「もし私が、『大家さん抜きで二人きりでお祭りに行きましょう』と誘ったら、あなたはどうされますか?」
ツヅリ抜きで俺と二人で?
エスカラーチェが?
「不気味過ぎるから即答でお断りだな」
「そうですね。それくらいの距離感でお願いいたします、今後とも」
なんなんだ、一体?
結局、憎まれ口を叩きたかっただけなのか?
「サトウ某さんは、フラれることが多かったのではありませんか?」
「そう見えるか?」
「えぇ」
「ツヅリには『モテたでしょう?』って聞かれたんだがな」
「あなたは、パッケージはいいのですが、リピーターはつかないタイプの商品ですからね」
商品って、お前……
「まぁでも、確かにその通りかもな」
相手が勝手に寄ってきて、しばらくすれば相手が勝手に離れていく。そんな付き合い方しかしたことがなかった。
こちらが執着することもなかったし、気に留めることもなかった。
「そんな出入りが面倒に思えて、ある時期から架空の恋人をでっちあげていたくらいだ」
「架空の恋人ですか。あなた以外が言えばとても惨めに聞こえるのでしょうが、あなたが言うと非常に嫌味ですね」
「苦肉の策だったんだよ、こっちとしても」
なにせ、一方的に惚れられた相手に優しくしないと『酷い男』と悪評をばら撒かれるのだからたまったものじゃない。
「だからお前も、妙な誤解はしないでくれよ」
この『世界』には、逃げ場がないんだ。
変な勘繰りで居場所を失うのは勘弁願いたい。
「俺はツヅリに手を出すつもりはないし、妙な気も起こさない。だから、もし俺とツヅリの間に何かあったとしても、それはツヅリの迂闊さが招いた事故みたいなもんで、それ以上でもそれ以下でもないし、深い意味なんかそこには存在しない」
そうだ。
ツヅリは妙に距離感が近い時があるから、一見すれば意味深に見えるような事象が発生することもあるが、そこに他意はない。
あるのは偶発的に発生する迂闊さだけだ。
「だから、お前も勘違いすんなよ」
ツヅリのうっかりで、毎度こんな時間に寝室へ突撃されてはたまらない。
エスカラーチェには、誤解しないように釘を刺しておく必要がある。
「大家さんを迂闊だと、あなたは言うのですね?」
「そうだ」
だから、俺に非はないはずだと訴えようとしたまさにその時、エスカラーチェの指が俺の胸を突いた。
胸のど真ん中を、割と強めの力で。
「迂闊は、あなたもですよ」
じわりと、痛みが突かれたところから広がっていく。
「もし私が、あなたに好意を寄せていたならば、今の発言は違った意味に聞こえますよ? 自覚はありますか」
もし、エスカラーチェが俺に好意を寄せていたとして、俺が「ツヅリと何かあってもそこに他意はないから、誤解するなよ」と弁明したとするならば……
それは「本命はお前だからな」という意思表示に見えなくもない……って!?
「いや、違うぞ! それこそ誤解だ!」
「分かっています。取り乱さないでください、余計に恥ずかしくなります。とにかく、あなた自身も十二分に迂闊であるということを自覚してくださればそれで結構です。早朝に失礼しました、これで失礼します」
一息でそこまで言って、くるっと踵を返してエスカラーチェは部屋を出て行く。
そしてドアが閉まる直前――
「ではまた後ほど。トカゲのしっぽ亭で」
――そう言い残して、ドアを閉めた。
……あの女、言いたいことだけ言って逃げやがって。
こっちのもやもやは一切晴れてねぇっつの!
