最近、職場での私の扱いがおかしくなっています。
所長が次のお見合い相手を探すと言い出したこともさることながら、なんとなくその頃から職場の人たちが私にいろいろと言ってくるようになったのです。
やれ「もっとオシャレをしろ」だとか、やれ「何かあったらいつでも相談しろ」だとか、「ようやく一歩前進したか」だとか。そのほとんどが理解に及ばない内容なのが困りものです。
私はどこに向かって前進したと言われているのでしょう? 停滞しているつもりなど、そもそもないのですが。日々精進。仕事に邁進しています。
特に言われるのが「たまには違う服装をしろ」というような内容でした。
ですので、私は完全にマスターした「ラフな格好」を駆使して返事をしているのですが、みなさんことごとく複雑な表情をして立ち去っていくのです。
中には「あ~……まだそこら辺ウロウロしてるのかぁ」と呟いていた人も。
なんなのでしょう。私がどこをウロついていると言いたかったのでしょうか? 仕事が終わればほぼ毎日寄り道ひとつせず直帰しているこの私に。
というわけで、休日の今日は買い物に出ようと考えています。
ラフな服装を買いに、です。
実を言うと、もう三日も前にクローゼットの中を整理し、仕事着の隣にラフな服装コーナーを設けてあるのです。
なので、何着買っても大丈夫です。
ラフな服装は自由度が高いですから、ひょっとしたらラフな気持ちでラフに買い物をしてしまう可能性があります。予定より多く買ってしまう、それがラフな服装なのです。
なので、心持ち収納場所を広く確保したのです。
二着程度でいいかと思っていたところ、なんと六着分もハンガーを空けました。
三倍です。
収納など、服が四着も入ればそれで事足りると思っていた私ですが、ついにこのクローゼットが衣服で埋まる日が来たのです。
今までは会社でいただいた粗品や乾き物を収納していたのですが、全撤去です。
クローゼットは衣服のための収納なのです。
――という話を職場でしたら、「きっちりしてるね~」と言われてしまいました。
どこがでしょう?
こんなにもラフなスタイルですのに。
まぁいいでしょう。
休日明け、ラフに生まれ変わった私を見て考えを改めるといいのです。
きっとみなさん、変貌した私を見てこう言うでしょう。
「カサネ、めっちゃラフ」
――とね。
ふふふ。みなさんの驚く顔が目に浮かぶようです。
そうだ。ラフな服を買いに行くのだから、ラフなヘアスタイルにしてみましょう。
知っているんです、私は。
毛先を――遊ばせるのでしょう?
遊ばせましょう。
公園を走り回る幼子のように。
……と、思ったのですが、今現在ラフな服装を持っていない私は、今日の外出には既存の服装で赴くしかなく、そうなると服とヘアスタイルが一切噛み合わず、スーツ姿で頭がもっさりした人になってしまいました。
やめましょう。
この服装には似合いません。
ラフな服装を買うまではいつもの、今まで通りの髪型で行きましょう。
……んぁあ。整髪料がべたべた固まって元通りになりません!
仕方なく、一度シャワーで髪を洗い流すことにしました。
まったく。女子のオシャレは大変です。
ラフなタイムスケジュールで大幅に時間を消費してしまうことを考慮し、朝一番で家を出ようと思っていたのですが、結局お昼前になってしまいました。
買い物の前に食事を済ませてしまいましょう。
今ならまだ混み合う前のはずですから。
前回のお見合いで話題に上がったトカゲのしっぽ亭へ向かいます。
トラキチさんが絶賛していたと、店長に報告すると約束しましたし。
そういえば、今度連れて行ってくださいとも言われましたね。
自分のお気に入りのお店を知ってもらえるのは嬉しいです。是非ともご紹介致しましょう。
ティアナさんが、トラキチさんと二人で行きたいというようなことをおっしゃっていましたが、お見合いも破談になりましたし、ティアナさんはトレジャーハントで忙しそうですから、うん、あれはきっともう無効ですね。私が御案内しても差し障りないでしょう。
あ、しかし。次回のお見合いは所長が相手を選出するということなので、トラキチさんと会って打ち合わせすることがありません。
用もないのに呼び出すわけには行きませんね。
ということは、ご案内できるのは次のお見合いの後、でしょうか?
…………いえ、次のお見合いも破談になると思っているわけではないですよ?
そうですね。きっと次こそうまくいきます。相談員としてそう願わずにはいられません。
しかし、そうなると……
次のお見合いでトラキチさんのご成婚が決まれば、もう私と打ち合わせることはないのですよね。
……どうしましょう。困りましたね。
もう、会えないのでしょうか…………
いや、ご婚約が決まっても、式場の手配や招待状の準備など、当相談所が行うアフターケアは多岐にわたります。
打ち合わせを行う機会はまだまだあります。
その場合は、新郎と新婦お二人一緒にということになりますが、美味しいベーグルを食べるのに人数は関係ありません。
むしろ人数が多い方が食事は美味しいと言いますし。
大丈夫でしょう、おそらく。
「…………」
なんだか胃の辺りがしくしくします。
おなかがすき過ぎたのかもしれません。急ぎましょう。
そうして、早足でたどり着いたトカゲのしっぽ亭は……なんということでしょう、臨時休業でした。
ベーグルは、またの機会にするしかないようです。
しかし困りました。口が完全にベーグルを求めてしまっている今、何か他の物へ変更するのが難しいです。
とりあえず、空腹が限界に近付けば何かしら食べたくなるであろうと踏んで、私は先に買い物をすることにしました。
何軒かのお店を回り、ラフな服装に該当しそうである衣類を数着購入し、いかにしてベーグルを求めてやまないこの口と胃を黙らせてやろうかと画策します。
他のお店のベーグルを食べるか、近くのパン屋さんでサンドイッチでも買ってくるか……いや、やはりどれもトカゲのしっぽ亭のベーグルに見劣りします。
妥協するのは、なんだか負けたような気がします。
ならいっそ、まるっきり違うものにしてしまいましょう。
たとえば、そう……焼き魚とか。
少し距離はありますが、お手頃価格で美味しい定食を食べさせてくれるこざっぱりとしたいい食堂があるのです。
相談所や家から少し遠いのでたまにしか行きませんが、今日はそこへ行きましょう。少し歩くのも悪くありません。
「ここからだと、銀細工工房の方角ですね」
もはや通い慣れた道です。
足取りも自然と軽くなります。
もし偶然出会ってしまったりしたら、トラキチさんはどんな顔をするでしょうか?
『奇遇ですね』
『え、これからお昼なんですか?』
『もし、よかったら一緒に食べませんか』
『あ、じゃあトカゲのしっぽ亭に連れて行ってくださいよ』
『えぇ~! 今日お休みなんですか……残念です』
ふふ。
そんなセリフが容易に想像できます。
きっとすごく残念そうな顔をされるのでしょう。
そして――
『それじゃあ、また今度連れて行ってくださいね』
――と。
ふふふ。そうなったら日程を合わせなければいけませんね。
トラキチさんは修行中の身ですからそうそう遊ぶ時間は取れないでしょうし。
私も、お見合いがない時でも書類の整理やお店のリサーチに奔走しています。
これは、なかなか難易度の高い調整になるかもしれません。腕が鳴ります。
…………まぁ、出会わないかもしれませんけどね。
「きっと今頃は、工房でお仕事をされているのでしょうね」
そんなことを、誰に言うでもなく呟いたまさにその時、私が目指していた食堂からトラキチさんが出てきました。
女性と一緒に。
とても、親しげに。