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情報屋は嘘を吐かない -3-

「そうだ。お近付きの印に、収穫物をお裾分けしましょう」

「くれるのか?」

「はい。大家さんに届けてください」

「……荷物運びかよ」


 誰とお近付きになったんだよ。

 俺だろうが。

 まぁ、素直にくれたりすると、逆に警戒するけど。


 エスカラーチェは、木箱を持ち出して、その中に果実や野菜を詰め始めた。

 ブルーベリー、アボカド、玉ねぎ……本当にいろんなものが実ってるな。

 季節感はまるでないけれど。


「手伝うか?」

「結構です。罠が多いので、怪我だけでは済みませんよ」


 恐ろしい家庭菜園だこと。

 手出しはしない方がいいな。


「じゃあ、イモがあれば入れてやってくれるか? ツヅリが好きみたいだから」

「もちろんです。大家さんのイモ好きは、すごいですよ?」


 ツヅリのイモ好きは有名らしい。

 そんなことをのんびりと考えながら、エスカラーチェの収穫作業を眺めていると……


「……んんっ!?」


 急いで目を逸らした。

 こいつ……体のラインがはっきりと出る衣装を身に纏ってるって自覚がないのか?

 それとも、俺が男として認識されていないのか……

 畑からイモを抜こうと腰を曲げた時、はっきりくっきりと浮かび上がっていた。薄い衣装の布越しに、下着のラインが。


 ……無防備女が、ここにも一人。


「……この屋上に人が来ることは、そんなにないのか?」

「そうですね。大家さんくらいでした、先日までは」

「だからって、あんまり無防備にはなるなよ」

「もう十分過ぎるほど自衛はしているつもりですが、まだ足りませんか?」


 罠は十分なんだろうけどな……

 こうして俺がいる時や、先日のようにここ以外の場所で無数の男を相手にする時にはもっと注意を払えよ。

 お前のこと、怪しい目で見ていた男もたくさんいたからな。


「自分の容姿を、もっと客観的に見る習慣をつけるんだな」

「こんな仮面女に群がる男がいるとでも?」


 いたろうが。チャラいかんざし職人の男どもが。

 わーわー騒いでただろうが。


「それに、咄嗟の時に嘘が吐けないようじゃ、個人情報が漏洩しかねないだろ」

「個人情報ですか? 知られて困るような情報は特に気を遣って保護しますし、ぽろっと漏れてしまう程度の情報は、それほどの価値もないものではないですか?」


 収穫したイモの土を払って木箱に詰めながら、半ば俺をせせら笑うように鼻を鳴らすエスカラーチェ。

 さしずめ「心配し過ぎです」とでも思っているのだろう。


 まぁ、別に、俺が心配してやることではないんだろうが……


「セクハラ被害に遭っても知らないぞ」

「『セクハラ被害』とは、たとえばどのようなことですか?」

「彼氏はいるのか? とか」

「いませんね」

「今まで付き合ったことは?」

「ありません」

「一度も?」

「えぇ、一度も」

「好きな男は?」

「今のとこはいませんね」

「好きなタイプは」

「どうでしょう。考えたこともありません」


 あっさりと答えやがる。

 なんの痛痒も感じていないようだ。


「それがセクハラ被害というものですか? たいしたことではありませんね」


 本人が気にしていなきゃいいのか?

 そういう問題でもないような気がするんだが……もうちょっと露骨な方が分かりやすいか?


「じゃあ、今日穿いているパンツの色は?」

「ピンクです」


 それも答えるのかよ……

 もう、こいつには恥ずかしいことなんか何もないのかもしれないな。


 ……と、思ったのだが。


「…………」


 エスカラーチェが仮面の口を押さえてぷるぷる震えていた。

 心なしか、真っ白なはずの仮面が、少しだけ赤く染まっているように見えた。


「…………な、な……、なんということを言わせるのですか?」

「いや、だから、セクハラ被害に遭う危険があるから気を付けろという忠告を……」

「危険なのはあなたではありませんかっ!」

「ちょっ、待っ!?」


 野菜がぎっしり詰まった木箱を投げつけてきやがった。

 なんとかキャッチしたが、体勢がよくなかった。

 俺の体は木箱に押しやられ、そのまま鉄の階段を転がり落ちていった。


 ドンガンガラガラと、派手な音が鳴り響く。

 そして、屋上からこちらを見下ろすエスカラーチェの口からも、大きな音が響く。


「恥を知りなさい、このパンツスキー!」


 そんな、ロシアの人みたいな名前で呼ばれても……


 肩を怒らせてエスカラーチェは庭園へと消える。

 あちこちぶつけたせいで体中が痛い。

 はぁ……どうにも、調子が狂う。『世界』に来てから、なんだか俺は俺らしさを失ったような気がする。


「アサギさん、大丈夫ですか? なんだかものすごい音が聞こえましたけれど?」


 外階段を駆け上がってくるツヅリ。

 踊り場に倒れている俺を見て、心配そうにヘアテールを揺らす。


「大丈夫だ、心配いらない」

「そうですか。それから、大きな音と一緒に聞こえてきたんですが……」


 ツヅリが無垢な瞳で俺を見て、首をこてんと傾ける。


「パンツスキーって、なんでしょう?」


 お前、なんて無防備な顔で、なんてこと聞くんだよ……まったく。


 あぁ、うん。

 そうか。

 きっとそうなんだろうな。


 これまでの俺は、一人で生活し、一人で働き、一人で生きていた。少なからず、自分ではそうであるつもりでいた。

 けれど、今は違う。

 ここにはツヅリがいて、この掴みどころのない不思議少女に翻弄されているせいで、俺は俺らしさを失っているんだ。


 ただ、困ったことに。

 俺はそんな自分の変化が、あまり嫌じゃないらしい。


「なんでもない。気にするな」

「そうですか」


 痛む体に鞭打って立ち上がり、散らばった野菜を木箱へ入れる。


「わたしはてっきり、アサギさんが『パンツが好きだー!』と叫びながら階段を転げ落ちたのかと……」

「お前は俺をどんな人間だと思っているんだ!?」


 しかし、言葉の解釈としてはほぼ合っている。

 その言葉は事実とは大きく乖離しているがな。


「あ、わたし持ちます。アサギさん、怪我されていますし」

「重いから俺が持つ」

「大丈夫ですか?」

「平気だ。こんな怪我、たいしたことはない。ほっときゃ治る」

「放置はダメですよ。手当てはちゃんとしましょうね」

「……あぁ」


 木箱を抱えて階段を降りると、俺の後ろからついてくるツヅリがぽつりと呟いた。


「こうして重い荷物を持ってくれたり、助けてくれたりする人がいると思うと、とても心強いですね」


「甘えてしまって、ごめんなさい」と笑うツヅリの声に、「別にいい」とぶっきらぼうに答えた。

 ぶっきらぼうに答えることしか出来なかった。


 言えるかよ。

 誰かに頼られるのが嬉しいだなんて。

 こんなにも分かりやすく求められるのが、安心できるなんて。

 言えるわけがない。


 誰かと一緒に暮らすなんて真っ平だと思っていたが……


 この人畜無害な純真娘のツヅリとなら悪くない。

 そう思うと、野菜たっぷりの木箱もなんだか軽く感じられた。







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