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初仕事の定石 -3-

「今日はもう予定もありませんし、この付近をもう一度ご案内しましょうか?」

「そうだな。そうしてもらえると助かる」


 俺の記憶が混在する前に必需品は揃えてあるようだが、雑貨屋や薬屋の場所くらいは把握しておきたい。


 改めて事務所の中を見渡す。

 飾り気のない、簡素な事務所だ。


 事務所中央の窓際には所長用のデスクがあり、そちらから見て左手側、入り口から見れば右手奥側の空いたスペースに今俺たちが座っている来客用のソファとテーブルがある。

 来客用のスペースの向こうにはパーテーションがあって、その向こうが出入り口になっている。

 入り口を入ってすぐに事務所内が見えないようにパーテーションで目隠しされているのだ。その小さなスペースは待合室として使用されているらしい。

 待合室と事務所内の境目には受付カウンターがあり、カウンターの奥にもデスクが置かれている。

 そちらのデスクは真新しく、最近購入された物だとよく分かる。

 おそらく、そっちが俺の座席なのだろう。


「デスクには何も置いてないようだな」

「はい。今回のお仕事が終わったらゆっくり買い物に行こうということになっていましたから」


 そう言ってカウンター横のデスクを見たツヅリのヘアテールがぴこっと動いた。

 そして俺の方へと向き直ると、なんともぎこちない動きでぽんと手を打つ。


「あ、そーでした。アサギさんの座席を教えていませんでしたね。わたしってば、うっかりさんです」


 軽く握った拳で自分の額をぽかりと叩いて小さく舌を覗かせる。

 なんて嘘くさい仕草なんだ。


「あちらが、アサギさんのデスクです!」


 言いながら、窓際のいかにも高そうな、あからさまに所長用のデスクだと分かる席を指さす。

 ……いやいや。


「明らかにアッチは所長用だろう」


 この相談所の所長はツヅリだ。

 すなわち、窓際の席はツヅリの席だ。


「俺はそっちのカウンター横の……」

「いえ、あのっ……そう! ア、アサギさんが、言ったんですよ、その~、窓際の席がいいって」


 ヘアテールが俺から逃げるかのように後頭部の方へとなびいている。

 なるほど。こいつは嘘を吐くとそんなことになるのか。なんて分かりやすい。

 もっとも、ヘアテールを見るまでもなく嘘だとバレバレなんだが……

 そもそも、学生じゃあるまいし窓際の席がいいなんて言うわけがないだろう。


「日焼けでも気にしてるのか?」

「い、いえ! そんなことは……。ですから、アサギさんの要望で……」

「じゃあ、あっちの席がいい。記憶の混在で意見が変わったんだ」

「そこをなんとか!」


 必死だな、おい。


「……なんであっちの席がいいんだ?」

「それは……その…………」


 ヘアテールが左右でバラバラに右往左往している。

 パニクるとこうなるのか……


「……アサギさんが、細やかな気配りの達人ですので」

「はぁ?」


 なんだそれは?

 所長席を嫌がる理由になってないぞ?


「わたし、ハーブティーをいれるくらいしか他人様のお役に立てることがないんです」

「いや、そんなことはないと思うが……」

「でもですね、わたしが相談者様の対応をしていると、アサギさんがすすす~っと、いつの間にか、さりげなく、まるで微風のようなさりげなさでハーブティーをいれてしまわれるので……」

