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しがらみを背負った彼女 クレイ・バーラーニ -2-

「師匠!?」


 ものすごい音がした。

 後頭部を床にしこたまぶつけたんじゃないかと心配になって駆け寄る。 

 真っ青な顔をしているが、体には異常がないようで「大丈夫だ」と助け起こそうとする僕を大きな手で制する。


「お前……龍族やトレジャーハンターの次は之人神って……相談員さんに何かして怒らせたんじゃねぇだろうな?」

「いや、そんなことは……」


 ない…………と、思いますけれど。

 あれぇ?


「ちきしょう、不安になってきたじゃねぇか。あ、そうだ!」


 パンと手を叩き、師匠が工房の中を足早に移動し始める。

 備え付けの棚をがさごそと漁って、最上段の取りにくそうな奥の方から頑丈そうな木の箱を引っ張り出してくる。


「こいつをお前に貸してやろう」


 差し出された木箱は緻密な細工がみっちりと彫り込まれていて、見ただけで高価だと分かる仕様になっている。

 僕は中も確認せずに師匠にそのお高そうな箱を突き返す。


「結構です」

「遠慮すんな」

「遠慮しますよ! 明らかに家宝級の逸品じゃないですか!」

「まぁ確かに、買おうと思えば金貨が数十枚羽を生やして飛んでいくような値段になると思うが……」

「大切にしまっておいてください」


 そんな高価な物、おいそれと持ち出すものではない。

 まして、僕は持ち歩きたくない。

 ……緊張で胃に穴があきそうです。


「そう固くなるな。確かに高価な物だが、こいつは俺が作った物だ」

「師匠の作品、なんですか?」


 聞けば、師匠が二十年ほど前に丸二年をかけて作り上げた渾身の一作なのだとか。

 ……二年?

 え? 本気で?

 一作品を作るのに、二年?


「まぁ、見てみろ」


 大きな手で慎重に、繊細な指使いで開かれた木箱。

 その中には、一つの美しい腕輪が収まっていた。

 磨き上げられた光輝く銀の腕輪。なのに、銀特有の突き刺すような強烈な光の反射ではなく、淡く柔らかい光を纏っている。


「銀には魔を除ける力があると言われている。こいつはさらに教会で十年間清められた特別な銀を使っているんだ」

「すごい……原材料だけで金貨が溶けそうですね」

「その上、この細かい模様が魔除けの魔法陣になっててな。……見てみろ、ここの細い線。こいつは当時の枢機卿に教えてもらった退魔の魔法陣なんだ」

「これは……人の手で作れる物なんですか?」

「おぅよ、この手で作った」


 僕の顔を覆い隠せるほどの大きな手を広げて、師匠は得意げに言う。

 なぜこの大きさでここまで細かい作業が出来るのか、理解に苦しむ。

 思えば、日本でお世話になっていた町工場の工場長も、大のお酒好きが祟って指先が震えていたのに僕よりもはるかに細かい作業が得意だった。

 ……職人の手って、ちょっと理不尽だ。


「どうしてこんなとんでもない物を作ったんですか?」

「その枢機卿からの依頼でな」


 当時を懐かしむように目を細め、師匠は腕輪を眺めながらぽつりぽつりと話し始める。


「当時、教会はある連中からしつこく付け狙われていてな。命の危機を感じた枢機卿が、当時名を挙げつつあった俺に退魔の腕輪を依頼してきたのさ」

「ある連中とは?」

「魔神だ」


 魔神。

 ゲームでしか聞いたことがないような相手だ。

 あ、でも。


「ダンジョンを作る者を魔神って呼ぶんですよね?」


 ティアナさんがそう言っていた。


「まぁ、それも魔神と呼ばれているが、そいつらは異世界からこの『世界』へやって来た魔神――人となることを拒絶し、この世界の神に成り代わろうと画策していた破壊の神とその従僕たちだ」


 破壊神。

 きっと、ある日突然統合されてこの『世界』に来たのだろう。

 なにも、そんなのまで統合しなくてもいいでしょうに。


「当時の教会は、自分たちのいた異世界の神を崇め、それ以外の神を邪神と呼んでいたからな。真っ向から衝突したってわけだ」


 信仰の相違は争いを生みやすい。

 心の拠り所を完全否定されるわけだから、気持ちは分からなくもない。

 とはいえ、それで相手を潰そうとする思考は理解したくないけれど。


「そこらの雑多な神や信者を潰して伸し上がってきていた教会だったが、その時初めて壊滅の危機に瀕しちまったってわけだ」

「強かったんですね、魔神」


 今はどこかに封印でもされているのだろうか。

 されているといいな。

 平和が一番尊い。


「それで、命の危機を感じた枢機卿が魔を除ける腕輪を作ってくれって、俺に依頼してきたんだよ、素材付きでな」

「でも、だったらどうしてその腕輪がここにあるんですか?」

「納品の前にお隠れになられたんだよ」


 急な敬語に違和感を覚える。

 ……そうか。間に合わなかったんだ。


「結局、代金はもらえなかったが、前金と最高級の素材で作った腕輪が残った。儲けはそれで充分だった」

「それで、その……魔神とか、教会って、今どうなってるんですか?」

「龍族に滅ぼされたな」


 龍族、魔神に勝ったの!?


「基本、移民や移神には寛容なんだが、いささか悪目立ちし過ぎたんだろうな、どっちも」

「『当時の教会』ってことは、今も教会はあるんですよね?」

「あぁ。今『教会』っていやぁ、龍族の神、龍神様を奉る教会のことだ。あの事件以降、他の神たちへの威圧も込めて教会を設立されたんだよ。元は、龍族が心の中で静かに信仰していただけだったんだがな」


 目に見える形で『龍神の教会』が存在すると、他の神様が『教会』を設立する際の牽制になるのだろう。

 設立は禁じられていないようだけれど、勝手に『教会』を名乗ると、割と強めの警告が入るらしい。

 龍神以外の神様はきちんと何の神の教会なのかを名前に記さなければいけないのだとか。


『貧乏神教会』とか、そういう名前にしろってことかな?


「師匠は龍神様を敬っているんですね」

「おうよ! 今この街が平和なのは龍神様と龍族のおかげだからな。信仰心くらいいくらでも捧げるぜ! 俺にとって一番大切なのは愛する家族が平和で楽しく幸せに暮らせることだからな」


 うん。師匠は分かりやすい。


「とまぁ、そんな由来のあるスゲェ効果のある腕輪だから持っていけ」

「『だから』がまったく仕事してませんよ!?」


 その場合の『だから』は『○○だから□□しろ』と、□□を肯定するための理由を述べた後に使うべきだと思うんですが?


「そんな貴重な腕輪、なおさら持ち出せませんよ」

「元であれなんであれ神は厄介だって言ってんだろうが。お前の身に何かあったらどうすんだ」

「この高価な腕輪に何かあったらどうするんですか!?」


 僕に何かあるよりも、この高価な腕輪に傷一つ付ける方が一大事――と言いかけたのだが、出来なかった。

 師匠の大きな手が僕の胸倉を掴み、締め上げる。


「テメェ、俺の話聞いてなかったのか?」


 野生の獣のような瞳に睨みつけられる。

 それは、温厚でいつも笑顔の師匠が初めて見せた怒りの表情だった。



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