褒めている、の、だが?」

「もったいないお言葉です!」

「シェフ?」


 なんかもう、視線が犯罪者級でごめんなさい!

 だって見ちゃうんですもの! 『隙間』とか『チラ見え』とか! つい、視線が! ボクの視線が、『隙間』の『チラ見え』に吸い寄せられて!


「…………似合う、だろうか?」


 腋の隙間から覗くシャツを引っ張って、アイナさんがそんなことを言う。

 なんですか。あなたはボクを萌え殺したいんですか?


「……死にそうです」

「えっ!? そ、それはどういう……? ひ、酷く似合わないということだろうか?」

「いえ……似合っていて…………死にます」

「ふ、服は似合うと死ぬのか!?」


 死にますとも。ボクの場合は、ですけれど。

 でも、それは極端なので、さっきも言った言葉をもう一度伝えておく。


「似合います、とっても。アイナさんの瞳のように、とても綺麗な色ですね」


 白銀の鎧から覗く深紅のシャツは、アイナさんによく似合っていると思った。

 鎧がなければ、髪とシャツで真っ赤なのかもしれないけれど、白と赤は、アイナさんによく似合う。

 青やピンクも、着てみてほしいけれど。


「……そ、そうか…………自分で聞いておいてなんだが…………照れる」


 そして、頬を赤く染める。

 あぁ……似合う。その顔、もっとプリーズ。


「たまちゃん。お酒、おかわり」


 すごく冷たい声が飛んでくる。

 キッカさんが冷淡な声で言って、空気が変わる。張り詰める。

 ……あれぇ? さっきは物凄く場の空気を和ませてくれたキッカさんの声が、今は空気を凍りつかせているぞぉ~?

 まったく同じセリフなのに、不思議だなぁ……


「……はい、ただいま」


 ボクも同じ言葉を言って従業員用のドアをくぐる。

 うん。おかわりを頼まれているのにいつまでも私語をしていたボクが悪い。全面的に悪い。


 キッカさんって、職場の秩序を守る女神様のようだ。


 ……女神様って、無法者には容赦ないって言いますしね。

 裁きを受けないように、真面目に働き真っ当に生きよう。うん。



 ボクは心を入れ換え、早急にシードルのおかわりを運び、そしてお詫びの一品をそっと追加しておいた。

 さえずりという鶏の食道である部位を甘辛いタレで焼いた、美味しい焼き鳥を。





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