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首尾よくいかない休日の午後 -2-

「トラキチさんは、お買い物ですか?」

「はい。実は……」


 昨日のお見合い相手だったエリアナ・バートリーさんがトラキチさんの勤める銀細工工房に訪れて大きな契約を結ばれ、その報酬の一部で設えのいい衣服を購入してくるようにとお師匠様に言われたのだと、トラキチさんは教えてくれました。


 エリアナさん、本当にトラキチさんに感謝されているのですね。

 エリアナさんとゲルベルトさん、お二人が結ばれた時のあの嬉しそうなお顔を拝見すれば、それも納得できます。

 その分、トラキチさんには申し訳なかったという思いが大きくなるのですが。


「ホント、幸せそうでよかったですよ」


 なのに、トラキチさんは嬉しそうにそんなことをおっしゃいます。

 本当に、道徳心にあふれるいい方なのでしょう、トラキチさんは。私も見習いたいところです。


「あっ! そのブローチ、着けてくれてるんですか!?」

「え、えぇ。はい。休日、ですので」


 急に指摘され、得も言われぬ恥ずかしさが込み上げてきました。

 まるで、こっそり仕掛けていたイタズラが見つかってしまったかのような、そんな気恥ずかしさを。


「おかしい、でしょうか?」

「そんなことないです! すごく似合ってます――と言いたいところなんですが、自作のブローチなので、それはそれでなんだか恥ずかしく……もう少し上手に出来ていれば、そういうことも躊躇いなく言えたんでしょうけど……」


 自作のブローチの不出来を理由に、私に似合っているとは言いにくいそうです。

 それは、ブローチの不出来を恥じているのか、純粋に私にはブローチなど似合うはずがないという意味なのか、判断しかねます。トラキチさんは優しい方なので、似合っていなくてもきっと「似合っている」とおっしゃるのでしょうけれど。


「でも、すごく嬉しいです。カサネさんが身に着けてくれて。なんか、『やったぁ!』って感じです!」


 両腕を上げて、拳を握ってみせるトラキチさん。

 なんだか、とても喜んでいるようです。私がこのブローチを着けたことを…………照れます。ちょっと、大袈裟な気がします。


「カサネさんは肌が白くて綺麗なので、シルバーアクセサリーはよく似合いますね」

「……………………そう、なのですか?」

「え? あ……いや、勘、といいますか、……個人的な見解です、けど…………あの、なんだか、すみません」


 色白の肌にはシルバーアクセサリーが似合うという情報の信憑性を聞きたかったのですが、謝られてしまいました。

 誤情報なのでしょうか?

 しかし、私のような肌の場合、確かにゴールドのアクセサリーでは少し大仰過ぎる気もします。あながち、トラキチさんの見解は外れていないのかもしれません。


 ……肌が白くて綺麗………………とは、初めて言われましたが。


 トラキチさんは人を褒めるのがお好きなのでしょう。エリアナさんのこともたくさん褒めておいででしたし、ゲルベルトさんのお料理も絶賛されていました。

 変わった趣味だと思います。

 でも、いい趣味だとも、思います。


 私も、褒めていただいて悪い気はしませんでしたから。


「お世辞を真に受けるのは愚か者である」とどこかの学者さんがおっしゃっていましたが、「お世辞すら素直に受け止められない者は味のないパンのようだ」と偉い哲学者さんはおっしゃっていました。

 ならば私はそのお世辞を素直に嬉しいと喜びましょう。


 そうですね。

 本日の目的が決まりました。

 これまで入ったこともなかったアクセサリー屋さんに行って、シルバーアクセサリーを購入しましょう。

 今はこの一つしかないので、いくつか所有するのも悪くないでしょう。


 なにせ、この『世界』には少なくとも一人、私にシルバーアクセサリーが似合うと言ってくださる人がいるのですから。


「僕、この先の服屋さんに行くつもりなんです。昨日のスーツを買ったお店なんですけど、店員さんが優しくて、いろいろ教えてくれるので」

「そうなのですか。それは、教育の行き届いたいいお店なのですね」

「カサネさんは、どこか行くお店は決まっているんですか?」


 なんといいタイミングの質問でしょうか。

 ついさっきまでは存在していませんでしたが、たった今、私には予定が出来たのです。

 その問いに対する回答を、私は持っているのです。


 行ったことはないですが、お店の場所は知っています。

 これも職場で得た情報なのですが、この通りの先にある角を曲がってすぐのところにお手頃な価格のアクセサリー屋さんがあるはずです。同僚が「あなたも何か買うべきだ」としつこく言っていたので覚えてしまいました。


