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止めどなく湧き出す興味 -2-

「じゃあ、ちょっと厨房を借りるぞ。あと、ベーグルも作らせてくれ」

「分かったなの! 一緒に行くなの」


 カナさんに続いて、厨房へと入ります。


 厨房は清潔な匂いがしました。

 どこもかしこもぴかぴかに磨き上げられていて、塵ひとつ、曇りひとつありませんでした。


「プロの職場だな」

「えへんなの! プロとして当然なの!」

「でもカナさん、フロアは見ていなくていいんですか?」

「平気なの! どうせお客さんなんか来ないなの!」

「それはプロとしてどうなんだ、オイ?」


 聞けば、ここ最近客足はとんと遠のき、本当に暇なのだとか。


「パンより硬いとか、言われちゃうなの……美味しいのになぁ」


 カナさんは、前オーナーであるお父様から受け継いだベーグルに誇りをお持ちのようで、パン作りに転向する気はないようです。

「ただの負けず嫌いなの」と、笑っていますが、その声音はどこか寂しそうでした。


「硬いってのは、生地の密度のせいだろうな」


 持参した食材を厨房に並べながら、アサギさんが説明してくださいました。

 なんでも、ベーグルはパンとは異なり二次発酵というものを行わないのだとか。なので、同じくらいの大きさのパンと比較すると生地がみっちりと詰まり、重く、歯ごたえがしっかりしているのだそうです。

 そうだったんですね。


「けど、それは長所にもなり得る部分だ」


 もっちりと密度の高いベーグルは、それ一つでおなかがしっかりと満たされることから、持ち運びには向いているのだとか。

 おまけに、タマゴや乳製品、油脂を使用していないのでヘルシーだとアサギさんは言いました。

「まぁ、カロリー自体はそんな低くないんだけどな」と、ぼそっと付け足していましたが、どういう意味なのでしょうか?


「ベーグルの可能性は無限大だからな。わざわざパンをライバル視する必要はない。俺は、ベーグル好きだしな」


 言いながら、アサギさんはベーグルを横半分に切り、そこに野菜やチーズを挟んでいきました。


「さっきも言った通り、ベーグルにはタマゴも乳製品も油脂も含まれていない。そこに物足りなさを感じる者もいるだろうが、逆に言えば何を挟んでも生地が具材の邪魔をしないとも言える。食ってみてくれ」


 カナさんはアサギさんに言われるがまま、いろいろと挟んだベーグルにかぶりつきました。

 途端に、大きな瞳がより一層大きく見開かれました。


「美味しいなの!? これはどうしたことなのカナ!?」


 ご自身が齧ったベーグルの断面を覗き込んで、カナさんは中の具材を解析しようとされているようです。


「いつかここのベーグルで試してみようと思って、いくつか用意しておいた具材があるんだよ」


 そう言って、次々にベーグルに具材を挟んでいくアサギさん。

 一つ作っては、それを三つに切り分けて並べていきます。


「今カナが食ってるのが、スモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンドだ。タマネギのマリネがいいアクセントになってるだろ?」


