エスカラーチェと別れてから二時間少々。
街中のカフェがスウィーツやコーヒーを楽しむ客で賑わうティータイム。
ここ、トカゲのしっぽ亭は――閑古鳥が鳴いていた。
「今日は臨時休業か?」
「絶賛営業中なの! ランチタイムはそれなりにお客さん入ってたなの! もーぅ!」
「アサギさん、イジメては可哀想ですよ」
くすくすと笑いながら、ツヅリがチビッ娘店長カナの頭を撫でる。
カナはツヅリの腰に抱きついて、恨めしそうな目で俺を睨む。
ほほぅ、アッカンべーとは、また古風な威嚇をしてくるものだ。宣戦布告か、それは? 受けて立つぞ?
「そうだ! ベーグルサンド、大人気なの! あのね、あのね! 口コミで徐々に広がってるみたいでね、お友達に勧められて来たってお客さんが何人もいたなの! 朝とランチタイムは先月と比較できないくらいにお客さん来てくれたなの! だからありがとうなの、アサギ・サトウさん!」
さっきまでぷりぷり怒っていたチビッ娘が、大きな瞳をキラキラさせて礼を言ってくる。
ころころと感情の変わるチビッ娘だ。
裏表のなさはカナの長所かもしれないな。……単純でからかい甲斐がある。
「やっぱりアイデア料払った方がいい、カナ?」
こんな閑散とした店内で言われても、気が引けるだけだっつーの。
「その笑顔を見られただけで、こっちは満足だよ」
「いい人だね、アサギ・サトウさんは!」
「なぁ、そのアサギ・サトウさんっていうのはやめてくれるか? フルネームってのは、なんかまどろっこしい」
「そうカナ? でもエスカラーチェさんは『サトウ某さん』って呼んでるよね?」
「あいつは絶対わざとだからいいんだよ……」
改善するとも思えないし。
「そっか、それじゃあ、普通にお名前で呼ぶね」
「おう、そうしてくれ」
その方が気易くていい。
「改めて、よろしくなの! アサギン!」
「普通に名前で呼ぶんじゃないのかよ!?」
「え~、可愛くないカナ? アサギン」
「可愛いと思いますよ」
「ね~」
女子二人で盛り上がっているところ悪いけど、本人がちっとも納得できないんだが。
……まぁ、好きにすればいいさ。
「お待たせしました」
俺の呼称が決まったちょうどそのタイミングで、エスカラーチェの声が店内に響いた。
「ご要望の人物をお連れしましたよ、アサギン」
「お前、いつから話聞いてた!?」
今ここで決定した俺のあだ名を口にするエスカラーチェに苦言を呈するため振り返ってみると――
「お姉さん、マジ綺麗! マジ、イカす! 一回でいいからどっかでお茶しよう、ね、ね! 絶対変なことしないから、マジで! 俺、約束守るタイプだし、マジで! って、ここ喫茶店ぽくね!? え、マジで!? お姉さん、マジか!? 逆ナン!? これって、そーゆー……うはぁ! マジか! 俺、生まれて始めて逆ナンされたぁ! よっしゃあ! もう今しかない! 俺の恋愛運、この瞬間が最高潮! 分かった! もう結婚しよう! 絶対幸せにするから! ねぇ、お姉さん!」
――なんか変な狼に絡まれていた。
「……連れてくるのに、苦労したろう」
「いいえ。連れてくるのは容易でした。ただ、道中と今現在、ものすごく苦労を強いられているだけです」
エスカラーチェに連れてきてもらった狼男――ワーウルフは、エスカラーチェの周りをくるくる回り、顔を覗き込んで、キュッとしまったウェストを眺め、胸元をさっと見過ごし、うなじ付近を覗き込んで、嬉しそうに尻尾をぱたぱた揺らしていた。
あぁ、こりゃ憲兵を差し向けられるわ。
どっからどう見ても変質者だもん。
「あの、アサギさん……こちらの方は?」
「噂のワーウルフだ」
こいつが、シーマさんと疑惑の一晩を過ごした――と、エリックに思い込まれている張本人。
「シーマさんが何も言わないなら、相手側に否定させてやろうと思ったんだが……」
そこまで言うと、なぜか急に口が重くなった。
しゃべるのが億劫になり、エスカラーチェに纏わりついているワーウルフを見やる。
「マジで、マジマジ! 絶対幸せにすっから!」
……こんなヤツ、エリックに会わせたら余計に話が拗れそうだ。
「申し訳ありませんが、私はあなたと結婚するつもりはございません。他を当たってください」
「うっそ!? まだお茶もしてないのに!? マジかぁ! 俺的にお姉さん78点の高得点だったのにぃ!」
こいつ、最低で、最悪に失礼だな。
『絶対幸せにすっから!』と言った口で78点とか……
お前がモテないのは、種族のせいだけじゃないだろ、絶対。
「いや、ホントはさ、もうちょっと小柄な女の子が好きなんだよねぇ、俺…………んん!? えっ!? えっ、えっ、えっ!? なになに! うわっ、マジか!?」
ワーウルフが、事の成り行きを呆然と見ていたカナに視線を向ける。
尻尾がものすごく揺れている。
「めっちゃ可愛いっ! ちっちゃ! コンパクト! 省スペース!」
「カ、カナ、小さくないなの! これから大きくなるなの!」
「むはぁ! 怒り方可愛いっ! 萌ぉーえー!」
「アサギン~! なんか怖いなの、このお客さん!」
カナが俺の背後に逃げてくる。
「あぁ、いいね! 大人の背に隠れるチビッ娘! 人見知り属性追加いただきました! 欲を言うと、もうちょっと身長あった方が一緒に歩く時にバランス取れていいんだけど」
こいつ、ことごとく女性にフラれ続けているはずなのに、どこに欲を言う余地なんかあると思い込んでるんだ?
