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止めどなく湧き出す興味 -1-

 擦り傷、打ち身、軽度ながら多数。

 アサギさんが階段から転げ落ちて負傷されました。

 ご本人は大丈夫だとおっしゃいますが、心配です。


「階段をふわふわの素材にしましょうか?」

「余計危ないから!? 今のままでいい。もう二度と同じ過ちは犯さない」


 アサギさんの瞳に、強い意志を感じました。

 二度と階段から落ちるものかと燃えるアサギさんは、鬼気迫る迫力を纏っていました。


「エスカラーチェさんとお話しされてみて、いかがでしたか?」

「悪いヤツではなさそうだな」

「はい。わたしも、とってもいい人だと思います」

「『とてもいい人』だとは言ってない」


 けれど、悪い人ではないと判断されたのですよね?

 なら、よかったです。

 わたしが仲良くしていただいている方同士が仲良しだと、わたしも嬉しいです。


「そういえば、カナさんにもお礼を言いに行きたいですね。その後の顛末の報告も兼ねて」

「そうだな。お裾分けでも持っていけば、喜んでくれるかもしれない」

「それはいい考えですね。是非そうしましょう」


 エスカラーチェさんからいただくお野菜はいつも美味しいので、きっとカナさんも喜んでくださると思います。


「あ、でも。お裾分けするなら、一言エスカラーチェさんに断ってからの方がいいでしょうか?」


 万が一、他の方に食べられるのはイヤだと思われる可能性がないでもありませんから。


「いや、大丈夫だろう。お返しにベーグルでも買ってきてやればいいんじゃないか」

「そうですね。トカゲのしっぽ亭のベーグルは美味しかったですから」


 もちもちの生地と、香ばしい香り。

 ハーブティーによく合うあのベーグルは本当に美味しいと思います。


「あれでベーグルサンドを作れば美味いと思わないか?」

「べーぐるさんど、ですか?」

「ベーグルの間に野菜や肉やチーズを挟んで食べるんだ。あの店にはなかったが、他所の店では普通にやってると思うぞ」


「こんなもん、誰でも思いつくだろうしな」と、アサギさんは言いますが、わたしはその『べーぐるさんど』なるものを存じ上げません。

 なんでしょう、ものすごく美味しそうです。

 是非食べてみたいです。


「エスカラーチェが『大家さんに』ってくれたものなんだが、いくつかもらっていいか?」

「もちろんです。わたしも食べてみたいです、べーぐるさんど」


 想像するだけで楽しい気分になります。

 ……と、アサギさんがじっとこちらを見つめていました。

 な、なんでしょうか?


「……食いしん坊」


 はうっ!?

 なんだか心を見透かされていたようです。

 そりゃあ、確かに、ちょっと食いしん坊かもなぁと、自分でも思うことはありますけれど……だって、それは、アサギさんが美味しそうなもののお話をされたからで…………

 半分はアサギさんのせいです。


「きょ、共犯だと思います」

「いや、なんでだよ。濡れ衣も甚だしいぞ」


 嫌そうな顔をして、アサギさんはテキパキとお裾分けで持っていく野菜や果実を仕分けていきます。

 ブルーベリー、アボカド、レタス、キャベツ、タマネギ。

 一体、どんな仕上がりになるのでしょうか。楽しみです。


 ……あっ。


 声が漏れそうになって、慌てて口を押さえました。

 アサギさんが、おイモを取り出したのです。

 お裾分け、するのでしょう。

 ……おイモ、美味しいですからね。

 …………とっても、美味しいですからね。


「……そんな、あからさまに悲しそうな顔をするなよ」


 なんと!?

 感情が顔に出てしまっていたようです。

 美味しいものをカナさんにも食べていただきたい。その気持ちに嘘はありませんが、……おイモが減る寂しさが勝ってしまったようです。

 なんと意地汚い……なんとお恥ずかしい……


「俺の分やるから」

「いえ、おイモは美味しいですので、アサギさんもちゃんと食べてください。不公平はダメです」


 わたしはどうにも、誰かから施しをいただくのが苦手なので、食べたい気持ちよりも「いただくわけにはいきません」という感情が先に来てしまいます。

 幼い頃より、無償の施しの恐ろしさを身近に感じておりましたもので。


「じゃあ、イモを使った美味い料理を作ってやるから、それで機嫌直してくれるか?」

「おイモのお料理ですか!?」


 なんと素敵な提案なんでしょう!