 なんと、これが『べーぐるさんど』でしたか。

 確かに、ベーグルにサンドされています。


「で、こっちが、小エビとアボカドのサンド。これが、ハムとレタスとタマゴサラダだ。ツヅリも食ってみるか」

「はい。いただきます」


 小エビとアボカドのベーグルサンドをいただきます。

 もちっとした生地の食感の向こうに、これまで出会ったことのない美味しさが待っていました。

 湧き出し、あふれてくるような、美味しさの奔流。

 さながら、味のオーケストラです。


「タマゴ! タマゴ美味しいなの!」

「どれですか?」

「これなの! 食べてみてなの!」


 カナさんに勧められて、ハムとレタスとタマゴサラダのサンドをいただきます。

 こちらはなんともまろやかで味わいが優しく、お子様にも人気が出そうな楽しい美味しさでした。


「ハムはトマトにもキュウリにもチーズにも合う。いろいろ試してみるといい」

「そ、それじゃあ、組み合わせは自由なの? メニューは無限大カナ!?」


 確かに、それだけ組み合わせが多ければ、いくらでもメニューが増やせると思います。

 食パンを使ったサンドイッチも、たくさんの種類がありますが……


「アボカドやベーコンみたいな油脂がたっぷりな力強い具材は、ベーグルみたいなどっしりした生地の方が合うんだよ。しっかりと受け止めてくれるっていうかさ」


 そうです。

 まさにそれです、わたしが思っていたことは。

 個性の強い具材を、このベーグルの生地が余すことなく包み込んで美味しさを最大限まで引き出しているのです。


 これは、いくらでも食べられそうです。


「……あれ?」


 いくらでも食べられると思ったのですが、なんだかもうおなかがいっぱいです。


「ベーグルは生地の密度が高いからな。丸々一個分くらい食えば腹も膨れるだろう? 弁当にするなら嵩張らなくていいよな」


 なるほど。

 そこもベーグルの長所なのですね。

 ですが、いろんな種類を食べ比べたいと思ってもおなかがいっぱいになってしまうのは、少し残念な気がします。

 これからカナさんは研究をするとおっしゃっていますが、わたしはもう一口も食べられる気がしません。残念、無念です。


「あと、いくつかベーグルを作らせてくれないか?」

「これから焼くのカナ?」

「あぁ。発酵もあるから、二時間くらい厨房を使わせてくれるとありがたいんだが」

「それは問題ないなの……けど、製法は企業秘密だから教えられないなの」


 アサギさんはベーグルを作ってみたかったようですが、さすがに作り方は秘密だそうです。

 残念ですね。……と、思ったのですが。


「作り方は知っているから大丈夫だ」


 ご存知だったようです。

 アサギさん、博識です。

「この店の作り方とは違うかもしれないけどな」とそんなことを言って、材料を準備し始めました。

 カナさんのご厚意で、お店の小麦粉を使わせていただけることになりました。

 アサギさんがどんなベーグルを作られるのか、楽しみです。


「三種類作るな」


 そう宣言して、アサギさんが粉を混ぜ始めました。

 手際がいいです。良過ぎます。

 アサギさん、もしかして以前の世界でベーグル屋さんだったのでしょうか?


「ブルーベリーベーグルを二種類作る」

「ブルーベリーをベーグルの生地に混ぜるのカナ? そんなことして、ちゃんとベーグルになるなの?」

「同じ材料を使って二種類、ですか?」

「まぁ、見てろって」


 得意げに言って、アサギさんは楽しげに工程を進めます。

 お料理がお好きなようです。

 小さく、鼻歌が聞こえました。……ふふ、楽しそうです。


「一つは、実を潰さないようにざっくりと混ぜる」


 生地の中にブルーベリーが混ざり、紫の斑点模様になりました。


「で、もう一つは実を潰して、ブルーベリーの水分で粉を捏ねる」


 水分が少なめだった生地は、ブルーベリーから出た果汁でしっとりとまとまり、そして全体的に紫色の生地になりました。

 確かに、これは明らかに別物です。見た目も全然違います。

 ブルーベリーで二種類。その言葉に偽りはありませんでした。


「で、もう一つは……」


 言いながら、アサギさんが取り出したのは、おイモでした。


 おイモです!?


「さいの目に切ったサツマイモを水にさらして、……レンジがあると楽なんだが、ないから軽く蒸かすか」


 美味しそうです。

 もう美味しそうです。


 これが、アサギさんがお約束してくださった、おイモの美味しい料理なのでしょう。

 期待に胸が膨らみ続けます。


 おイモのペーストと、小さく角切りにされたおイモがベーグルの生地に練り込まれていきます。

 わたしは、まるで魔法でも見ているかのように胸が高鳴り、一瞬たりとも目を離せませんでした。


 生地を寝かせている時も、棒状に伸ばした生地を輪っかにする時も、発酵中も、膨らんだ生地をお湯でさっと茹でる時も、じっと観察し続けました。


「そんな監視してなくても、逃げやしないぞ」

「いえ、そういうつもりはないのですが……期待に胸が膨らんで」


 心を鷲掴みにされるというのは、きっとこういうことなのでしょう。



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