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初仕事の定石 -2-

「お待たせしました~」


 ぱたぱたと急ぎ足で戻ってくるツヅリ。

 テーブルにトレイを置くと、カップを俺の前に置き、「見ていてくださいよ~」と言わんばかりの得意げな顔をこちらに向けてから、ティーポットを持ち上げる。

 傾けられたポットから琥珀色の液体が流れ出し、カップの中を滑って清々しい香りを立ち上らせる。


「さぁ、召し上がれ」


 俺の斜め前にしゃがんだままで、期待するような顔で俺を見つめている。

 カップを取り、軽く湯気を吹いて冷ましてから口を付ける。

 レモングラスのような爽やかな香りが鼻を抜けていく。口当たりもよく、後味も残らない。すっきりとしていて飲みやすいハーブティーだ。


「美味いな。特に、香りがいい」


 感想を述べるとツヅリの顔がぱぁっと明るくなり、ヘアテールが飛び立たんばかりにぱたぱたと揺れる。

 喜び過ぎだ。


 本当に、こいつは……


 無条件でこちらを信用しているのがありありと分かる。詐欺師ですら気が咎めてしまいそうなほどの素直さを無防備に晒している。

 これまでよく一人で生きてこられたものだと感心する。


 俺の「美味い」を聞いて満足したのか、ツヅリは跳ねながら向かいのソファへと戻り、自分の分のハーブティーをカップに注いで口を付けた。

 ヘアテールが幸せそうにうねうねしている。身悶えるな。……いや、毛悶えるな。


 褒めてもらえて嬉しい。けれどくすぐったくてたまらない。

 そんな表情に、俺は覚えがあった。


 あれはたしか、四度目のお見合いが失敗した後だったか……

 塩屋のことをもっと知ろうと、仕事について詳しく質問した時のことだ。

 あいつは小さな町工場で金属加工の仕事に従事していて、小指の先ほどもないような小さなベアリングを作っていた。

 いくつかサンプルを見せてもらったのだが、それはとても手作業で作っているとは思えないような精密さだった。よく分からないが、あぁいうパーツはもっと大手の企業が高性能な大型機械を使って大量生産しているのだと思っていた。

「これくらい小さいものは、ウチみたいな小さい工場の方が得意なんですよ」と語っていた塩屋はどこか得意気で嬉しそうだった。

 たいしたものだと純粋な感想を述べると、塩屋は所在なさげにもじもじとし始めて「褒めてもらったの初めてです」と幸せそうに破顔していた。


 その顔に、今のツヅリの笑顔はよく似ていた。

 だから、ふとこんなことを思ってしまった。


「お前、無敵の結婚がしたいなんて夢、持っているんじゃないだろうな?」


 あまりに似ていたから。

 ……まだ、俺の中に消化しきれていない使命感がしつこく残っていたってことなのか、これは。

「もう知らん」と、思ったはずなのに。

 相変わらずしつこいというか……諦めの悪い性格をしている。


「無敵の結婚、ですか?」

「いや、なんでもない。女性相手に聞く質問じゃなかったな。忘れてくれ」


「結婚しないのか」なんてのは完璧なセクハラだ。

 記憶の混在の影響か、まだ混乱しているようだな、俺は。

 素直に詫びておく。


 ツヅリが結婚しようが、俺には一切関係――


「無敵は、少しだけ怖いですね」


 ツヅリの声に思考を遮られた。

 緩く弧を描く唇から聞こえる声は変わらないが、ヘアテールは寂しげに項垂れていた。


 失言だったか。


「いや、すまん。忘れてくれ。知り合いにそういう男がいてな、それでふと思っただけなんだ……すまん」

「いえ、謝るほどのことでは」


 眉を曲げて苦笑するツヅリ。

 ヘアテールが水から上がった後の犬のようにぷるぷると細かく揺れた。


「その方は、されたんですか? 無敵の結婚を」

「いや。俺が直接見ただけで十連敗。本人の弁によれば百連敗だそうだ」

「まぁ、そんなにですか」


 驚いたように目を丸くして、口元に手を添える。

 それは驚くよな。

 お見合い百連敗は、そうそう成し得ることじゃない。


「きっとその方は、どうしても譲れないものか……どうしても見てみたい景色があったんでしょうね」

「景色……?」


 ツヅリの口調はどこか確信めいていて、妙な説得力があった。


「おそらく、ですけれど。わたしも、少しだけその気持ちが分かる気がします」


 それはおそらく、ツヅリが塩屋と同じで――


「誰かと見たい風景なのかもしれませんし、とっておきの笑顔なのかもしれません。それは分からないんですけれど……その一瞬ですべてが救われる、その感覚は分かります」


 ――譲れない何かを心に持っている。そう確信できた。


 そうか……そうだったんだ。

 塩屋は結婚がしたいんじゃなかったんだ。

 結婚をして、『何か』をしたかったんだ。

 そこに、俺は気が付いてやれなかった。

 おそらく、誰も気付けなかった。

 だから、あいつは誰とも結婚しなかった。出来なかったんだ。

 人生のすべてを懸けてでも手に入れたい、見てみたい『何か』があったから。



 そして、それはツヅリも一緒――なのかも、しれない。



「もう少し早く、お前に出会いたかったよ」

「へぅっ!?」


 ツヅリのヘアテールが「びんっ!」と逆立ち、ふにゃふにゃと力なくしおれていく。


「あ、いや、変な意味じゃなくて! その……なんとかしてやれたかもしれないなって」

「無敵の結婚さんに、ですか?」

「まぁ……」


 言葉を濁してハーブティーを口に流し込む。

 何をべらべらしゃべっているんだ、相談者の個人情報を。バレたら業界から即追放だ。


 もしまたどこかで出会えたら、きちんと謝らないとな。

 個人情報の漏洩についてと、変な事故に巻き込んでしまったこと。

 そして、きちんとあいつのことを理解できずに結婚させてやれなかったこと。


「アサギさんって、やっぱり優しいです」


 なぜか得意気に、にへらっと笑うツヅリ。


「わたし、アサギさんとならうまくやっていけます。絶対」


 どこから湧いてくる自信なのかは知らんが、勝手に確信されても困る。

 俺の方がお前とうまくやっていけるのか分からないのに。


 まぁ、なるべくはうまくやってやるさ。

 別に、塩屋に対する罪滅ぼしってわけじゃないけれど……俺が唯一躓いた相手と似たタイプのツヅリとうまくやれれば苦手を克服したことになるかもしれないしな。


 とりあえず、こいつが見たいと思う景色ってのを見せてやろうじゃないか。



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