「……ふふ。驚いていますね?」
剪定鋏と共に、エスカラーチェが離れていく。
「嘘は吐けませんが、黙秘は可能なんですよ」
「心に思ったことがそのまま言葉になってしまうのに、か?」
「えぇ。心に何も思い浮かべなければいいだけですから」
そんなことが出来るのだろうか?
誰にも知られたくないことを質問されて、何も反応しないなんてことが。
ふと浮かんでしまう情景や言葉は、意識してコントロール出来るものではないと思うのだが……
「それから、冗談も言えます」
「たとえば?」
「実は、こう見えてDカップなんです」
「嘘吐け」
「着やせするタイプなもので」
「嘘を吐け」
「脱いだ瞬間『んんっばいぃ~ん!』っと」
「嘘しか吐かない気か!?」
めっちゃ嘘吐けるじゃねぇか!?
どう見てもA、よくてBくらいだろうが。
「嘘にもいくつか種類があるでしょう? どうでもいい嘘は、私の言う嘘には含まれません。たとえば、そうですね……あなたは、心の中で『僕はネコだぴょ~ん』と叫べますか?」
僕はネコだぴょ~ん!
「……可能だな」
「でしょうね。そのように、心になんの呵責もなく吐ける嘘なら、私にも吐けます。あくまでも冗談として。ですが、おのれの心を欺くような嘘は吐けません」
どうでもいいような嘘なら、俺でもためらいなく吐ける。心の中ででも。
しかし、ガキの頃に俺のそばにいた『あのオバサン』に母親を表す言葉をかけるなんて虫唾が走るような嘘は絶対吐けない。心が拒絶してしまう。
口ではなんとでも言えるけれど、心では無理だ。それをすると、自分が自分でなくなってしまう、そんな気すらする。
「心が波立つ、という理由もありますが、この呪いの力で他人を陥れるような嘘と、保身のための嘘は吐けなくなっているんです」
「じゃあ、貶めることに良心の呵責を感じないような、大嫌いなヤツが相手でも、陥れるような嘘は吐けないのか」
「はい。理解が早くて助かります」
ふわりと、仮面が笑ったような気がした。
見る角度なのか、エスカラーチェの仕草ゆえなのか。
とにかく、その表情を見て、なんとなくだけれど、俺はこいつを信用してもいいような気がしたんだ。
「まぁ、それすらも嘘だと思うのは、あなたの自由ですけれどね」
「いや、信じるさ。そこまでお前を警戒する理由もないしな」
人を見る目があると言っていたツヅリが信用していたし、ルチアーノさんの件ではとても役に立ってくれた。
仕事だったとはいえ、こちらに有益な働きをしてくれたのだ、業務上の信頼はしていいと思う。
個人的には、あまり好きなタイプじゃないけどな。……常に一言多いし。
「意外ですね。あなたには、もっと警戒されているかと思いましたが」
「どんなやり取りしてたんだよ、記憶の混在前に。随分と嫌われているようだけど」
「嫌ってはいませんよ」
静かに首を振るエスカラーチェ。
そうか、嫌われてはいないのか。
「ただ、見下げ果てているだけです」
「何があったんだよ、記憶の混在前に? 洗いざらい教えろよ、なぁ?」
確信できるが、お前の態度が発端で関係が拗れていったんだろ? そうなんだろ?
「つい先日まで、あなたのことを、大家さんの大きなおっぱいにつられて入り込んできた悪い虫だと思っていました」
「それで警戒していたのか」
「えぇ。あのおっぱいは、私のですから」
「お前のでもねぇだろ」
お前こそが悪い虫なんじゃないだろうな?
