「実は今日はラフな服装を買いに来たのです」
「あ、いいですね。カサネさんもそういうのを着た方がいいですよ、たまには」
……今、もしかしてですけれど、私はラフな服など一着も持っていないと、そう思われたのでしょうか? そう思っての発言なのでしょうか?
「ラフな服装はしますよ。ブラウスの袖をまくったり」
「洗い物の時とか、ですか?」
エスパーなのですか、あなたは?
「そういうんじゃなくて、もっとゆったりとした、気軽に着られて、肩が凝らなくて……そうですね、カサネさんに分かりやすく言うなら……仕事にはとても着ていけないような服のことですよ」
「……それは、あのダンジョンでのお話、でしょうか?」
途端に顔が熱くなりました。
思い出すだけで腰骨がムズムズするような羞恥に襲われます。
あの時の格好は、まさに仕事にはとても着ていけない服装でした。肩も凝りそうにありませんでしたし、……気軽には着られませんけれども。
「ちっ、違います! そーゆーんじゃなくて! ……っていうか、ダンジョンのことはもう忘れましょう……お互いのためにも」
トラキチさんの顔が赤く染まり、気のせいか頭頂部から湯気が立ち上っています。
照れながらへこむ。器用です。
「もっとこう、カジュアルな……もこもこしてたりひらひらしてたりする服のことですよ」
「そういった服は持ち合わせていませんが、大丈夫です。ラフな服を収納するスペースはきちんと確保していますのでどのような緊急事態にも対応は可能です。ラフになる準備は万全です」
「カサネさんの発想がラフとは真逆の周到さを発揮している!?」
顔を背け、空に向かって叫ぶトラキチさん。
なんでしょう。なんとなく、反応が職場の女性たちに似ています。
私は間違ってはいないと思うのですが……
「ちなみに、どういう服がカサネさん的にラフな服装なんですか?」
どうと口で説明するのは難しいのですが、幸運なことに私はつい先ほどラフな服を購入してきたばかりなのです。
買い物と昼食の順番を入れ替えて正解だったようです。
「実はさっき購入してきたところなんです。ご覧になりますか?」
「いいんですか? 見てみたいです」
いいですとも。
ご覧にいれましょう。
私のラフな服装を。
「見てください。服の前面にプリーツが付いたブラウスにチェック柄のパンツです!」
「オフィスカジュアルっ!?」
トラキチさんが再び空に吠えました。
誰か知り合いでも飛んでいるのでしょうか?
「えっと……確かに、いつものカサネさんよりかはカジュアルになってはいるんですが……『真面目』が『おとなしめ』になっただけというか…………あの、パーカーとか着ませんか?」
「ぱー、かー?」
「初耳っ!?」
ちょっと記憶にない名称でした。
ものすごく驚かれているようですが…………なんだか、少々心外です。
「どうやら私には知識が不足しているようですね。どーもすみません」
頬が自然とぷっくり膨らみます。
「いやいや! こういうのは慣れですから! 知らないことは知ればいいのであって……知らないお店も、行ってみたら案外気に入ったりするもんですし……」
両手をわたわたさせて、トラキチさんが困り顔を見せます。
「えっと、だから……」と、頭の中から文字を懸命に引っ張り出してきて言葉を作るように私に語りかけます。
「……今度、一緒に服を見に行きませんか?」
「え……?」
するりと耳に届いたその言葉に、思わず声が漏れました。
『一緒に服を見に行きませんか』
休日に予定を合わせて、一緒にショッピングをしようというお誘いでしょうか?
いや、そうなのでしょう。言葉通りの意味であれば。
私が、トラキチさんと一緒に?
「私個人の買い物にトラキチさんを付き合わせるわけには……」
「いえ、僕も買いますから。お見合い用の服とか。カサネさんにアドバイスをもらえると心強いですし」
なるほど。
そういうことでしたら私は他の者よりも見る目があると自負しています。
なにせ、何組ものお見合いを見届けてきたのですから。
つまり、これは交換条件なのですね。
私がトラキチさんのお会見合い衣装を見立て、トラキチさんが私のラフな服装を見立てる。
互いに不得手を補い合う関係という…………誰がラフな服装が不得手ですか。
「私、ラフな服装には一家言があるのですが」
「えっと、ですからそれは……情報交換という感じで」
なるほど。
トラキチさんが思うラフな服装の情報を得て自分の中のラフな服装に吸収できるものを取り入れていけば、ラフな服装が多様化してより一層ラフさに磨きがかかるかもしれません。
「そういうことでしたら、是非」
これで、私はより完璧にラフな服装を究められるかもしれません。
これは感謝の気持ちをこめてお礼しなくてはいけませんね。
何がいいでしょうか……あ、そうです。打ってつけのお礼がありました。
「では、その後でご一緒にトカゲのしっぽ亭へ行きませんか?」
「えっ……?」
トラキチさんが行ってみたいとおっしゃっていた場所ですし、喜んでもらえると思ったのですが……
トラキチさんは両目を見開いて固まってしまいました。
ピクリとも動きません。
変化があるとすれば、徐々に赤く染まっていく頬。いや、顏。というか、首から上。
「い…………いい、です……ね」
ほぼ動いていない口でぎこちない言葉を発したトラキチさん。
「お気に召しませんでしたか? それでしたら……」
「いえ! 行きたいです! あの……一緒に」
「では、決まりですね」
なんということでしょう。
当分先になると思っていたトカゲのしっぽ亭へのご招待が、想定以上に早く訪れました。
何か用事がなければ赴くことが出来ないと思い込んでいたトカゲのしっぽ亭ですが、なんということはありませんでした。
『トカゲのしっぽ亭へ行く』ということ、そのものが用事になったのです。
用事がなければ赴けない。
ならば、用事を作ればいい。たったそれだけのことだったのです。
もしかしたら共に赴くことは不可能なのかという危惧すらありましたが、それは杞憂に終わったようです。
「それでは、日程はまた改めて」
「はい。そうです……ね」
いつも以上に忙しなくそわそわとして、トラキチさんは「あっ、そうだった、僕、工房に戻って銀を磨かなきゃいけないんだったー」と誰に言うでもなく割と大きな声で言って、「それじゃ、失礼します!」と深々としたお辞儀をして駆けていってしまいました。
私が引き留めたせいで時間に遅れそうなのかもしれません。
もっとも、トラキチさんのことだから、約束の時間よりも早く到着されるのでしょうけれど。いまだにこちらの時間に馴染んでいないようでしたし。
この前のピクニックの時も、一人で四十分も早く来て……ふふ。
「不思議ですね」
不意に言葉が漏れて、周りに誰もいないことを確認して、独り言は心の中だけに留める。
えぇ。本当に不思議です。
トラキチさんと会話する前まで感じていた胸のムカつきや息苦しさが、今はすっきりなくなっているのですから。
トラキチさんと会話を終えた後からは、羽が生えたのではないかと思うほど心と体が軽やかなのですから。
きっと、トラキチさんが相手を笑顔にする達人だからですね。
予定変更です。
昼食は延期して、服を一着買いに行きましょう。
トラキチさんと一緒にお出かけする時のために。
そうです。
ラフな服を買いに行くためのラフな服を購入しておきたいと思います。
手始めに、『ぱーかー』というものを見に行ってみましょうか。