その日は、朝から困った事態が起こりました。
「カサネ・エマーソンさん! お、俺と……いや、ぼくと、結婚してくださいっ!」
オルガード・べネイラさん。私が担当させていただいている相談者の男性で、本日面会の予定はありませんでした。
なのに、朝も早いうちから当相談所へやって来て、私のいるカウンターブースへ入ってくるや、先ほどの言葉を告げられました。
幾分ぎこちなくも、はっきりとした口調でそう言われた後、オルガードさんは私の目の前に花束を差し出されました。
ピンクのガーベラと、白いマーガレット。小さなひまわりと可愛らしい実をつけたイチゴが綺麗にまとまった豪華な花束。
バラのような定番ではなく、個性を出した意欲作、といったところでしょうか。
花言葉は、ピンクのガーベラが「熱愛」、マーガレットが「真実の愛」、ひまわりは「あなただけを見つめている」、そしてイチゴは「幸福な家庭」。
それらは、私が以前彼に教えて差し上げた知識であり、きちんと覚えていてくださったのだなとある面では嬉しくもなりましたが……使いどころを間違っています。
私は、太い眉毛をきりりと持ち上げているオルガードさんに向かって、静かに頭を下げます。
「申し訳ありませんが、相談員が相談者様と必要以上に親密な関係になることはあり得ません」
私は、これまで何度か口にした言葉を、また同じように口にしました。
「そ、そこを、なんとか!」
「申し訳ありませんが」
規則というわけではありませんが、相談員が相談者様と親密な仲になることはあまり望ましいことではないと、私は考えています。
相談員は相談者様に寄り添い、親身になって、時には励まし、時には厳しく、けれど決して見捨てることなく共に一つのゴール、結婚へ向かって突き進んでいくパートナーです。
そのような距離感であるため、稀に勘違いをなさる方が出てしまうのもある意味では仕方のないことなのかもしれません。
幾度かお見合いに失敗し、心が摩耗した時、そばにいる相談員が異性であった場合――傷を癒すために身近な相手で妥協しようと脳が無意識でその感情を『恋』であると錯覚させるのです。
ですが、相談員の取る行動が『優しさ』に見えたとしても、それは決して『愛情』に由来するものではありません。
なぜなら、相談員は複数の相談者様を担当し、そのどなたにも平等に接しているからです。
そこに恋愛感情は存在しません。
むしろ、存在していたら大問題です。
多くの方を平等に愛することになり、倫理的に問題です。
そうではなく一人の方に特別な愛情を抱いてしまったというのであれば、それは平等を重んじる相談員としてはあるまじき行為であると言わざるを得ません。
すなわち、我々相談員はいかに熱烈なアプローチを受けようとも、相談者様とは必要以上に親密な関係になることはないのです。
……たま~に、相談者様とゴールインして寿退社される方も、いるにはいるのですが。
私は、そのタイプの人間ではありません。
そもそも、私などに好意を寄せる理由が分かりません。
相談者様は皆様素敵なご成婚を目指して当相談所にお越しになっているわけですので、本来の目的を見失ってはいけません。
相談者様には、相応のお相手の方とお見合いをし、ご成婚していただく。それが当相談所の本懐です。
「オルガードさんには、もっと相応しい方がおいでですよ。私が探し出してみせます」
「……いや、でも、俺は……っ!」
「もうしばらく、私を信用していてください」
「………………分かった」
がっくりと肩を落として、オルガードさんはカウンターブースを出て行かれました。
花束は、きっちりとお持ち帰りいただきました。
相談員は、相談者様からプレゼントをいただけませんので。
「……はぁ」
ブースから人がいなくなり、私は小さくため息を吐きました。
たまに起こってしまう不可避な事態ではあるのですが……やはり気が重いです。一時の気の迷いとはいえ、向けられた好意をお断りするというのは、幾ばくかの負荷を心臓に与えるものです。
美味しいハーブティーが飲みたいです。
オルガードさんは先日お見合いをし、昨日先方からお断りのご連絡をいただきました。種族による生活習慣の相違。それが、お断りの理由でした。
私は、オルガードさんのお宅へと出向き、その旨をお伝えしました。
かなり本気だったオルガードさんは、玄関先で泣き崩れてしまわれました。
私はそれを、相談員として、可能な限り慰めました。
そして、今日です。
失恋のつらさを埋めるために、目先のものに飛びつきたくなる衝動は理解できなくもありません。そのような方は大勢いましたので。
ですが、それはきっと、相談者様が当相談所を訪れた時に思い描いたゴールではないはずです。
相談員は、相談者様のよき理解者であり、共にご成婚を目指すパートナーでもあります。
ですが、決して共に人生を歩んでゆく恋人や伴侶とはなり得ません。
相談員は、あくまで相談員なのですから。
「まだ少し時間はあるでしょうか……」
時計に目をやります。
本日の予定は一件。
あと二十分くらいでトラキチさんがお見えになるはずです。
次のお見合いのご相談のために。
あと二十分。
お茶を飲む時間くらいはあるでしょう。
そう思って席を立つと――
「うわぁああ!?」
パーテーションの向こうから、以前どこかで聞いた覚えのあるような悲鳴が聞こえてきました。
慌ててカウンターを越えて覗き込むと、そこにトラキチさんがいました。
身を隠すようにパーテーションに寄り添って、身を屈め、そして後頭部をモナムーちゃんに齧られて。