「けど、ちっちゃい分、おっぱい大きいから合格! 84点!」
「いやぁ~! このお客さんイヤなの!」
明確な拒絶いただきました。
今後一切、お前はカナにしゃべりかけるな。
全部、俺を通せ。
「んだよぉ、こんなに褒めてんのにさぁ~」
どこがだ!?
「お前、ちょっとは落ち着け。しまいに怒るぞ?」
少々きつめに睨んで凄んでみせるが、ワーウルフは意に介す様子もなく、平然と俺の目を見つめ返してくる。
……くっ。さすがに騎士団が出張ってきても退治できなかったワーウルフだ。俺のはったり威圧では怯まないか。
「なぁ、あんた」
「……なんだ?」
真正面から見ると、意外とつぶらな黒い瞳が、俺の目をじっと覗き込んでくる。
「…………男?」
「どっからどう見ても男だろうが!」
「いやぁ、ワンチャンない? 俺、あんたが女だったらドストライクなんだけど!」
「やめろ、怖気が走る!」
「92点!」
「嬉しくねぇよ!」
「優勝、おめでとうございます」
「黙れ、エスカラーチェ」
パチパチと手を叩くエスカラーチェを睨む。
くそ、無表情なお面が心なしかニヤついているように見える。
「俺さぁ、物静かで穏やかで、けど瞳の奥に優しさがにじみ出てて、ちょこっと小柄で、見つめたらそわそわしちゃうような照れ屋でさ、それでいて、心のどっかに寂しさを隠し持っているような、そんな女の子が好きなんだよね!」
「知らん。語るな。そのどれも、俺には該当しない」
「いや、見つめてたら、顔逸らしたっしょ?」
「気持ちが悪かったからだ」
誰がいつ貴様に照れたか。
「その嫌そうに眉根を寄せる表情……エモい」
「もえ」とか「えも」とかやかましいヤツだ。
こんなヤツに協力を頼むのはやめようか。絶対にややこしくなる。
と、思っていると。
懲りないワーウルフは、俺から視線を逸らし、ついにツヅリに目を付けやがった。
「びっ、びびっ、美っ少~女~!」
「へ……?」
ワーウルフに指さされて、背後を振り返るツヅリ。
いや、お前のことだよ。
「小柄で、優しさが全身からあふれ出していて、包容力と慈愛と母性に満ち満ちていて、けしからんくらいの大っきいおっぱい! 最高かっ!?」
「最低かっ!」
思わず、ワーウルフの腰骨を思いっきり蹴り飛ばしていた。
暴力? なぁに、死にゃしないんだ、これくらい平気だし、これくらい当然だよ、このクズ狼!
てめぇ、指一本でもツヅリに触れてみろ?
満月の光が届かないところまで引きずっていって息の根を止めてやるからな?
「あ、あの、アサギさん……暴力は……」
「いいえ、大家さん。今のは正当な対処だと思われます」
エスカラーチェが珍しく俺を庇ってくれている。
どうやら、このクズ狼に対しては俺と同じ気持ちのようだ。
「ですが……。あの、大丈夫ですか?」
「あぁ、もう! これくらい全然平気だし、マジで! つか、あんた優し~! マジ胸キュンだわ!」
こちらの警告も意に介さず、ツヅリは危険なワーウルフに笑みを向ける。
ワーウルフはワーウルフで、もうツヅリしか目に入っていない様子で、にやにや顔を晒している。
そのにやけ顔が不意に引き締まる。
「あの、俺。彼女いたことないから、今はこんな必死だけどさ、狼って伴侶を決めたら一生添い遂げる、そういう種族なんだよ。俺ももちろんそうするつもりだ。結婚したら、脇目も振らずに愛する人のために人生のすべてを捧げる。命を懸けて守り抜く。生涯愛し続けると誓う! だから、俺と結婚を前提に正式なお付き合いを……」
急に始まったプロポーズに、内心どうして黙らせてやろうかと殺意にも近い苛立ちを覚えていたのだが、不意にワーウルフの言葉が止まり、動きが止まり、空気が止まって、俺は思考を一時止めた。
……どうしたんだ、こいつ? 急に黙り込んで。
そう思ってワーウルフを注視していると――
「ぁ…………あぁ…………ぁぅ……あぐ…………っ」
ワーウルフのアゴがガクガクと震え始め、体中から滴るほどに大量の汗を噴き出し、全身を覆う体毛が一斉にぶわっと逆立った。
「おい、どうした?」
「ぎゃんっ!?」
声をかけると、その声に驚いた様子でワーウルフは跳び上がり、脱兎のごとくその場から転がるように逃げ出した。
壁にぶつかり、テーブルをひっくり返し、凄まじい慌てっぷりでドアを開け放ち外へと飛び出して行ってしまった。
「ごっ、ごめんなさぁぁあい!」
と、悲鳴のような声を上げながら。
そして、二度とヤツは俺たちの前に戻ってくることはなかった。