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絡まる糸を解いてみれば -5-

「まず、これを見てくれ」


 テーブルに二つの毛束を並べて置く。

 一つはゴールド。

 もう一つは濃いシルバー。

 明らかに異なる二つの毛束。


「金髪の方がシーマさんの部屋に落ちていた毛で、シルバーの方が例のワーウルフの毛だ」

「えっ!? ……全然毛色が違うじゃないか」

「あぁ。俺たちは全員そのワーウルフを見たが、間違いなくヤツの毛はシルバーだった」


 憲兵とはいえ、エリックは夜間警邏班の一兵士。

 最終的に騎士団が取り押さえたワーウルフを直接見たことはなかったのだろう。

 夜勤に向かった先で解散を告げられたって話からも、それは窺える。


「じゃあ……」

「シーマさんは、ワーウルフとは無関係。会ったことすらない。……ですよね?」


 俺の問いに、シーマさんはこくりと頷く。


「そう…………だった、のか」


 エリックの肩がストーンと落ち、長いため息が漏れ出した。


「じゃあ、一体この魔獣の毛はなんなんだ? 浮気じゃないなら、なぜ本当のことを話してくれなかったんだ?」


 その問いは当然で、当然だからこそシーマさんは言い出せなかったのだ。

 嫌われるのが怖かったから。


 何から順に話そうかと迷ったのだが……


「ツヅリ、持ってきてくれたか?」

「は、はい。……これで、いいんです、よね?」


 ツヅリが取り出したのは、シーマさんの家の庭に転がっていた、汚れたゴムボール。

 一瞬、シーマさんの肩が揺れた。


「エリック。これを、向こうの方に投げてみてくれないか?」

「え? なんで?」

「いいから。軽くな」


 店の奥の席から、対角線上にボールを投げてもらう。

 訝しみながらも、エリックが軽い力で山なりにボールを投げる。


 その瞬間――ガタンッ! バタバタバタッ! ――と、騒がしい音を立ててシーマさんが走り出した。

 一直線に、ボールに向かって。

 壁にワンバウンドした汚れたボールめがけてジャンプしたシーマさんは、体を捻りながら口でそのボールをキャッチした。

 着地するや、嬉しそうな顔で駆け戻ってきてボールをエリックに渡す。そして、キラキラ輝く笑顔を向けて待機する。第二投目を期待するように。


 だが、第二投目は投げられず、エリックは困惑した表情でシーマさんを見つめるだけだった。

 状況を察したシーマさんが顔を青くする。


 これではっきりしたな。

 まぁ、確証はなかったが、間違っていない自信はあった。


「ツヅリ。シーマさんの部屋で見た物を教えてくれるか?」

「え? はい。えっと……首輪と、鎖と、太いロープと、檻……です」

「太いロープって、三十センチくらいの短さで、両端が縛ってなかったか?」

「はい。何かを結ぶには短過ぎると思いました」

「それな、犬の玩具なんだ」

「犬の玩具……ですか?」


 そう、噛んで遊ぶ玩具だ。

 首輪も、鎖も、檻も、みんな犬が使う道具だ。


「エリックの部屋を見たら、ベッドや布団、衣類や椅子が荒らされて、この金髪の毛が散乱していたんだが……」


 そう言うと、シーマさんがビクッと肩を震わせた。

 やましさの表れだ。


「これは、飼い犬が飼い主に放置された時に見せる嫉妬心の表れだ」


 飼い主の匂いがする物にじゃれついたり、飼い主が大切にしている物をついついメチャクチャにしてしまったりする。それは、『もっとかまえ』の合図だったりする。


「エリック。たぶんだけどな、あの夜、シーマさんは部屋にいたと思うぞ」

「そんなはずはない! 俺は部屋の隅々まで探した! 布団の中もな!」

「ベッドの下は?」

「はっはっはっ! 何を言うのかと思えば。我が家のベッドは低いんだよ。ベッドの下に人が入れるような隙間などありはしない! 10センチあるかないかだぞ」

「あぁ、それだけあれば十分潜り込めるだろうな。犬なら」

「おい、さっきから犬犬犬犬と、なんの話をしているんだ、お前は?」


 苛立つエリックをよそに、もう一つ決定的な証拠となる事象の確認を行う。


「ツヅリ。ワーウルフはお前に近付こうとした瞬間、すごい勢いで逃げていったよな?」

「はい。その……わたしの匂いを嗅いだ直後、すごく怯えた様子で……で、でも、わたし、特におかしな匂いは……!」

「ワーウルフが感じ取った匂いはお前のじゃない。シーマさんの匂いだ」

「シーマさんの?」


 全員の視線がシーマさんに向かう。

 シーマさんは、全方位から向けられる視線から逃れるように俯いていた。


「犬や狼ってのは嗅覚がいいんだ。だから分かったんだよ、ツヅリが『自分よりも大きくて強い犬――もしくは狼に抱きついていた』ってことがな』

「え、でも……わたし、そんな大きな犬に抱きついた記憶は…………今日、わたしが抱きしめたのは、アサギさんと…………シーマさん?」


 ひゅ……っと、シーマさんの喉が鳴る。


 そろそろ、全員が気付いただろう。

