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姿の掴めない彼女 ミューラ・エポクイス -3-

「失礼します」


 妙な緊張感から、声が思ったよりも出なかった。

 小さな声で断りを入れ、個室へと入る。


 個室の奥に、清楚な女性が座っている。

 毎朝庭の草花と会話をしていそうな、穢れのない、そしてどこか儚げな女性。少女と呼んでも差し障りないような幼さを残した顔つきだ。


「えっと……今日は、よろしくお願いします」


 なんとか言葉を絞り出して頭を下げる。

 自然にしようと思えば思うほど戸惑いが増してしまい、カタコトな口調とぎこちないお辞儀になってしまった。

 カチコチに緊張しているようにも見えるであろう自分の態度に、呆れられているかもしれないなという思いが湧いてきて、窺うように視線を上げた。


「……くすくす」


 顔を上げると、ミューラさんが笑っていた。

 口元に手を添えて、静かに、上品に。花がほころぶように――とは、こういう笑い方なのかなと思うような可憐な笑顔に、少しドキッとしてしまった。


「ぁ……すみません」


 目が合うと、ミューラさんは小さな声で謝罪を口にして俯いてしまった。

 頬が見る間に赤く染まっていく。

 そんな姿に、自然と胸が高まっていく。


 まるで小動物のような可愛らしさと臆病さ。

 こういう女性が大好きだという男性は多いだろう。

 僕だって、女性のこういう仕草はとても愛らしく魅力的だと思う。…………の、だが。如何せん第一印象とのギャップが凄まじ過ぎて、いまだ戸惑いの方が大きい。

 高鳴っている胸の鼓動も、「何か裏があるんじゃないか」という緊張感も相俟ってのことだ。


「えっと……」

「とりあえず、お座りください」


 何か話さなければとテンパる僕に、カサネさんが着席を勧める。

 妙な緊張から、僕はずっと棒立ちだった。

 軽く会釈してから、席に着く。

 少しだけ座面が高い。もう少し低ければリラックス出来たかもしれないのに。


「改めましてご紹介させていただきます」


 そう言って、僕の方へと手を向けるカサネさん。


「ミューラさん。こちらは、シオヤ・トラキチさん。二十五歳で、現在は龍族との取引もある銀細工職人のもとで修行をされています」


 なんか、僕の紹介に『箔』が上乗せされている。

 こういう細かい部分がお見合いの成否に関わってくることがあるので侮れない。とても細かい気配りをしてもらえているようだ。カサネさん、敏腕なんだなぁ。


「そして、トラキチさん。こちらが、ミューラ・エポクイスさん……です?」


 敏腕が小首を傾げた!?

 ちょっと自信が持てなかったらしい。

 とはいえ、……僕に聞かれても。


「長寿の種族ですので、年齢はトラキチさんよりも高めになりますが、ミューラさんの種族としてはまだまだお若い八十六歳で、むしろ結婚を考えられるには少し早いくらいの年齢です」


 前回、僕が種族間の年齢の感覚のズレに驚いたせいだろう、そんな注釈を付けてくれた。

 大丈夫、もう驚かない。

 けど、種族的に適齢期より若いとかっていう情報はありがたいというか、そこはこちらでは計れない部分なので教えてもらえてよかった。

 いや、年増が嫌とかそういうことではなく、種族的に大人なのか、まだまだ幼いのか、実際の年数では計れないところがあるから。


 ……たとえば、二十五歳でオシメ着けてるとか、あるわけですし。


 そして、カサネさんから双方のプロフィールが説明される。


 ミューラさんはヤマビコ族という妖精に近しい種族の女性で、八十年ほど山の中で母親と二人きりで暮らしていたらしい。種族的に、あまり集団生活を好まず夫婦や一家族でぽつんと過ごすことがほとんどなのだとか。


 ヤマビコって、あの『ヤマビコ』なのだろうか。

「やっほー」って言うと「やっほー」って返してくる、あの。

 ということは、日本生まれだったり……は、しないか。日本のヤマビコは普通の自然現象だから。


 ミューラさんの顔を窺い見ると、さっと視線を逸らされた。

 昨日までは真っ赤だった髪の毛は、今日は落ち着いた紺色をしていた。

 ツンツンに逆立っていた昨日とは違い、さらりと垂らされてまぁるいフォルムの落ち着いた、純朴な印象すら覚えるセミロングの髪型になっている。耳の横あたりがふっくらと膨らんでいるのでより幼い印象が……いや、違う。あれは髪の毛が膨らんでいるんじゃない。耳だ!