「ですが、先日の働きを見て、大家さんがあなたをそばに置く理由が、ほんの少しだけですが理解できたような気がしました」
「それは奇遇だな。同じタイミングで、俺もお前に似たような感情を抱いたぜ」
「私個人としては、一切好感も持てませんし仲良くしたいなどとは思いませんが。仕事のパートナーとしてなら、うまく付き合っていけそうですね」
「奇遇だな。まったくの同意見だ」
無表情な仮面と睨み合う。
微動だにしない無機質な面だというのに、そいつは面白そうに笑って見えた。
「じゃあ、親交が深まったところで……さっきの『萌え萌えきゅ~ん☆』は、嘘だよな?」
「…………」
仮面の口を押さえて黙るエスカラーチェ。
なに、そのあからさまな怪しい態度?
「……ふぅ。他人を貶める嘘は吐けませんが、口を押さえることで強制的に黙秘することは可能なのです。ご愁傷様」
「いや、それした時点で自白と同義だろ」
こいつの「嘘が吐けない」って、結構穴だらけの縛りだな。
本当に信用してていいのか、ツヅリ?
「それで、今日はわざわざ私と話をしに屋上まで?」
「あぁ。得体の知れないヤツが屋根の上に棲みついているとなると、落ち着かなくてな」
実際、話をしてみたいとは思っていた。
そしてもう一つ。
「いい情報をありがとうな。おかげで、いい結果にたどり着けた」
きちんと感謝しておきたかった。
今後のためにも、な。
「相応の報酬はいただいています。別途お礼をいただく必要はありません」
「取引先にいい仕事をしてもらうには、十分な報酬と、適度なやり甲斐を与えるのが効果的なんだよ」
金のために働いている者であっても、自身の成果を認めてもらえるのは嬉しいものだ。
言葉は無料だからな。惜しまず贈るに限る。
まごついてタイミングを逃すと拗れてしまうのが人間関係というものだ。
そういうカップルを嫌というほど見てきた結果、俺がたどり着いた考えが、これだ。
「感謝と謝罪はその都度、即座に、適切に。それが、仕事を含む人間関係を円滑に回す秘訣なんだよ」
格好をつけないヤツが一番カッコいい。
何組ものカップルを見てきて、俺はそう思うようになっていた。
「それでは、素直に受け取っておきましょう、あなたの感謝を」
「そうしてくれ。あと、これからも世話をかけるだろうが、よろしく頼む」
「こちらこそ」
どちらからともなく手を差し出し、俺たちは握手を交わした。
エスカラーチェの指は、細くしなやかで、とても柔らかかった。そして、ツヅリとは対照的に、ひんやりと冷たかった。
「それでは、私からも一つ情報を差し上げましょう」
握手を交わした手をぐいっと引っ張られ、肘が持ち上がる、
そして、エスカラーチェが指さす先を見ると、俺の服に黄色い花粉がついていた。
……いつの間に?
「入り口にあるあの花は、近くを通るとこのように花粉を噴出します」
「そうなのか」
あとで拭き取らないとな。
「そして、この花粉を付けたまま私の家へ近付くと、玄関先に植えてある猛毒の食虫植物に襲われる仕組みになっています」
「なんだ、その仕組みは!?」
「痴漢防止策です。外から入り放題ですから、この屋上は」
確かに、外階段に通じるドアは施錠されていなかった。
いや、でもだからって……
「食虫植物はこの花粉の匂いに反応するので、花粉を落とすか、この魔草除けのお守りを身に着けていると安心です」
「……あぁ、それでツヅリといた時は襲われなかったんだな?」
こいつのことだ、ツヅリにはそのお守りを渡しているのだろう。
何も知らずにこいつの家に行っていたら、襲われていたところだ。
なんて恐ろしい。
いやしかし、女性の一人暮らしならこれくらい用心していて普通か。
「あなたにこのお守りを差し上げると、連日夜這いに来そうですので、花粉には気を付けてください」
誰が行くか、夜這いなんぞ。
「情報ありがとよ」
「どういたしまして。忠告すること自体が防犯になることもありますので」
他にどんな恐ろしい罠があるか分かったもんじゃない。
そんな危機意識が防犯に繋がるのだろう。効果覿面だな。
安心しろ、お前を襲うなんてユニークな発想、世界がひっくり返っても湧いてこないから。