「それ、俺に話したのか? 『勝手にいれるな』って」

「勝手にだなんて!? とても美味しくて、タイミングもよくて、すごく感謝していましたのに」


 まぁ、来客に茶を入れるくらいは俺にも出来るからな。

 所長が接客をしているなら茶を入れるのは俺の仕事だと思ったのだろう、記憶混在前の俺は。

 それが、ツヅリには好ましくなかった。


「それで、給湯室に近い席に座れば、ハーブティーをいれるのはわたしのお仕事になるのではないかと……」

「そんな理由で所長席を離れるのか?」

「所長と言っても、わたしが何をしているわけではありませんし……そうだ、いっそのことアサギさんが所長になるというのはどうでしょうか?」

「慎んでお断りだ」


 記憶の混在で俺の記憶はリセットされて、記憶的にはこの『世界』へ来てまだ一日と経っていないのだ。

『世界』へ来た初日に一つの企業のトップに就任なんて、冗談じゃない。背負い込めるか、そんなもん。


「でもでも……アサギさんのハーブティーはとても美味しくて……わたしの唯一のアイデンティティが……」


 何を言う、アイデンティティの塊が。

 ツヅリのような生き物はツヅリ以外には存在しないだろう。

 今もヘアテールが慌てつつも「落ち着かなきゃ」みたいな感じでそよいでいるし。

 ……こんなユニークな生き物、他にいないと俺は確信しているぞ。


「そんな悲観することはないだろう。お前のいれてくれたハーブティー、俺は好きだぞ」

「へ……? 本当、ですか?」

「あぁ。いれてくれるなら毎日でも飲みたいくらいだ」


 だから、仕事は仕事として所長席に座れと、そう言いたかったのだが。


 ツヅリが真っ赤な顔をしていた。

 瞳が少し潤んでいる。

 ヘアテールがぴーんっと伸びて固まっている。


 ……なんか、すごく驚いているように見えるんだが?


「ツヅリ……おい、大丈夫か?」


 目の前で手を振ると、ツヅリの大きな瞳がゆっくりとこちらを向き、さらにゆっくりと照準が合っていく。

 それに合わせてヘアテールが徐々に動き始め、ぱたぱたと、ぱたぱたぱたぱたと、忙しなく動き出す。


「毎日いれたら、毎日飲んでくれますか?」

「え……? あ、あぁ。そりゃあ、いれてくれるなら」

「アサギさんのお役に、立てますか?」

「そ、そう、だな。美味い、からな」

「嬉しいですか?」

「か、感謝は、する、ぞ?」


 ぐぐぐっと身を乗り出してきていたツヅリがバッと立ち上がり、胸の前で手を組んで大きく息を吸い込む。

 肺が膨らみ胸が持ち上がってただでさえ大きな胸がことさら強調される。

 ……思わず視線を逸らした。目の毒だ。


「アサギさん、お願いがあります。わたしと席を替わってください!」


 は?

 いやいや、お前を所長席に座らせるために俺は……


「わたし、アサギさんをずっと見ています! そして、アサギさんがハーブティーを飲みたくなった時に素早くハーブティーをおいれします!」

「いや、そこまでしてもらわなくても……」

「わたしがしたいんです!」

「でも、申し訳ないというか……」

「お願いします!」

「い、いいから、ちょっと落ち着……」

「所長命令です!」


 テーブルをぐるりと回り込んでぐいぐい距離を詰めてくるツヅリ。

 真っ赤な顔で両目に涙を溜めながら熱っぽい声で訴えかけてくる勢いに押されて、ソファの隅まで追い詰められる。

 何をそこまで必死に……あぁ、そうか。この勢いだ。この勢いが似ているんだ、あの塩屋に。

 たぶん、これがこいつらの原動力なのだろう。

 俺の理解が及ばないところにある『譲れない何か』。それに突き動かされた結果がこの勢いなのだ。


 なら、俺には逆らう術がない。


「……所長命令なら、しょうがないよな」

「はい。申し訳ないですが、所長の横暴なので諦めてください」


 横暴なんて言葉がまったく似合わない無邪気な笑顔で言われて、思わず笑ってしまった。

 そこまで座りたけりゃ座ればいいさ、好きな席に。


「それじゃあ、アサギさん。お座りください、アサギさんの席に」


 俺の手を引いて立ち上がらせ、背を押して所長席へと向かわせる。

 肘掛け付きの豪華な回転椅子を引き出して俺をそこに座らせると、体を引いてその様をじっと見つめて満足そうにツヅリは頷いた。


「よくお似合いですよ、アサギさん」

「喜ぶべきが、微妙な気分になるな」


 くすくすと笑うツヅリ。

 この程度でそこまで喜ぶなら、お安いご用だ、席替えくらい。


「席替えするなら、荷物を移動させて、ついでに必要な物を買い足しに――」

「あの……御免ください」


「行こうか」と提案する前に、女性の声が事務所内へと割り込んできた。

 ツヅリと揃ってパーテーションの方へと視線を向ける。

 来客のようだ。


「はぁい、ただいま」と、ツヅリがパーテーションを越えて待合室へと向かう。

 しかし、その後なんの音も聞こえない。会話も、物音も。

 そういえば、ドアが開く音って聞こえたか?


「おかしいですね。確かに声が聞こえたんですが……」


 小首を傾げながら待合室から出てきたツヅリがこちらを向いて、固まった。

 ツヅリの視線が俺――を越えて窓へと注がれている。

 その視線を追うように俺も窓へと振り返る。


「あの、離婚のご相談をしたいんですけど……」


 窓の外から、巨大な顔がこちらを覗き込んでいた。



 ……ここ、二階なんですけど?



 それが、正式な従業員となって最初の仕事の始まりだった。







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