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絡まる糸を解いてみれば -3-

 ワーウルフが立ち去った店内に、妙な静けさが落ちる。


「…………」

「…………なんだったの、でしょうか?」


 ツヅリが困惑した顔で俺を見る。

 だが、それは俺が聞きたい。


「ツヅリ、あいつに何かしたか?」

「い、いえ。ただ、急に求婚の言葉が始まったので、少し驚いてしまって……」

「思わず睨みつけた、と?」

「そんなことはしていませんよっ」


 両手を振って懸命に否定する。

 俺も様子を窺っていたが、ツヅリが苛立ちを表立って見せたようには見えなかった。

 ただ驚いて、呆然としていたはずだ。

 目を真ん丸く開いて、目の前で起こっている珍事を理解できずに立ち尽くしていただけだ。


 ではなぜ、あのワーウルフは急に態度を変えたのか。

 それも、あんな必死に逃げ出すほどに……


「逃げ出す直前、あの犬っころは大家さんに半歩近付こうとしましたよね?」

「犬っころという言い方は、ちょっと……」

「では、あの『万年発情負け犬ヤロウ』は――」

「酷くなってますよ、エスカラーチェさん!?」


 エスカラーチェは一切間違っていないと思うのだが、ツヅリが発言を諫める。


「では、『あの犬』で」


 狼なんだけどな。


「そうですね……確かに一歩、わたしのそばへ足を踏み出されましたね。その直後、お鼻がぴくぴくっと動いたなぁ~と思った瞬間、さっきのような状況に」


 ツヅリの匂いを嗅いで態度が豹変したのか?

 匂い……?


 すんすん。

 特に、これといって妙な匂いはしない。


「あ、あの……アサギさん…………」


 ツヅリが、俺の胸に両手を添えて、軽い力で押し返すように腕を突っ張る。


「……恥ずかしいですので、匂いを嗅ぐのは……その……」

「あっ!? す、すまん、つい!」


 つい、何の気なく匂いを嗅いでしまったが、女性に対してこれは非常に失礼な行為だ。

 猛省しなければ!


「……永年劣情ド助平下郎」

「あの狼より酷いネーミングだな、こら」


 誰が永年劣情ド助平下郎だ。一緒にすんな。


「しかし、分かりませんね。大家さんから、犬が嫌うような匂いがしていたのでしょうか?」

「ツヅリさん、玉ねぎとか食べたなの?」

「いえ、食べてませんよ」

「少し嗅がせてください」

「あっ、カナもいいカナ?」

「あ、あのあのあのっ、や、やめてくださ……ひぁぁああ!?」


 女子三人が群がってわちゃわちゃしている。

 俺にド助平とか言っておきながら同じことしてんじゃねぇか。……女同士ならいいのかよ、そーかよ、けっ。


 女子三人が戯れている間に、倒れたテーブルでも戻してやるか。

 ……と、あのワーウルフが暴れて倒したテーブルに近付いて、俺はある物を発見する。


「……あいつの毛、か?」


 テーブルの脇に、濃いシルバーの体毛が落ちていた。

 拾い上げてみれば、程よく弾力があり、しなやかで、においがしない。

 そういえば、近付かれても嫌なにおいはしなかった。

 一応、女性を口説くために手入れはしているのか……


「……ということは」


 ずっと引っかかっていたことが頭の中でその見え方を変えていく。

 バラバラだったピースが音を立てて嵌っていくように。



 シーマさんの言えない秘密。

『ご主人様』という呼び方。

 寝室にあった道具の数々。

 庭のボール。

 荒らされたエリックの部屋。


 落ちていた体毛。


「そして、犬が嫌う匂い、……か」



 俺の想像が正しいのなら、一つ勝負に出てみるのも悪くないかもしれない。

 勝算は六割……いや、エリックの発言を考慮すれば七割八分……

 あとは俺たちの後押しで八割五分から九割程度に引き上げる。それなら…………いけるか。


「エスカラーチェ、また頼まれてくれるか」

「おや? なんでしょう。まだ報酬すらいただいていませんが」

「上乗せで特上のベーグルをプレゼントしてやるから、エリックを叩き起こして連れてきてくれ」

「あの駄犬でなくていいのですか?」

「あぁ、あいつはもういらん」


 あんな狼の証言など、もう必要ないのだ。


「それからツヅリ」

「はい」

「シーマさんを連れてきてほしい」

「ここに、ですか?」

「あぁ。外で会う方がエリックも落ち着いて話が出来るだろう」


 自室が魔獣の毛だらけになっているなんて知ったら、どんな精神状態になるか……


「というわけで、カナ。店を貸してくれないか」

「はいなの! アサギンご一行様、大歓迎しちゃうなの!」

「なら、諸々準備をするとして、各々一時間後にここに集合だ」

「はい」

「仰せつかりましょう」

「はいなの!」


 そうして、俺たちは『仕上げ』の準備に取りかかった。







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