 答え合わせといこうか。


 以上のことから導き出される答えは一つ。




「シーマさんは――狼男なんだよ」




 寝室の毛はシーマさんのものだ。

 秘密にしたのは、エリックにバレれば嫌われると思ったから。

 何よりも魔獣を憎んでいるエリックだからこそ。


「そうなんだろ、シーマさん?」


 俺の問いに、シーマさんは答えない。

 代わりに、ツヅリが席を立ち、俺のそばまで来て耳打ちをしてくる。


「アサギさん。あの……非常に言いにくいんですが…………シーマさんは女性です」

「『狼男』は言葉の綾だよ! ルーガルーでも人狼でもなんでもいい、とにかく、彼女はそういう存在なんだよ」

「……えぇっ、そうなんですか!?」

「ワンテンポ驚きが遅いんだよ、お前は!」


 なんだ?

「男じゃないのになぁ~」ってことが気になって現実を理解するのに時間がかかったのか?

 マイペースだなぁ、おい。


「ほんと、なのか……シーマ?」

「…………」


 エリックの問いにも、シーマさんは答えない。

 今にも泣き出してしまいそうなのを、唇をきつく噛んで堪えている。そんな沈痛な雰囲気が漂ってくる。


 けど、そんなに心配しなくて大丈夫だ。


「エリック、お前が悪い」

「はぁっ!? な、なんで俺が!?」

「口を開けば『魔獣が魔獣が』と恨み言ばかりを言うせいで、シーマさんは言い出せなくなっちまったんだぞ」

「いや、しかし俺は、両親が……それに、憲兵で……」

「そんなもんはどうでもいいだろうが!」

「そんなもんだと!?」


 あぁ、そうだ。

 そんなもんだ。


「両親のことは、本当に気の毒に思う。恨む気持ちも分かる。だが、両親を襲った魔獣と、シーマさんが関係ないことくらいは分かるよな?」

「それは……」

「それに、シーマさんは魔獣じゃない。おそらく、人と獣を行き来する、ワーウルフのような人種だ。つまり、人間だ」


 それでも、あまりにも魔獣を憎むエリックを見て、シーマさんは言い出せなかったのだろう。

 自分の半分が獣であることを。


「たしか、『この世に存在するすべての魔獣を駆逐してやる』だっけ?」


 それは、エリックが憲兵になるきっかけとなった動機。意志。

 だが。


「シーマさん、知ってるか? こいつ、シーマさんが浮気したと勘違いして『憲兵なんかやめてやるー!』って騒いでたんですよ」

「えっ!?」

「ちょっ!? おまっ!? バ、バラすなよ、そういうことを!」

「……私の、せいで……ですか?」

「あ……いや…………お前を、一人にしたくなかった。その……奪われるのが、怖くて……一時も離れたくないと……ヤキモチを焼いて……独占欲から、子供じみたわがままを…………だから、その………………くぅ! どうしてくれる! お前のせいでシーマにみっともないところを!」

「まぁ待て」


 掴みかかってくるエリックの顔を、強制的にシーマさんへと向ける。

 シーマさんは、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。


「あんなに大切にしていた憲兵の仕事よりも、私を……私を独占することを優先させてくださったのですか? そんなに、私を奪われるのが怖いと……思ってくださったのですか?」

「う…………あぁ……まぁ…………心底惚れた、ただ一人の女……だからな」

「ご主人様っ!」


 鈍い音が響いた。

 シーマさんに抱きつかれたエリックが、硬い床にしこたま頭をぶつけた音だ。


「独占してください! 私は、この世界であなた様の、あなた様だけの私です! お慕いしていますご主人様! 大好きです、ご主人様!」


 シーマさんはどこからどう見ても人間の姿をしているのだが、ぱたぱたと忙しなく揺れる尻尾が見えるような気がした。


「ルーガルー、ですか」

「あぁ。詳しく調べたわけではないが、おそらく満月以外の条件で狼に変わる人種なのだろう」

「でも、ならどうして毛並みが荒れていたのでしょう?」

「狼の姿で風呂に入れないからじゃないか?」

「あぁ、なるほど。それなら納得です」


 髪の毛の手入れをしていれば全身の毛がケアされる……なんて都合のいいことはないようだ。

 大変だな、獣人も。


「これで、シーマさんは隠し事をしなくて済みますね」

「あぁ、そしてエリックも――」


 アゴをしゃくって視線を誘導してやれば、目の前の光景にツヅリが笑み崩れた。


「不安にさせて悪かった。分かってやれなくて悪かった……。世界で一番、シーマが大切だ。シーマがいれば、他はどうだっていい……愛しているよ、シーマ」

「はいっ……ご主人様っ!」


 日頃の鍛錬で鍛え上げられた二本の太い腕で、エリックはシーマさんをしっかりと抱きしめ、時折髪の毛を優しく撫でていた。

 その姿は愛し合う夫婦のようにも、じゃれ合う飼い主と愛犬のようにも見えた。







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