「おはようございます、サトウ某さん。遺言書の作成はお済みですか?」
「朝一で闇に葬ろうとしてくるんじゃねぇよ」
炊き込みご飯の準備をしていた俺のもとに、エスカラーチェがいつもの無表情な面をつけてやって来た。
お前の殺意の出所に心当たりがねぇよ。
「昨日はお疲れさまでした。今回もなかなか面白い手練手管でしたね」
「お前が言うと嫌味にしか聞こえないな」
「とんでもない。称賛ですよ、これは」
表情が読めないから、こいつが何を考えているのか一切分からん。
とりあえず、手放しで喜ぶのはやめておこう。
「それで、一点気になったことがあるのですが、質問をしても?」
「なんだ?」
「大家さんがおっしゃった言葉で、どうにも引っかかるところがあったのですが――」
それは、昨日トカゲのしっぽ亭でツヅリが言った言葉。
『今日、わたしが抱きしめたのは、アサギさんと…………シーマさん?』
「何を仕出かしてくれているんですか、あなたは?」
「待て待て待て! 声は笑ってるのに無表情の仮面が般若みたいになってるから! 落ち着け、エスカラーチェ!」
ものすごい殺気を感じた。
こいつ、本気で俺を闇に葬るつもりでここに来てんじゃないだろうな?
「あれは、だな……その…………そういう意味では、ない」
「明確に説明できていない時点で察しました。あなたが迂闊な発言をし、純真無垢な大家さんが少し奔放な行動に出てしまったということですね」
さすが情報屋のエスカラーチェ。人間観察がばっちりだな。
まさにその通りだよ。
「あの方は迂闊な方なのです、あなたの方が十二分に気を付けて接してください」
「あぁ。俺も、そうしようと思っていたところだ」
ツヅリに悪意がない以上「やめろ」とは言いにくい。
拒絶すれば、なんとなくだが、こう、寂しそうな顔をされてしまいそうだしな。
だから、こっちが『そーゆーこと』にならないように気を付けてやらなければいけないのだ。
……まったく、世話の焼ける。
「それで、今は一体何を?」
「ん? あぁ、これは朝飯の仕込みだ」
今は自室でサツマイモの皮を剥いている。
これが済めば、キッチンへ行って水にさらす予定だ。
「朝食の……。こんな日も昇らないうちからですか?」
「…………」
そう。今はまだ日の出前だ。
自室でイモの皮剥きをしていた理由が分かってもらえただろうか? この時間帯は、あまり自室の外に出て活動するのは気が引けるものだ。
おそらく、もう少ししたらツヅリも起き出して新聞を買いに行く準備を始める、そんな時間だ。
日本時間で言えば午前四時頃だろうか。
……昨日、寝る前にツヅリが抱きついてきたりしたせいで、結局眠れなかったんだよ。
あんな…………顔が埋まるような…………くっ、迂闊娘め!
だが、そんなことをこいつに説明できるはずもなく、俺は論点をズラすことにする。
「こんな時間だと思うなら、お前も訪問してくんじゃねぇよ」
「いえ、あなたが起きているようでしたので、問題はないかと」
「本当に盗聴器とか仕掛けてんじゃないだろうな!?」
なぜ屋上に住んでいるお前が、二階にいる俺の動向を知れるんだ?
日が昇ったら、徹底的にこの部屋を調べ尽くしてやる。
「そうだ。お前も起きてるなら、一緒に飯を食うか?」
炊き込みご飯の手間なんて、二人前も三人前もほとんど変わらない。
エスカラーチェも一緒に食べるようになれば、ツヅリはきっと喜ぶだろう。
そう思ったのだが。
「ありがたい申し出ではありますが、ご遠慮させていただきます」
「そうか。無理にとは言わないが……」
「そんな寂しそうな顔をされると心苦しいのですが」
寂しそうな顔?
しているつもりはないが?
