新しい朝が来た。
憂鬱な朝が……
「……行ってきます」
「とらぁ? なんだか、おかおがまっしろだよ?」
「はは……大丈夫大丈夫。……向こうが僕の分まで色彩過多だから」
今日は、この『世界』に来てから二度目のお見合いだ。
……二度目にして、最後になるかもしれない。
いや、結婚の可能性が高いとかそういうのではなくて……不興を買えば、消される……っ!
「ま、まぁ、……頑張れよ」
「あ、あの、トラ君。気を付けて、ね?」
師匠はやや引き攣った顔で、セリスさんは心配顔で、僕を送り出してくれた。
僕が相当酷い顔をしているからだろうか。いけないなぁ、心配をかけちゃって。
というか、これからお見合いだというのに、そんな顔をしていちゃダメだよなぁ。相手の方に失礼…………いや、その相手の方がものすごく失礼な方だったわけだけれども。
これまでの僕なら、日本にいた頃の僕なら、問答無用でお断りしていたタイプの女性だ。だって、末永く一緒に夫婦生活を営んでいけるビジョンがまるで思い描けないのだから。
そして何より、僕が結婚に求めるもの、それは幸せだ。
笑顔の絶えない、明るくて毎日がきらきら輝くような――ウチの実家のような――そんな日常を、僕は渇望している。
そして、そんな幸せな結婚をすることが、僕に課せられた義務なのだ。
「……あの人とは、ちょっと難しいだろうなぁ」
一人、待ち合わせ場所を目指して歩きながら、僕はそんな言葉を呟いた。
僕の好みのタイプとは真逆の女性だ。
一緒にいると安らげるような、そんな穏やかさも必要だ。楽しいだけでは、長い結婚生活で息切れをしてしまうから。
そういう意味では、エリアナさんは理想に近かった。
賑やかだけれど、包み込むような包容力も持っていた。
「これからお見合いだっていうのに、違う女性のことを考えるなんて……最低だな、僕」
自分の行いにため息が漏れた。
なんとか、待ち合わせ場所に着くまでの間で気持ちを切り替えなければ。
お断りするにしても、きちんと顔を合わせて話をしてから。
勝手な先入観でお断りをするのは失礼だ。
……と思うのは、姉さんのお相手が『教師』だったからかもしれない。
姉さんの気持ちと向き合いもしないで『教師と生徒』という外面的な理由だけで姉さんのプロポーズを断わり続けていた。そんな人だったから。
だからかもしれないな。僕がそうしたくないと思うのは。
フラれる度に姉さんはへこんでいたから。それを、僕はずっと見てきたから。
「まぁ、会うだけは、ね」
会って話してみて、それで合わないと思えばその時にお断りをすればいい。
それならば先方も納得してくれるだろう。
……何より、行かないとコロされちゃうからね……たぶん、本気で。
気の重さが歩調に表れている気がして、僕は少し足を速めた。どんな理由があろうと、遅刻はしちゃいけないことだから。
待ち合わせ場所に着くと、カサネさんが待っていた。
少し、浮かない顔をしている。
「すみません。お待たせしてしまいましたか!?」
遅刻してしまったのかと駆け足で近寄る。
この『世界』の時間はどうにも掴みにくく、僕はいまだに馴染めていない。
「トラキチさん、おはようございます。いいえ。まだお約束の時間にはなっていませんよ。今日も少し早いです」
集合時間にはまだ時間があるようだ。
……とはいえ、そんな僕よりも早く待ち合わせ場所に来ていたカサネさん。
やっぱり結構待たせてしまったのではないだろうか?
おそらく僕を待たせまいと、早く来るであろう僕よりも早く来ているのだ……
「すみません」
「いえ、ですから遅刻はなさっていませんよ?」
いや、もうほんと……すみません。
「何かトラブルでもありましたか?」
「なぜでしょうか?」
「えっと……表情が、あまり優れないというか……疲れているようでしたから」
「そう……でしょうか?」
あれ?
自覚なし?
ということは、僕は今ものすごく失礼な発言をしたのでは?
疲れてもいない人の顔を見て「疲れてますか?」なんて……謝ろう!
「すみません!」
「いえ……あの、トラキチさん。いささか謝罪のし過ぎだと思います」
謝りますとも、失礼を働いたのであれば!
「実はですね…………お見合いの前にこのような情報をお聞かせするのはどうかとも思ったのですが…………ミューラさんと今朝お会いしまして」
ミューラさんというのは、今日僕がお見合いをする女性の名前であり、あの赤髪でデスメタルチックなメイクを施した女性の名前だ。
彼女、朝にカサネさんのところを訪れたのか……
今は正午少し前なので、四~五時間くらい前のことだろうか。
あ、これは日本時間に換算しての四~五時間だけれど。
「なんといいますか…………少し、戸惑いまして」
「まぁ、戸惑うでしょうね……」
朝からあのテンションなのだとすれば、それはもう盛大に戸惑うことだろう。
と、思ったのだけど。
「いえ、そういうことではなくてですね……」
カサネさんの戸惑いが増した気がした。
口を押さえて俯いて、眉間にしわを寄せた。
……なんだか珍しい表情だ。カサネさん、いつもはクールだから。
「…………自信が、なくなりました」
「何があったんですか!?」
一体、ミューラさんに何を言われ、何をされたというのだろうか?
カサネさんはいつも落ち着いて職務を全うしている。それは、自信とプライドに裏打ちされているからこそだろう。
少しだけ、佐藤さんに似ている。
自分を信じて疑わない雰囲気や、こちらにとって最良の選択をしてくれる、またはさせてくれる、そんな安心感を与えてくれるところが、ちょっとだけ似ているなと思う。
そんなカサネさんが自信をなくすような出来事とは、一体……
「自分の視覚が、信じられなくなりそうでした」
「何があったんですか!?」
視覚!?
相談員として何かを言われたのではなく、自身の身体能力に信用が置けなくなったと!?
興味深さと戸惑いが入り混じった気持ちでカサネさんを見つめる。
カサネさんも、なんと言っていいのやら分からないというような表情をしており、なかなか言葉が出てこない。
「とりあえず、会場へ向かいましょうか。やはり、私の口から申し上げるのではなく、トラキチさん自身の目で見て、心で感じていただく方がいいでしょうから」
「は……、はぁ」
結局、詳しい話は何も聞けず、僕たちは並んで歩き出した。
カサネさんの視覚の信頼を奪うような出来事が一体なんなのか……僕はそれを、会場に着いてすぐに理解することになる。