「メチャクチャ美味い炊き込みご飯を作ってやる……あいつが食えなかったことを後悔するくらいに」
そんな、見当違いな報復を胸に、キッチンに向かい仕込みを再開する。
「あの、屋上でエスカラーチェさんが何やら騒いでいらっしゃるんですが……お心当たりはありませんか?」と、ツヅリが顔を見せたのは、そのすぐ後だった。
さぁな、心当たりなんか微塵もねぇし、あったとしても、気にしたくもない。
「あ、おイモですね」と顔を輝かせるツヅリに「まだ生だぞ」と釘を刺し、炊き込みご飯の準備をしておく。
それから、ツヅリに付き添って新聞屋へと向かった。
外の空気は、昨日よりもさらに冷たくなっていた。
「寒くないか?」
「はい。寒いのは割と好きなので」
「そうか」
俺は、どちらかというと寒いのが嫌いだ。
ガキの頃、暖房もない部屋で毛布に包まって過ごしていた時期を思い出す。
それに、セスナが突っ込んできた時も雪混じりの寒い空気にあてられていたしな。
「手をつなぎますか?」
俺が難しい顔をしていたからか、不意にツヅリがそんなことを言い出した。
「わたし、体温が高いので温かいですよ」
「…………」
エスカラーチェが妙なことを言ったせいで、ツヅリの迂闊さが妙に気になる。
俺はツヅリにも、もちろんエスカラーチェにも特別な感情など抱いちゃいない。ないものを証明するのは不可能なわけだから、あると勘繰る輩を黙らせるのは一苦労だ。
だからこそ、妙な勘繰りが入り込む余地はない方が望ましい。
「……大丈夫だ」
「そうですか? では、必要になればいつでも言ってくださいね。いつでも温めますので」
……お前を暖房代わりに使うつもりはねぇよ、ったく。
吐き出される白い息を眺めながら、間もなく新聞屋に着くななどと考えていた時、「あっ」と声を漏らしてツヅリが俺の袖を引いた。
「アサギさん。あれ」
ツヅリが指さした先には、見覚えのある金髪男が、美しいブロンドを揺らした大型犬を連れて歩いている姿があった。
「エリックさんと……シーマさん、でしょうか?」
空を見れば、まだ日の出までは時間がありそうだ。
シーマさんは夜間に狼の姿になるということだったから、その可能性は高い。
というか……
「引きずられてるな、エリックのヤツ」
エリックが連れているブロンドの狼は、体高が150センチほどもある超大型で、見るからに力が強そうだった。
あのワーウルフがビビるのも納得の迫力だ。
つか、あんな巨体で、どうやってベッドの下に隠れたんだろうか。
今となっては知る由もないが。
「睦まじい姿ですね」
「どうした、ツヅリ。まだ寝ぼけてるのか?」
どうしたらそう見えるんだ。
確かに、一歩歩くごとにシーマさんらしき巨大狼が「撫でろ」と言わんばかりに体をこすりつけて、エリックがわしわし全身を撫でてやってはいるが……あれは脅迫の部類に入る行為だろう。振り回されてんじゃねぇか、エリックのヤツ。
「あの、アサギさん」
ツヅリは、ツヅリが言うところの『仲睦まじい』夫婦の姿を見て何かを思いついたらしく、満面の笑みを浮かべてこんなことを言ってきた。
「わたしが犬耳をつけたら、アサギさんは首輪と鎖でわたしを縛ってくださいますか?」
「ごふぅっ!」
……変な物が、気管に詰まった……っ!
「……どういう、発想の飛び方だ……!?」
咽ながら抗議するも、ツヅリは止まらない。
「わたし、ワンちゃんになるならアサギさんとお散歩がしたいです。お利口に出来たら、ご褒美にわたしの全身を撫でまわしてくださいね」
「ごーっほごほごほっ!」
他意などない。
あぁ、微塵もない。
こいつはただ単純に迂闊なのだ。
どんなにこっちが気を付けようとも、斜め上の角度からとんでもない迂闊さをぶち込んでくる。それが、ツヅリという娘なのだ。
……こいつには、少々厳しめの調教が必要なようだ。
もちろん、変な意味ではなくな。