「わたしはこの仮面を外すことが出来ませんので、誰かと会食をすることが出来ないのです」
「あ、そうか」
言われてみれば、こいつはトカゲのしっぽ亭でもいつも何も食べてはいなかった。
「口のところを開くように改造したらどうだ?」
「一般家庭が二年は遊んで暮らせるほどの値段である魔導具を改造しろとは、随分と怖いもの知らずな発言ですね」
「そんな高級品なのか、その仮面!? トチ狂った値段だな」
「高名な魔導具技師の作なので当然ですよ」
一般家庭が二年間遊んで暮らせるって……一千万円くらいか? もうちょっとするか?
なんにせよ、恐ろしい。もし壊したりしたら、到底弁償できない代物だな。
「朝食はご一緒できませんが、トカゲのしっぽ亭へ行くのであればお供しますよ。上乗せ分の美味しいベーグルを、まだいただいておりませんので」
ワーウルフを捕まえてもらった礼にブルーベリーベーグルをご馳走したのだが、追加でかんざし職人とエリックを連れてきてもらった分の礼はまだ済んでいない。
「今日の午後行くから、また声をかけるよ」
「えぇ。部屋でお待ちしておりますので呼びに来てください」
「お前の部屋行ったら、俺死ぬじゃん」
時間になったら勝手に降りてこい。
「では」
言いたいことを言って満足したのか、エスカラーチェは部屋を出て行こうとする。
お前、本当にこんなくだらないことを言うためだけにここに来たのか? 日の出前に?
こいつも、とことん変なヤツだな。
「あ、そうだ。お前も仮装祭りに参加するんだろ?」
ツヅリが楽しみにしていたのだ、きっとこいつも楽しみにしているのだろう。
「ツヅリはルーガルーの仮装をするそうだから、お前はキャットウーマンとかどうだ?」
犬と猫で対比が面白いことになるだろう。
こいつの猫耳姿も、ちょっと見てみたいしな。
「おや? 大家さんはイモの仮装ではないのですね?」
「折角だからな、俺が勧めたんだ」
「なるほど。ルーガルーのシーマ女史と知り合ったのだから友好の証として仮装してみてはどうかと――そんな甘言の奥に『ツヅリたんの犬耳姿、萌え萌えきゅ~ん☆』という本音をひた隠して権謀術数を尽くしたわけですね」
「人聞きが悪いなお前は……」
確かに、ツヅリが犬耳をつければ似合うかなと思って勧めた節は、多少は、ある。
多少はあるし、ツヅリがやると言った時に思わずガッツポーズが出そうになったことは認めよう。ぐっと堪えたが、一応認めよう。
だが、だからと言って『萌え萌えきゅ~ん☆』とは思っていない! そこは絶対に!
「とにかく、ツヅリとお揃いの仮装をすれば、ツヅリが喜ぶと思うぞ」
「あなたが喜ぶ、の間違いではありませんか?」
「俺は別に……」
「一切興味がないと?」
「いやまぁ、興味がないと言えば、嘘になるが……」
「分かりました。では今年の仮装はナスにします」
「ナス!?」
「もっこもこの着ぐるみを用意して普段よりも厚着をしましょう。どこぞのむっつりパンツスキーに邪な目で見られないように」
「そんな目で見るか!」
こいつ……やっぱ腹立つ。
「それよりも、私を誘ってもいいのですか?」
「何がだ?」
「仮装祭りですよ。邪魔者扱いは御免なのですけれど」
澄ました顔で、澄ました声で、訳の分からないことを言う。
「ツヅリがお前を邪魔にするわけないだろうが」
それくらい、分かりきっているだろうに。
ちょっとしか一緒にいない俺にだって断言できることを、お前が分からないはずないだろう。
「一緒に回ってやればきっと喜ぶぞ」
「いえ、そうではなくて…………はぁ」
思ったことが声になってしまう仮面をつけているエスカラーチェが言葉をなくした。
思考が完全に停止するレベルで呆れた、そんな雰囲気だ。
……なんだよ? そのため息はどういう意味だよ?
「あなたは、決して鈍感ではないと思うのですが……発想が極端に振り切れることがあるようですね」
「はぁ? どういう意味だ」
「分からないでいてください。……少々癪ですので」
まったく意味が分からん。
発想が振り切れるってなんだよ。
言葉の意味を掴みきれずにいると、エスカラーチェは肩をすくめて俺の顔を覗き込んできた。