 焼いても蒸かしても揚げても美味しいおイモです。アサギさんのおっしゃるお料理は、きっととても美味しいことでしょう。

 現金なわたしは、先ほどの寂しさなどすっかり忘れて、期待に胸を膨らませるのでした。


「ツヅリ。何かカゴみたいな物はないか?」

「ありますよ。お持ちしますね」


 自身の意地汚さに羞恥を覚えていたわたしは、これ幸いと逃げるように事務所を出ました。

 ……どうしても、おイモのこととなると自制が利かなくなってしまいます。

 気を付けなければいけませんね。


 自室に戻り、頃合いの大きさのカゴを持って事務所へと戻りました。

 竹製で、手提げに出来る可愛らしいカゴです。


 その竹カゴにお裾分けの食材を入れて、わたしたちは事務所を出ました。


 涼しくてとても気持ちのいい風が吹き抜けていきました。

 今から向かえば、トカゲのしっぽ亭に着く頃にはちょうどお昼ご飯の時間でしょうか?

 少し、おなかがすきました。


「トカゲのしっぽ亭で昼飯を食わせてもらおうか」

「そうですね。今度はちゃんと座って、ゆっくりいただきたいです」


 前回は、意識調査の準備のさなか、立ってベーグルをいただきました。

 けれど、やはりお食事は座って食べたいです。


「お客さんでいっぱいだったら、どうしましょうか?」


 時間も時間ですし、そういう可能性もあります。


 ――なんて思っていたのですが、たどり着いたトカゲのしっぽ亭は、閑散としていました。

 閑古鳥さんすら、鳴きにいらしていないご様子です。


 店内はがらんとしており、カウンター前の席で、カナさんが寝息を立てていました。

 朝からずっと暇だったのでしょうか?

 ベーグルの焼ける匂いが、今日はしていませんでした。


「すぴぃ~……なのぉ……すぴ~、なの~……」

「ふふ。寝言ですね」

「寝言、か?」


 カウンターに突っ伏して眠るカナさんは、なんとも無防備な寝顔を晒していて、とても可愛らしく思えました。


「連れて帰っちゃいましょうか?」

「誘拐犯になりたいならな」


 野菜の入ったカゴをカウンターに置き、アサギさんが椅子の背を持ちました。

 もちろん、カナさんが座っている椅子の背を、です。

 そしておもむろに、突然、なんの前触れもなく、全力で椅子を揺らし始めました。


「火事だ!」

「ぅにゃぁあ!? 火事なの!? え、地震じゃなくて!? どうなってるのカナ!?」


 突然の揺れに、カナさんが飛び起きました。

 その慌て振りを見て、アサギさんが楽しそうにくすくす笑っています。

 ……もう、ダメですよ。こんなに可愛い女の子をいじめちゃ。


「カナさん、大丈夫ですか?」

「へ? あっ、相談所のツヅリさん! 何が起こったのカナ?」

「実は、アサギさんが……」

「接客がなっていない店員に、ちょっとしたサプライズをしてやったまでだ」


 カナさんが振り返ると、したり顔のアサギさんがそんなことを言って、カナさんはすべてを悟ったようでした。


「もーぅ! イジワルなのはダメなの! そーゆーの、よくないなの!」


 両腕をぶんぶん振って抗議するカナさんは、申し訳ないのですが、大変可愛らしく、もっと見ていたいと思ってしまいました。

 からかいたくなったアサギさんのお気持ちが、ほんの少しだけ分かりました。

 でも、イジワルはいけませんよ、アサギさん。


「悪かった。仲直りの印に、新しいメニューの提案をさせてくれ」

「ホントなの!? 一緒に考えてくれるのカナ!? だったらとっても嬉しいなの!」


 ぱっと表情を輝かせて、一瞬で不機嫌顔から笑顔に変わるカナさん。

 やっぱり、カナさんは笑っていた方が可愛いと思います。


 ただ、アサギさん。

 新しいメニューの提案というよりかは、アサギさんが食べたいものを作らせようとしているだけなのでは?

 けれど、カナさんも嬉しそうなので、何も言わないことにします。

 美味しいメニューが増えるなら、それが一番ですものね。



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