 少し長めの、もふっとした犬のような耳が頭頂部から人で言うところの耳の位置まで垂れ下がっているのだ。


 ……犬耳だぁ。


「トラキチさん。どうかされましたか?」

「えっ?」

「いえ、前のめりになっておられますので」


 カサネさんに指摘されて、僕は自分が随分と身を乗り出していたことに気が付いた。

 慌てて腰を落ち着ける。


 いけないいけない。

 物語やマンガなんかでたまに見かける犬耳の女性に、ちょっとテンションが上がってしまった。

 何より、僕は犬が大好きなのだ。


 あの、すごく懐いてくれて、片時も離れようとしない感じが、僕の理想の家族の姿に合致するから。

 感情表現が豊かで分かりやすいところも好きな要因だ。


 などと、一人でテンションが上がってしまって、おそらく顔もにやけていたのであろう……カサネさんがじぃ~っと僕の顔を見つめていた。

 いつものクールな表情なのに、なんだか……不審者を蔑むような目で見られている気がするのは、きっと僕の中にやましい気持ちがあるからに相違ない。

 ……なにか、弁明を。


「いえ、あの……耳が、とても可愛いなぁ~……と、思いまして」


 ……何を口走ってるんだ、僕は!?

 急にそんなことを言ったら……、ほらぁ、ミューラさんが真っ赤な顔をして耳を両手で隠しちゃったじゃないか!

 不審者か、僕は!?


「すみません! あの、邪な気持ちは一切なく、純粋に可愛いなと思っただけで! あぁ、いえ、違うんです! 僕、犬が大好きで、それでその耳が犬っぽくて、もふっとしていて、いいなぁ、というか、もふりたいなぁというか……って、これじゃあ邪な気持ちがあることになるじゃないか! そうではなくて、あの、だから、つまり、ミューラさん、可愛いです!」

「分かりました。トラキチさん。一度落ち着きましょう」


 視界が布巾で覆われた。

 僕の顔に触れないくらいの至近距離で、布巾が広げられた。

 カサネさんが僕の視界を遮ったのだ。……ふぅ。視界が遮られるって、こんなに落ち着くんだ。自分の心臓の音が客観的に聞こえる。……わぁ、速い鼓動。


「落ち着かれましたか?」

「……はい」

「では、外します」


 と、僕の目の前から広げた布巾を退ける。

 すると、向かいの席でミューラさんが真っっっっっっ赤な顔して俯いていた。

 肩に力が入りきゅっとすぼまって、体を小さ~くしている。


「取り乱しまして、申し訳ありませんでした」


 テーブルに手を突いて、深々と頭を下げる。


「……ぃぇ」


 小さぁ~い声が微かに聞こえ、顔を上げると――


「ぁ……ありがとう、ございます……」


 ――真っ赤な顔をして俯いたまま、ミューラさんがぺこりと頭を下げた。

 か……かわいい、のでは、ないだろうか、今のは。


 昨日のエキセントリックな姿がどんどん霞んでいく。

 アレは何かの間違いで、今目の前にいるミューラさんこそが本当の彼女の姿なのではないか……いや、そうに違いないと、僕は思い始めていた。


 少しの戸惑いと、相応の興味から、僕は無言でミューラさんを見つめていた。

 あまりに僕がじっと見つめているからだろう、ミューラさんはおそるおそるといった感じで顔を上げ、ゆっくりと僕の方へと視線を向けて、目が合った後で恥ずかしそうににこりと笑った。


 この人、可愛いな!?


「それでは、会話をお楽しみください」


 静かに言って、カサネさんが頭を下げる。

 テーブルから少し離れた位置に椅子を置き、そこに座った。


 二人の会話には一切干渉せず、少し離れた位置から見守る。それが、相談員のスタンスなのだろう。

 そして、何かトラブルが起こればすぐに駆けつけ対応してくれる。

 なんとも頼もしい限りだ。



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