「そこの角を曲がってすぐのお店です」

「へぇ…………え?」


 私の指さす先を見て、トラキチさんは微かに頬を染めました。

 アクセサリーのお店というのは、やはり女性客の方が多く、外装も内装も女性向けに出来ているものです。

 その手のお店を見ると、男性は気後れしてしまうという情報は私も把握しています。

 トラキチさんの照れは、そういうところから来ているのでしょう。


「現在、身に着けられるものが一つしかありませんので、いい物があれば購入しようと思っているんです」

「そう……なんですか」

「はい。それでは」

「あ、はい……また」


 いつまでも女性の買い物の話に付き合わせるのはよくないと思い、私は早々に会話を打ち切って目的の店を目指して歩き出します。

 トラキチさんのお買い物の邪魔をするのも気が引けますし。


 大通りと交差するように延びる通り。その角まで来て左折すると、目の前に淡い水色と薄桃色を基調とした可愛らしいお店が姿を現しました。

 ショウウィンドウに飾られているのは、ラブリーと称される少々デコレーションの派手めな女性用の下着でした。


「…………あれ?」


 フリルがふんだんに用いられ、果物をイメージしたモチーフが散りばめられた、『ガーリーな魅力であの人をノッきゅんアウト☆』という見ているこっちが赤面しそうな宣伝文句が掲げられた上下お揃いの下着。


 視線をスライドさせて通りの少し先に向けると、二軒向こうにお目当てのアクセサリー屋さんの看板が見えました。

 ……確かに、『角を曲がってすぐ』です。五分とかからずたどり着けます。


 ですが……


「言葉で聞くのと実際見るのでは印象が異なりますね」


 冷静な口調でそんなことを呟きながら、私の額からは謎の冷や汗が吹き出していました。

 心拍数がおかしなことになっています。


 いえ。

 もとより、私は自分を「オシャレにこだわっている女性である」とは思っていませんし、他人にもそのように思われているとは思っていません。

 ですが、それにしても最低限の良識は持っていると自負しています。


 ですので、さすがにそれは困るのです。



『現在、身に着けられるものが一つしかありませんので、いい物があれば購入しようと思っているんです』



 下着を一つしか持っていない女だと思われるのは、さすがに困ります。

 すぐさま振り返り、追いかけて、「勘違いです」と弁明したかった。


 ですが、私の体はそんな意志に反して、重い足取りで自宅へと向かって歩き出したのでした。

 ……トラキチさんが向かったであろう大通りの方へは絶対視線を向けずに。


 無理です。

 追いかけて必死に自身の下着事情を説明するなど……オシャレに無頓着な私であろうと出来るはずがありませんでした。

「本当は二十枚ほど所有しており、その日の気分に合わせて色やデザインを変えています」などと、どうして訴えられるでしょうか。


 家に帰り着いた私はベッドへと潜り込み、ただただ、数時間前の自分を呪うのでした。

 慣れないことはするものではないと。


 そして、八つ当たりだと分かりつつも、どうしても思わずにはいられないのでした。

 所長がお酒を飲ませさえしなければ、私は今日、午前中に目覚めて普通の休暇日が過ごせたはずです。

 そうでないならば、もっと極端に酔わせて、今日一日目覚めないくらいに疲弊させてくれればよかったのにと。


 この次トラキチさんにお会いするのは、おそらく来週。


 それまでに、どうか……

 私の記憶からこの不幸な事故の記憶がなくなっていますように。



 あぁ……







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