クロストから上位貴族の腐った価値観を押し付けられそうになったあとだったから、その考えが頭をよぎる。
エリックを疑うようでその懸念は口には出さなかったが、彼にはエリザが何を不安に思っているのか気づいたようだ。
「ごめん、あの男に襲われたあとなのにデリカシーがなさ過ぎたね。アシュフォード家は分家も含め皆魔力持ちだ。魔力量はほか貴族に比べ突出して高いけれど、政略結婚はほとんどしていないんだよ」
「でも……」
「うちの両親も恋愛結婚だし、魔力のない者と結婚した例もある。だから……僕も僕の家族も、あの男の家とは思考が違う。結婚相手に魔力の素質を求めることはないんだ」
重要なのは、好きかどうかだ。と手の甲にキスをされ、エリザは肩の力が抜けた。
何を不安がっていたのだろう。
最初から、エリザを助けるために潜入捜査に志願してくれて、それを恩にも着せず泥をかぶるかたちで姿を消そうとしたこの人を、疑う余地などなかった。
「君を不安にさせるものは、全て僕が取り除く。だから僕の気持ちだけは疑わないでほしい。嘘ばかりついたが、君を想う気持ちだけはずっと真実だったから」
真剣な瞳で見つめられ、エリザもまっすぐに彼を見返して答える。
「信じます。ありがとう、あなたの気持ちが……嬉しい」
まるで結婚式の誓いのようだと思いながら返事を返すと、エリックが少年のような顔で笑った。
以前の作った表情ではなく、これが本来彼の笑い顔なのだろうと思うと胸が痛いほど高鳴る。
同じように自然と笑顔になるエリザに彼がそっと顔を寄せてきた時、部屋の扉が『バン!』と大きな音を立てて開いた。
顔を寄せていた二人は猫のように飛び上がって驚く。
「おいお前らァ! 終わったんならいつまでもいちゃついてねーでこっちを手伝えや! 告白してくっつくだけなのに時間かかりすぎなんだよ!」
「師団長……デリカシーなさ過ぎでしょう。いちゃつくのはこれからなんですから、もう少し空気を読んでください」
しれっと恥ずかしいことを言うエリックに思わず吹き出してしまうと、師団長がブチ切れた。
「二人きりの時間を作ってやった俺に感謝もねえのか! いいからエリザは早くこっちを手伝え。人手が足りねえんだ」
「申し訳ないですがエリザさんは退勤させてもらいますよ。さっきまで薬を盛られて倒れていた人を働かせようなんて、師団長は酷い上司ですね。こんな悪辣な労働環境は改善するよう王家に報告しないと」
うっと言葉に詰まって師団長がひるんだ隙に、エリックはエリザを抱えて窓から飛び出した。
「きゃああ!」
二階の窓からひらりと地面に降り立ったエリックは、渋い顔でこちらを見下ろす師団長に笑顔で宣言する。
「エリザさんはこれから傷病休暇に入りますね。度重なる事件の被害者になって心身ともに疲弊しているようなので」
「おい、ちょっと待て! まだ事情聴取もあるんだ……」
エリックは勝手に休む宣言をして、エリザを抱えたまま走り出した。
「ちょ、ちょっと大丈夫なんですか? あとで怒られません?」
「いいさ。ちょっと君は働きすぎだ。君も忙しくして辛い気持ちをごまかしているようだけど、クロストの件もあるしもう限界だよ。休んだほうがいい。ホラその目の隈。今直さないと一生こびりついて離れなくなるよ」
「そ、それは困りますね……」
冗談めかしているエリックの言葉に思わず笑ってしまう。だが、彼がエリザの不調に気づいてくれていたことがこの上なく嬉しくて、うっかりすると泣いてしまいそうだった。
(フィルは、ただの一度も私の体調を気遣ってくれたことはなかったな……)
思い返せば、フィルはいつも自分のことでいっぱいいっぱいだった。
自分の不幸しか見えていなくて、エリザの大変さは気づいていなかった。
だからこそ、エリザが自分を苦しめる存在だと思うようになってしまったのかもしれない。
エリックの優しさに触れて、フィルとの関係がとても歪でおかしかったと気づけた。彼がいなかったら、自分がどうなっていたか分からない。
「……ありがとう」
「ん? なんだい?」
無意識に感謝の言葉が漏れる。それは彼の耳には届かなくて聞き返されたが、首を振ってごまかす。お礼を言うのなら、こんな簡単な言葉で伝えてはいけない。もっとちゃんと感謝を込めたかたちで伝えよう。
「なんでもないです。それより、エリックさんも一緒に出てきちゃったけど、これからどうするんですか?」
「もちろん僕も有休をもらうつもり。君の看病をしないといけないからね」
冗談か本気か分からないことを言って、エリックはパチッとウインクをして見せる。わざと胡散臭いしぐさをするのがおかしくて、エリザは声を出して笑う。
見上げると、エリックの微笑む顔の向こうに満天の星が輝いていた。
薬の影響がまだ残っているのか、光がにじんで彼も輝いているように見える。
(奇跡みたい……)
何年経ってもきっと、彼と二人でこの日のことを笑って語り合う時が来るだろう。
エリザは確信めいた気持ちでこの光景を目に焼き付けるのであった。
おわり