二言三言楽しげに会話をして、いつもの困ったような笑みを浮かべる。
会話の内容は聞き取れないけれど、とても朗らかで、心を許していると分かる柔らかい表情。
「……あ」
女性が、トラキチさんの髪を撫でました。
トラキチさんは困ったような顔をしながらも、されるがまま、その行動を許しています。
それからまた言葉を交わし、トラキチさんの胸を一度小突いた後で、その女性は一人で先に帰っていきました。
どこかで見たことがあると思ったら、あれはミューラさんですね。
少々、様々なインパクトが強過ぎて、いまいち素顔がどれだったのかが把握しきれていませんでしたが、あの小柄で可愛らしい後ろ姿はミューラさんで間違いないでしょう。
そういえばトラキチさんとはお友達になったのでした。
そうですね。
お友達なら一緒に昼食をとるのは普通なんですよね。
一緒に食事を楽しむような友人がいたためしがないので失念していました。
尋ねてみましょうか。
友人とはどういうものなのか。
それを知れば、私にも気心の知れた友人が出来るかもしれません。
先ほどのトラキチさんとミューラさんのように、楽しげに笑い会えるお友達が。
「トラキチさん」
背後から声をかけると、トラキチさんは肩を震わせ、油の切れたブリキ人形のようにぎこちない動きで振り返りました。
「カサ、ネ……さん」
目を白黒させて、これまでに見たことのないような表情をしているトラキチさん。
私は、よくないタイミングで声をかけてしまったのでしょうか?
しかし、完全に目が合ってしまった後でなかったことには出来ません。ここで急にそっけない態度を取ったりすれば、無視をしたと思われるでしょう。
ですので、とりあえず当たり障りのない確認事項だけを済ませてさっさと退散することにしましょう。
『今の方はミューラさんですか』
『はい、そうですよ』
たったそれだけで終わる会話です。
それ以上のことは私が関与することではありません。
トラキチさんがプライベートで誰と何をしようが、私には一切関知する権利などないのですから。
……別に、興味も、さほどありませんしね。
そうと決まれば、即実行です。
「今の方は……」
「違うんです!」
……違うのですか?
ミューラさんでないのなら、今の方はどなたなのでしょう?
もしかして、私の知らない方なのでしょうか。
ということは、当相談所でご紹介していない女性ということになり、それはつまり、トラキチさんがもう当相談所に期待をしていない、信用していないという意思表示なのではないでしょうか。
それは困ります!
いえ、ご自分で出会いを見つけられる方も割といらっしゃいますし、そのこと自体は珍しくも、もちろん悪くもないのですが……うまく言えませんが、困る、気がします。
まるで、私など必要ないと言われているようで……
これまでの共に過ごした時間がなんの意味もなかったと言われてしまったようで……
それは、まるで……
「あ、いや、違うというか、違わないんですけども……」
違わないようです。
ん?
どういうことでしょう?
混乱する頭でトラキチさんを見れば、私以上に混乱しているような顔をされていました。
「えっと……、今の方はミューラさん、ですよね?」
「あ、はい。そうです」
そうなんじゃないですか。
では、何が違ったのでしょう?
「え~っと、つまりですね。ミューラさんに、好きな人が出来たそうなんです」
好きな人が?
それで……デートを?
つまり、ミューラさんは破談になった後、改めてトラキチさんに交際を申し込まれていると……
「なんでも、有名なかんざし職人さんのお弟子さんなんだそうですけど」
トラキチさんは銀細工職人さんのお弟子さんだったはずですが?
「それで、相談に乗ったと言いますか、世間話をしていたと言いますか……」
「銀細工工房に何かあったのですか?」
「へ!? なんで工房の話が?」
「転職、されたのでは?」
「え? …………あっ!? 違いますよ! 僕じゃないですよ、ミューラさんの好きな人」
違う、の……ですか?
そう、ですか……
そうなんですか…………よかったです。
……ん?
何がよかったのでしょう?
「え~っと……、本当は本人の許可なくペラペラしゃべるようなことじゃないとは思うんですが……」
そんな前置きの後、ミューラさんがかんざし職人さんに片思いをし、その相談をトラキチさんにしたという話をぺらぺらと語ってくださいました。
「友達なので、恋愛相談とかしやすいんだと思いますよ。友達なので」
なぜか二度も「友達」を強調されました。
トラキチさんとミューラさんが友達になった瞬間を私も見ていましたので存じ上げているのですが……ひょっとして自慢なのでしょうか? 私に友達と呼べる人が一人もいないと知って。
……いや、まさか。トラキチさんに限ってそんなこと。
私の考え過ぎでしょう。
「カサネさん。今日は一人でお買い物ですか?」
……考え過ぎ、ですよね?
「お休みの時でも、一人でこんな遠くまで来ることがあるんですね」
「えぇ、そうですね。一人で遠くへも行きますし、一人で買い物もしますよ、一人で」
「……あの、何か、気に障ること言いました、僕?」
「いいえ。ただ、買い物をするなら一人の方が集中できますし急な変更にも打ち合わせは必要ないですし休憩も好きな時に取れますし意見が分かれることもありませんので非常に効率的であると、私はそのように思っているだけです」
「そんな、ショッピングまで効率化しなくても……もっと気楽に……」
「もちろん、ラフなショッピングを心がけていますとも」
「ラフなショッピング……?」
トラキチさんがきょとんとした顔で小首を傾げました。
どうやら、トラキチさんはいまだ『ラフな』を使いこなせていないようです。理解が及んでいないのでしょう。
仕方ないことです。こちらの『世界』に来て、まだ日が浅いのですから。